第226話:突破(1/4)
「本当にいいのかい? 何なら君は離脱してもいいんだよ?」
「いいっていってるだろ、うるさいんだよヴェフタールは!」
「君がいいというならいいんだけどね。集中できないまま、君まで倒れることになったら、僕らのギルドの大変な損失だからだよ」
「いいんだって! 遠耳の魔装具は使えなくなっても、オレはオレのやるべきことをやるだけだ!」
ヴェフタールの言葉に、いちいち反発してみせるインテレークだが、とにかく動いていないと気が落ち着かないからかもしれない。
俺も、中学生で母を亡くした当時、とにかく部活動やら何やらで体を動かしている方が、何も考える必要がなくて楽だった。インテレークにとっても、兄をなくした衝撃から逃避する意味もあるのかもしれない。
しばらく鳥を走らせていると、先頭を走らせるヴェフタールが手を水平に突き出した。インテレークもアムティも、速度を落とす。
「……見えたよ。砦跡だ」
砦というと、やはり重厚な石積みの城壁、丸い見張り塔、巨大な門……そんなものをイメージしていたのだが、目の前にそびえ立つ砦は、そう立派なものでもなかった。
まあ、恒久的な要塞にするためではなく、百年ほど前の戦争で使うために作られた急造のものらしいから、そんなものなのかもしれない。街の城壁の方が何倍も大きく頑丈に見えるのは当然として、城内街の中にいくつもある防衛のための簡易防壁だって、この砦よりもよっぽど高いし整っている。
とはいえ、切り立った崖に挟まれる峠に配置されたこの砦。四、五メートルくらいの高さはありそうな壁は簡単には登れそうにない。
防壁の向こうには建物もあるようだが、それほど高くはないようだ。壁に阻まれて、壁の奥は分からない。
すぐふもとの街道をにらむようにして建つその砦は、おそらく本来なら崖から崖ままで真っ直ぐ伸びる防壁によって進撃を遮られた敵に対して、嫌がらせの様に攻撃をするためのものだったのだろう。
今は街道をふさいでいたはずの防壁は取り壊されているが、向こうの崖の方にも、月明かりに浮かび上がる、壁の残骸が見える。
さらに、たとえ街道の門を突破されても、しばらくは持ちこたえてハラスメント攻撃に徹することができるようにしてあるのだろう。壁の内側であるはずの砦の周囲も、壁と
さらに壁の上部には、上からモノを落とすようにできているような張り出しもある。空堀で敵の行動に制限を加え、その頭上に重い岩なり溶けた鉛などをぶっかけたりしたのかもしれない。急造、というわりには、なかなか凝ったつくりだ。
門があるにはあるが、その前には空堀があり、そして跳ね橋は上がっている。おそらく跳ね橋は門扉を兼ねているのだろう、防壁の壁に、一体化している。
ついゲーム的な感覚で、どこかにスイッチでもあるのかと目を凝らして防壁のほうを見てみるのだが、この暗い中、当然、石壁にスイッチなど見つかるはずもない。
「どうやって入るんだ? あそこが入り口なんだろ?」
「バカ! 跳ね橋が上がっている意味が分からねえのか!」
インテレークに小突かれた。
「いや、あれが門を兼ねてるっていうことくらいは分かるぞ? 跳ね橋を下ろさなきゃ、中には入れなさそうだってくらいは」
「だからバカって言ったんだ! 跳ね橋は中で操作するんだぜ!」
言われてやっと気が付いた。
跳ね橋は中から操作する。
つまり――
「中にまだ、素知らぬ顔で立て籠っている奴らがいる……!!」
「いまさら無理だなんて言うなよ?」
「むむむ無理だなんて言うか! り、リトリィのためならなんだって……!」
必死に壁の凸凹に手をかけて、少しずつ登っていく。
乱杭歯のようにデコボコした石組みのおかげで、ウォールクライミングなど経験したことのない俺でも、辛うじて登ることができる。
登れるのだが……
「……ひぃっ!」
「だからァ、下見たらタマ縮むから見るなって言ったよねェ? いい加減、手、離したら?」
すでに登り切ったアムティから、無慈悲な助言が降ってくる。
たかが五メートル程度と思うなかれ!
壁そのものは五メートル程度でも、その下にさらに二メートルほどの深さの空堀があるんだよ!
もちろん、命綱なんて無し!
落ちたら死ぬ! 俺だけはきっと死ぬ!
もし即死できなけりゃ、医療体制の整っていないこの世界、相当に苦しんで死ぬことも考えられるんだよ!
「恋人助けるンだろォ? 根性見せなよォ?」
言われずともわかってるよ! もうすぐ登りきるとも分かってるよ! それでも、マジで怖いんだよ!!
春が近いとはいえ冷え込む冬の夜、その夜の冷気をたっぷり吸って冷たい岩肌にへばりつかなきゃならない、このクライミング!
しかも冷たいだけじゃなくて、しっとり湿ってるのがまた怖い! 時々足が滑る!
「『投げナイフ』が最後尾で壁に貼り付いててどうすんのさァ。置いてくよォ?」
勘弁してくれ! 敵地に一人で壁に取り残されるなんて絶対に嫌だッ!!
気ばかりが焦って、しかし手が、足が、すくんでなかなか進まない。
ああもう、ちくしょう!
少しずつ、石一個ずつ、動かない足を内心叱咤しながら登る。冷たい月の光が石を照らしてくれるおかげで、手をかけるべき、足をかけるべき石が見えなくて困る、ということがないことだけが救いだ。
「さっさとしろよ、おっさん」
これまた壁の上から顔を突き出しているインテレークの呆れた声にムッとし、もう少し、もう少しだと気を落ち着かせ、そして下を見てしまって背中をぞわりとしたものが駆け抜ける。
「だからァ、下を見てはいちいちタマ縮めてるんじゃないよォ? ほら、右手を離して次の石、足も前進させてさァ」
足がすくみそうになったところで、アムティからの声。分かってるよ、やるよ、やりますよ!
そうして、みっともなく登り切ったところで安心が油断を生んだのか、足を滑らせ滑落しかける。
アムティとヴェフタールがそれぞれ襟と腕をつかんでくれなかったら、間違いなく落ちて死んでいた。
壁の上は、通路になっていた。なるほど、デコボコした壁に身を隠しながら、何か物を投げたり弓矢で攻撃したりできるように作られている。
万が一、砦の中から監視されていたら、この明るい月夜、すぐに気付かれてしまう。そんなわけで、可能な限り低姿勢で隠れながら進むのだが、あちこち崩れていて歩きにくいったらない。
倒れたデコボコ壁や砕けた床石などを慎重に乗り越えながら、下りの階段を目指す。
壁の上からは、砦内部の様子がよく見えた。壁の内側は、石造りの四角い建物が、比較的きれいに残っている。
屋根は崩落している部分が多く、それにともなて崩れている壁も多い。だが、雨をしのぐ程度なら十分だろう。
砦のほうを見ながら走っていたせいでつまずいて転んでしまった俺をアムティがとがめる。
「よそ見してると死ぬよォ?」
「……いや、面白い構造だと思ってさ」
俺の言葉に、ヴェフタールが反応する。
「面白い? 何の話だい?」
「普通、砦って、頑丈さと火災に耐えるために石造りだろう? あれ、見てみなよ」
「……ただのガレキだろう? ムラタ君、何が面白いんだい?」
ヴェフタールと同じように、アムティも首をひねっている。インテレークに至っては、
「時間がねえんだ、いちいち見てらんねえよ」
と、にべもない。
──そうか。
同じものを見ても、着目するためには知識が必要──そういうことなんだな。
崩れた部分から見える構造材から察するに、基本は木骨造のようだ。木組みで素早く構造を作り、壁を石造りにすることで、攻撃に対する耐火性を確保する──街と同じ発想らしい。
大砲や投石器のような攻城兵器がないとは考えにくい。攻撃魔法だってないわけじゃないだろう。とすると、本当に急場をしのぐためだけに造られた砦のようだ。
単に、防壁を組み上げる方にリソースを割きすぎてしまい、中の建物まで十分に石材を使用できなかったということなのかもしれないが。
「……だから、なんなんだ? 大工らしさでも見せたいのか?」
インテレークが声を荒げそうになったので、話はそれでおしまいになってしまった。確かに、今は砦の興味深い構造のことよりも、リトリィを助けるのが先だ。
とにかく、壁は突破したんだ。
リトリィ、待っていてくれ。もう少し、もう少しで君のもとに行くから!
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