第189話:意思に

 ホプラウスの世話になった者が多い、とはどういうことだろう。

 その疑問は、即座に解消された。


 ホプラウスさんの従士じゅうしとして騎士見習いを経験した下級宮廷騎士出身の宮廷騎士は、結構いたらしい。従士とは騎士見習いのことで、騎士のもとで数年間、騎士としての立ち居振る舞いを修行する間の身分のことだそうだ。


 門衛騎士として、時には賓客を迎える立場にもあったホプラウスは、堅物ではあったが面倒見がよく、カネのない下級宮廷騎士の子弟をよく従士に採用し、指導してくれたのだという。


 そして、堅物ではあったが、熱烈に、平民の、それも獣人族ベスティリングの娘を口説き続けて妻にしてしまった話は、なかば伝説と化していて、いい意味でも悪い意味でも騎士たちの間では有名だったらしい。


「そうか、だから城内街への門を守る門衛騎士なのに、リトリィに敬意を払っていたのか。単にジルンディール工房の弟子だから、というだけじゃなかったんだな」

「尊敬するホプラウス様が愛しておられたシヴィー様が、犬属人ドーグリングだからな。城内街では確かに肩身が狭かろうが、身分、出身、種族の関係なく、シヴィー様のひととなりを愛されたホプラウス様の意思を、せめて我らは引き継ぎたいと思っている」


 ……あれ? でも、たしかホプラウスって人は、晩年、門外街の警備に左遷されたんじゃなかったか?

 聞いてみたかったが、そんなことを聞いたら、この騎士は間違いなく機嫌を悪くするだろう。聞かないほうがいい。


 少々話し込んでしまったが、さっきの夜の店勧誘野郎の特徴を改めて伝えると、門衛騎士は胸を叩き、怪しい奴がいたらひっとらえてみせると約束してくれた。


「いや、じつはな。最近、獣人の娘が行方不明になった、という話がいくつか届いているのだ。家出なのか失踪なのか、今の話の男と関連があるのか、それは分からないが、一応、用心しておくといい」




 結婚する、というのは、個人と個人の関係の結びつきだけじゃなくて、家と家との結びつきだと聞いたことがある。

 本人同士が愛し合っていても、本人の家族が、相手の家族と仲が悪くて問題になる、というのは、ドラマなどで見られることがある。実際、親戚同士の折り合いが悪いとか、そういう話も聞く。


 そういう意味では、この世界において天涯孤独の俺は、しがらみなど何一つないわけだ。気楽な身分と言えるかもしれない。

 だがそれは、後ろ盾となる身内が一人もいないということでもある。

 もしナリクァンさんがいなかったら、到底結婚資金を貯めるどころの話ではなかったはずで、本当に、自分の星の巡りには感謝するしかない。


「ふふ、ほんとうですね」


 リトリィが、俺の頬に舌を這わせながら微笑む。


「わたしも、あなたに出会うまで、男の人とこういう関係になれるかどうかなんて、もう、あきらめていましたから」


 リトリィの言葉に、俺は驚く。


「いや、そんなわけないだろう。君みたいな魅力的な女性が、そんな――」

「そう言ってくださるのは、ムラタさんが、ムラタさんだから、なんですよ?」


 俺の腕を枕にして、まっすぐ俺を見つめている彼女の淡い青紫の瞳には、月が綺麗に映り込んでいる。


「わたしを受け入れてくださって、こうして、愛してくださる方が、この街に、どれだけいると思いますか?」


 いや、瀧井さんとか、門衛騎士の人たちとか――数え上げようとして、やめた。彼女を一人の女性として愛する男は、俺一人でいい。


 それよりも、彼女の言葉の重みが胸に刺さる。

 俺が、瀧井さんとペリシャさんの縁をスタート地点として、人付き合いの輪を広げたからこそ、獣人族もヒトも、分け隔てなく付き合える人々とのつながりができているのだ。


 例の、あのリトリィを差別的に扱ったドライフルーツ屋の女主人、絡んできたあのガキども、腐れ警吏ども、そして絡まれている俺たちを遠巻きにするだけで一切関わってこようとしなかった街の住人達――あれらの姿を思い出せば、少なくとも城内街の一般的な人間の思考は透けて見える。


「ムラタさんは、きっと、神様が遣わしてくださった、特別なお人なんです」


 青い月明かりの中で、ふわりと、彼女がほほ笑む。


「ムラタさん、わたしを選んでくれて、ありがとうございます。あなたにお仕えできるわたしは、きっと――」


 そっと身を起こした彼女は、微笑みを浮かべたまま目を閉じると、俺と唇を重ねた。

 しばらく無言で絡め合っていた舌と舌の間を、銀の糸が名残惜し気につう、と伸びて、そして切れる。


「――きっと、世界で一番の幸せ者です」


 にっこりとほほ笑んだ彼女の頬に手を伸ばすと、その首をとらえて抱き寄せる。

 胸に抱え込むようにして抱きしめると、もう一度、唇を重ねる。


 長い長い、舌と吐息の交わりののち、身を起こした彼女が、再び俺の上にまたがった。

 彼女の腰をとらえると、俺も身を起こす。


 ――幸せ者は、俺の方だ。

 彼女に出会えた俺こそが、幸運をつかんだのだ。

 俺と出会ってくれた奇跡に、俺にひたむきな愛を捧げてくれたその意思に、俺は、全身全霊で応えるしかないではないか!


 息も絶え絶えにのけぞる彼女を抱きしめながら、俺は、彼女を絶対に手放すまいと──絶対に幸せにするのだと、改めて心に誓った。




「家の改造? ああ、もちろん請け負ったことは何度かあるぞ」


 マレットさんは、こともなげに言った。


「修繕ついでに戸口を広げるとか、壁を取っ払って大部屋にするとか、逆に壁をこしらえて小さな個室を作るとか」


 ああ、やはりそうか。石造り、レンガ造りが多いこの街は、ヨーロッパと同じだ。


 古い家を壊して新しい家を建てるのではなく、リノベーション──自分たちの生活・家族構成などの変化に合わせて、家の間取り、つまり部屋の大きさや数などを大幅に作り変えること──によって家を最適化することが、一般的なのだろう。


「ええと、シヴィーさんだったな? あの家の改装を請け負ったのか」

「実はまだ、正式に請け負ったわけではないのですが、少なくとも、テラスの修理は求められています。

 正式に依頼を受けましたら、実際の工事はそちらにお願いすることになるかと」


 俺の返事に、マレットさんは一瞬、目を見開いた。天井を見上げ、そして、また俺を見ると、ため息をつく。

 ただ、そのため息は、不快さを表しているようには見えなかった。


「マレットさん?」

「……いや、できてから十年近く経つはずだからな。雨ざらしの部分は、だいぶ傷んできているんだろう?」


 さすがは大工、よく分かっているようだ。


「オレも、基礎に関しては一緒に造ったし、完成した時は招かれてお茶会に参加したしな。

 ……そのホプラウスが病死したと聞いたときは、本当に驚いたもんだ」


 ──ああ、そういえば、そんなようなことを聞いた気がする。


「ああ。ぴんぴんしていたはずなのに、一週間ほど見ないと思ったら、すっかり痩せて、青黒い顔して死んじまったんだ」


 ──え? 何それどういう病気だ、そんなこと、初耳だぞ?


「あのときの、シヴィーさんの取り乱しようといったら、もう、声のかけようもなかった。あれ以来、ほとんどあの家には行っていないから、いろいろ感慨深いものがあるな」


 そういえば、個人的にホプラウスさんと仲が良かったようなことを言っていたような気がする。それを思い出させるような現場を紹介するのは、やはりよくなかっただろうか。


「……やめておきますか?」

「馬鹿言え、だれがイヤだと言ったんだよ、感慨深いっつったんだ。いやむしろオレ以外に誰がやるんだ」


 マレットさんは、ぐっと力こぶを作った右の腕を、ぴしゃりと叩いてみせる。


「任せとけ。家族のために一人でやり遂げたホプラウスの意思をちゃんと生かして、ピカピカに修繕してやるよ」

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