第三部 異世界建築士と思い出の家

第173話:「ここ」に根付く

 軽快に金槌の音が響き渡る。通りがかる人みなが、この小屋を物珍し気に見て歩く。


 それはそうだ。この街では、「木骨造」ならともかく、「木造」の建築物は莫大な税金を取られる。防火対策として、「外壁」の、ある一定以上の広さを、不燃材で作らなければならないからだ。


 詳しい額は知らないが、富豪のナリクァン婦人をして高い、と感じるくらいなのだから、相当な額のはずである。


 そこへ、どこからどう見ても完全フル木造のこの家。そりゃあ珍しいだろう。レンガ造りの基礎と、石とレンガで出来たキッチン以外には、木材しか使われていないのだから。


 だが、この小屋を建て始める前に、リトリィ、そしてペリシャさんと一緒に、関連する法律を図書館や市役所で徹底的に調べてみたが、どこにも「外壁全体のうちの何割か」「外壁の乾燥重量の何割か」、などとは書いていなかった。外壁の壁面の不燃化を、罰金という形でなかば義務付けてはいるものの、あくまでも「外壁の壁面」なのである。


「……ムラタさん、お顔がなんだか、怖いです。どうかされましたか?」


 全てを確信した俺が浮かべた笑みに、リトリィがすこし、おびえてみせた。




 外壁は、先日、ヒヨッコたちが組み上げた。ヒヨッコたちのうち、バーザルトを中心とした「屋根裏部屋チーム」は、予定になかった屋根窓を造るために、頭をひねっている。


 使いやすい高さと、日光を取り入れるための高さ。そして、増設に当たって強度を確保するための、補強。ベテランの大工や俺に質問しながら、仲間同士で折衷案をまとめ、つたないながら図面を引いている。


「ムラタさん、屋根窓の大きさですけど、これで確定していいですか?」

「お前たちが、気持ちいい朝を迎えるにちょうどいい大きさだと思うなら、それでいい」


 俺の言葉に、ヒヨッコ大工たちが再び顔を突き合わせる。


「ほらみろ、絶対にもう少し大きいほうがいいって!」

「だから、これ以上大きくすると補強の問題が……」


 そうして、またああでもないこうでもないと議論が始まる。だが、おおよその大きさは決まっているのだ。あとは、彼ら自身が納得するデザインにできるか、である。

 まあ、この分だと午前中のうちに作業に取り掛かれるだろう。


 それ以外のメンバーは、今日は野地板にアスファルト塗料を塗りつけている。手際は決して良くないが、まあ、何事も経験だ。

 日本だと防水シート――アスファルトルーフィングを敷くところだが、この世界ではそれがない。その代わりがアスファルト塗料というのだから、奇妙な一致を感じる。


 アスファルトはもちろん天然アスファルトだろう。どこで産出するのだろうか。アスファルトがとれるなら、当然その地下には石油が眠っているはずだ。


 分留法を使うことで、ガソリンや軽油、重油なども作ることができる――はずなのだが、当然、理屈を知っているだけで、実際にそれができるかというと、俺にはできない。

 あの瀧井さんがいて、石油が製品化されていないのだから、瀧井さんにもどうすることもできなかったのだろう。


 マイセルも、今日は屋根組に交じって、板を張り付けている。手がアスファルト塗料で真っ黒だ。


 そういえばアレで、俺とリトリィはちょっとしたトラブルになったんだっけか。

 体が貼り付いてしまって、取るのに苦労した、あの日。

 一応、この塗料を溶かすための溶剤はあるようだが、一体何で出来ているのか、あのぴりぴりと肌を刺すかのような刺激のある液体。リトリィの腰に残る白っぽいまだら、アレの原因だ。


 アスファルト塗料を塗り終わったところで、あとは一度、固まるまで置いておくことになるそうだ。実際には、屋根窓の工事も入るから、それが終わってから再開ということになる。


 撥水はっすい能力を持つアスファルト塗料だから、塗り終わってしまえば、あとは多少の雨が降っても問題はない。ここまで天気が続いて助かった。

 素焼きテラコッタ瓦は、すでに届いている。下塗りのアスファルトが固まったら、今度は瓦の接着だ。




「ムラタさん。そろそろお昼にしませんか?」


 下から聞こえてきたリトリィの声に、太陽が中天近くまで登っていることに気が付いた。そう言えば、さっきから美味そうなスープの香りが漂ってきているし、街も昼食の時間なのだろう。


 そう思っていたら、なんとリトリィが中心となって、奥様方の炊き出しが行われていた。ずっと屋根裏で手伝っていたから、気が付かなかった。


 一人一人にパンとスープが配られる。パンにはたっぷり獣脂が塗られ、腸詰肉ソーセージが挟まれていた。スープも、野菜と肉がたっぷり入っている、具沢山のもので、すするというよりも、明らかに食う、という感覚である。


 味は――うん、山で食べていた、だ。

 思わずリトリィを見ると、にっこりと、小首をかしげるようにして笑ってみせた。以前、食べたいと言ったから、この味にしましたよ――そう言いたげに。


「うん、うまい。ありがとう、リトリィ」


 右の親指を立ててサムズアップしてみせると、リトリィがはにかんでみせる。


「まだまだ、おかわりはいっぱいありますから、たくさん召し上がってくださいね」


 リトリィの言葉に、見習いたちが一斉に群がってゆく。さながら、こぼれた砂糖にたかるアリのようだ。


「これが、ムラタさんのお好みの味なんですね」


 マイセルが、何やら真剣な様子で器を見つめている。


「好みというか……。ここにきてからは、この味に慣れたというか」

「じゃあ、元はどんな味がお好みなんですか?」


 ――元の味。


 味噌。

 醤油。

 昆布出汁、いりこ出汁、鰹出汁。


 ……どれも、もはや手に入らないものばかりだ。


 いや、工夫すれば何とか作り出せるのかもしれない。

 だが、味噌と醤油は大豆の発酵食品だということは分かっていても、どうやって作るのか、そこが分からないのだ。


 何年も――もしかしたら何十年も研究すれば、日本で食べていた味を再現できるようになるのかもしれないが、そのころまでに、俺は、「味噌の味」というものを覚えていられるのだろうか。


「……もう、忘れた」

「忘れた? ――その、ムラタさんの、ふるさとの味でいいんですけど……」

「もう、ふるさとには帰らない。だからもう、二度と味わうこともないだろう。――もう、いいんだ」


 マイセルが、ひどく戸惑っているのが分かる。

 そりゃそうか。ふるさとを捨てる――そんな言い方に聞こえただろうから。


 この街には瀧井さんがいて、しかし味噌も醤油も、まだこの街では見かけていないのだ。

 あの、農業のプロフェッショナルで、日本酒まがいの酒を生み出した人がいて、それでも、だ。

 ならば、きっと、俺ごときには味噌も醤油も簡単には作れないに違いない。


 ネットがあれば、作り方など簡単に分かったかもしれないが、この世界にはネットなど無い。仮に、魔法的な力で情報交換ネットワークが実現していたとしても、日本で得られたのと同等の知識が、こちらで得られるとは到底思えない。


 結局、「ネットで調べればわかる」は、「ネットがなければ何もできない」の裏返しだ。


 「現代人なんて、電気が使えるだけの猿にすぎない」というようなことを、どこかで聞いたことがある。

 確かにその通りだと思う。現代文明に浸りきって、それを利用することしかしてこなかった、俺のような現代人は、きっと、江戸時代の人間よりも、個人でできることは少ないのだ。


 なんといっても俺自身、リトリィのナイフがなければ、火の一つも起こすことができないのだから。




「ムラタさんは、この街でずっと暮らしていくんですよね?」


 マイセルの言葉に思わず聞き返した俺に、彼女は嬉しそうに答えた。


「だって、もう、故郷には帰らないつもりなんでしょう?」

「……そう、だな」

「よかった! 私、この街から出たことがなくて! もし旅に出られるなんてことになったら、ちょっと困っちゃうところでした!」


 無邪気に微笑む彼女に、チクリと胸が痛む。


 帰らないんじゃない――思わず出そうになった言葉を、ぐっと、飲み込む。


 帰らないのではない。

 ここに根付くしかないのだ。


 ――帰れないんだよ。

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