第150話:自分を信じる(2/2)

 九刻――およそ午後二時――の鐘に合わせて現場に来てみると、マイセルとマレットさんがそこにいた。

 一時間も前ならだれもいないだろうと思っていたのに。

 鏡がないのが本当に残念だ。どうか、普通の顔でありますように。


「あ、ムラタさん! 来てくださったんですね!」


 マイセルが笑顔で駆け寄ってくる。

 瀧井さんが、最後にかけてきた言葉が頭をよぎる。

 マイセルが、本当に好きな人は――


「……ムラタさん? 目のふちが赤いですよ? どうかされましたか?」


 ……やっぱりか。

 この世界に来てから、俺の涙腺は緩みっぱなしだ。

 まさか広場のベンチで、それも真っ昼間に、瀧井のじいさんの膝で泣くことになるとは。


 そして無様に泣いた証を、よりにもよって――マイセルに見抜かれるとは。かっこ悪いったらありゃしない。


「どうした? 目にゴミでも入ったか? 水でよければ、ここにあるぞ?」


 マレットさんが、そう言って水筒を投げてよこす。


「ああ、……いや、大丈夫です。もう」


 かろうじて受け取った水筒を返そうとすると、マイセルがそれを押しとどめた。


「だめですよ、目は大事なんですから。見てあげますから、そこに座ってください」


 マイセルが手を引いて、材木の上に座らせようとする。なんと世話焼きな娘だろう。


「いや、本当にもう、大丈夫だから。――マイセルは本当に優しいね、心配してくれてありがとう」


 俺の言葉に、彼女の顔が耳まで真っ赤になる。


 ――ああ、これだ。

 マイセルはずっと、こんな調子だった。

 どうして俺は、このマイセルの様子を見て、を思い浮かべている、などと考えることができてしまっていたんだろう。

 我ながら、本当に卑屈な考え方だった。




「で、ムラタさんよ。明日のために、寸法を合わせて墨付け (切る位置に線を引く作業)だけやってるんだが、なんなら切っておこうか?」

「助かります。明日もヒヨッコたち、ですよね?」

「そのつもりだが」

「でしたら、あらかじめ切っておけば、明日もヒヨッコたちの監督に専念できますから」

「任せろ」


 これだけで、まるで長年コンビを組んできたかのように通じるところがありがたい。

 マイセルがペンとインク壺を貸してくれたので、俺も墨付けを始める。


「ハマーくんはいま、どちらに?」

「資材を取りに行っている。さっき出たばかりだから、ちょいとかかるだろうが、なに、そのうち戻ってくる」


 墨付けを終えた資材を、マイセルと一緒に別の場所に積み上げ直す。

 マレットさんが、それを切り落とし、さらに別の場所に積む。

 一連の流れ作業で、黙々と材の加工を進めていく。


「……マイセルは、よく働くだろう?」

「そうですね。マレットさんが自慢するだけのことはあります」

「いつ持って帰ってもらってもいいからな」


 そう言って笑うマレットさんに、マイセルが頬を染める。


「お、お父さん! お仕事中にそういう話はやめて!」

「何言ってやがる。昼飯どきには、あんなにしょぼくれてたくせに。今やけに張り切ってんのは、つまりそういうことだろうが」

「お父さん……!」

「とまあ、こんな娘だ。煮るなり焼くなり好きにしてもらって構わんが、大工の仕事だけはまだ仕込んでねえんだ」


 そう言って、水筒の中身をあおる。


「――今後、アンタとはだろうし、いろいろ仕込んでやってくれ。ただ、大工の基本だけは、ウチで修行させてやりたい。だから、今回の件も含めて世話になる。

 ――よろしく頼む」


 ……リトリィと似ているな。

 それにしても、マレットさんの言葉は――つまり、マレットさんも、そういうつもりだったんだな。


 瀧井さんがおっしゃっていたことにつながるが、マレットさんがあれほど俺の案――俺が設計をし、構造への助言をし、大工が家を建てる――をあっさりと飲み込むことができたのも、つまりなのだろう。



 ――それはつまり、マイセルを介して新しい技術を取り込もうというのだろう。

 リトリィを差し出して、“界渡り”をしてきたであろう俺から、なにがしかの知識を得ようとしたであろう、親父殿ジルンディールと同じように。


 だが、それも当然だろう。マレットさんは、技術者としての働きを公的に求められるかばね持ちなのだ。

 それにマイセルが、マレットさんの意図とは別に、純粋に俺を好いてくれていることも、理解することができた。


 己の立ち位置を理解し、必要とあらば、親父殿の意向に従って俺を篭絡しようとしたかもしれないリトリィ。

 だが、リトリィは、それを正直に教えてくれた。そしてリトリィにも、悪意も無ければ俺を利用しようとする意図も皆無だということ――それも、もう十分に分かっている。


 立っているものは親でも使え、という言葉がある通りだ。むしろ、俺の知識を利用することでリトリィが、マイセルが、幸せになれるなら――うまく活用するのが俺の生きる道なのだ。


「……かまいませんよ。むしろ、マイセルが早く一人前になれるように、人一倍厳しく仕込んでやってください」

「マイセル! お許しが出たからな、覚悟しとけ」


 マイセルが不安げにこちらを見るが、俺は微笑んでみせるだけだ。まあ、職人の道はどんな仕事であろうと厳しい。頑張れマイセル。


「お前には道具の使い方は教えてあっても、大工の技術の一つもまだ教えてないからな。嫁に行くのは、せめて継ぎ手の一つも覚えてからにしろよ!」


 ガハハハ、と豪快に笑う。


「嫁……」


 どう反応していいか分からず固まった俺の代わりに、マイセルがマレットさんの頬にを焼き付けたのは、まあ、マレットさんの自業自得だろうな。




「……ムラタさん。マイセルって本当に魅力があると思いますか」


 ハマーが、材木を牛車の荷台から降ろしながら、ぶっきらぼうに聞いてきた。


「どういう意味だ?」

「金槌仕事がしたいなんておかしなことを言う女の、どこに魅力があるのかと思って」


 マイセルは、マレットさんの鋸引きの手伝いをしていて、今はこちらにいない。

 だからこそ聞いてきたのだろう。


「兄貴としてぶっちゃけますけどね。飯は確かに美味いけど、どっか不器用で裁縫下手だし、体つきはいろいろでガキだし」


 ああ、それ、マレットさんが言っていたな。飯は美味いが裁縫が下手。

 それから、ハマーの好みは、つまりリトリィみたいな体つき、ということか。


 ……そこは全力で首を縦に振るところだが、しかし個人的な好みで人を否定するのはよくないな。

 例の占いの歌でも言っているだろう、女の人を胸で判断するのは、良くないことですよ~。


「第一、あいつの趣味、知ってます? カンナ掛けですよ? いかにカンナくずを薄くできるか、それを追求するのが楽しいって言ってる変人ですよ? そのためだけに刃物の研ぎ方も研ぎ師から教えてもらってて、あいつのカンナも、自分の手に合わせて角を削ったりしてて……。

 だからカンナ掛けと刃物研ぎ、それだけは職人級に上手い、おかしなやつですよ?」


 ……なるほど。


 カンナ掛けが趣味というのは初耳だ。それで、そのためだけに身に付けた刃物研ぎの技術も高いと。

 俺のナイフの切れ味が落ちたら、お願いするのもアリかな? どちらも大工をやるなら重要な技能だ、それが高いというのは素晴らしい。


「おまけに化粧もへたくそで、今日の午前中、あんたと出かける前、一度家に帰ったあとちょっと時間がかかってたのは、母さんたちに二人がかりで化粧してもらっていたから、らしいですよ?

 はっきり言って、オンナを捨ててるって感じですよ。そんな妹の、どこに魅力があるんですか?」


 ……ああ、あの時、戻ってくるまでに少し時間がかかったのは、そういう裏事情があったんだな。

 まあ、化粧の仕方なんて、母親からいつでも学べるのだ。どうせ俺自身、大して気にしない。

 というか、多分厚塗りでもしない限り気づかない俺にとっては、さして重要ではないな。


「ますますおもしろい子だな。偏りはあるのかもしれないが、自分の信じる道に妥協しない生き方は、好感が持てる」

「……変人同士で通じるものがあるってことですか」


 呆れたように、面と向かってひどいことを言う。それじゃ俺もマイセルも変人ってことじゃないか。


「何を今さら。こんなゴミみたいな材で家を建てることを思いつくあんたの、どこがまともだっていうんだ」

「そう言いつつ手伝ってくれて助かる。ありがとう」

「と、父さんがやれっていうから、仕方なく……!」


 ぷいと横をむいたところで、マイセルがやってくる。


「あ~っ、お兄ちゃん、またムラタさんを困らせてる。ムラタさんはもう、お兄ちゃんにとっても他人じゃないんだからね!」

「……分かってる! 今はべつに困らせてなんかないだろう! お前に迷惑なんかかけないって」


 ……そういう認識ね、なるほど。


 今さら、俺はこの家族が、俺を、どのように扱っているかを理解できた。

 なぜ食事に誘うのか。

 なぜ泊まって行けと言うのか。


 ……同業者だから。

 確かにそれなら他人事ではない。なにしろ今回の現場の総責任者は、俺なのだから。


 ――今朝まで、そう思い込もうとしてきた。

 だが、たぶん――いや、間違いなく、それだけではない。


『お前さんを信じてついてきてくれる人を、その想いを、信じなさい。

 誰かにを、信じてあげなさい』


 瀧井さんには敵わない、本当に。


 ――いや、違うな。

 俺は、結局、誰にも、敵わない。


 一人で勘違して、一人で踊ってきた俺を、誰もが、見守ってくれていた。


 あの、アイネだってそうだろう。リトリィが選んだ俺という男を、ずっと見定めようとしてくれていたに違いないのだ。

 俺という存在を、彼女を任せられる男にするために。


 ああ、もちろん、腹は立つけどな!

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