第104話:こだわり
数日かけた土地改良作業も終わり、いよいよ基礎、つまり壁を作るための土台を作る作業に移る。これはもう、レンガ積みに慣れた大工さんたちの出番だ。
というわけで、レンガ積みの日は、三刻――八時ごろに集まった大工さんたちに指示だけして、あとはプロフェッショナルの働きを邪魔しないように、モルタルをひたすらこねたり、レンガを運搬したりする一日となった。
いやマジで腰が痛いのだが、とっとと作業を済ませないと、雲行きが怪しいのである。大工さんの話では、夕方あたりから雨が降りそうだ、とのことだった。
もしかしたら、明日も降り続けるかもしれないとのことである。
コンクリートもモルタルも、よく誤解されているのだが、あれは粘土が固まるように「水分が抜けて乾燥する」のではなく、化学変化によって硬化していくのである。たとえ水中でだって固まるのだ。だからいちど固まり始めれば、雨が降ったって、低温のために硬化時間が長くなることはあるが、大きな問題にはならない。
だが、作業を雨で中断などさせたくない。よって、素早く作業を進めるためにブロック工法を採用。さらに、プロフェッショナルの大工が快適に作業できるように、こちらはひたすら下働きだ。
おかげで、なんとか十刻――昼の三時過ぎには作業を終えることができた。奥様方のお手伝いと、ブロック工法――工事する場所を区切り、それぞれの区画ごとに手分けして同時に作業を進める方法――を採用したおかげである。
これにはこだわった。
はじめはなかなか理解してもらえなかったが、作業のペースを上げるためにはたいへん有効なのだ。
よって、ここはなんとか大工さんたちに理解してもらうために、プレゼンテーションをぶち上げたのだ。
このこだわりのおかげで、今日は日が暮れるまでには作業を終えることができた。いやあ、もう動きたくない。ていうか、動けない。
それにしても、この、基礎の出来栄えを見るというのは好きだ。なんといっても、基礎はそのまま、部屋の形を表している。この上に、これから家が建つのだ。
柱を組み上げて一気に屋根までかけてしまう、日本では一般的な木造
そのため、建て方始めの初日に棟上げまでできる、ということはない。それでも床ができ、壁ができていくさまを見るのは、本当に感慨深いものだ。その日が来るのが待ち遠しい。
それはのちの楽しみとして今は置いておくとして、まずは基礎だが、ここまでくれば、もう雨が降っても大丈夫だ。
雪に降られるとモルタルの反応の問題でさすがに困る――ブルーシートなどで保温が必要になるが、そんな便利なものはもちろんこの世界にあるわけがない――が、このあたりで雪が降ることはあまりないらしいし、氷ができるほど寒くなることもあまりないようだ。それを信じるしかない。
あとはモルタルの硬化を待つためにも、養生期間といって、何日か寝かせておく必要がある。作業はこれで一度、中断だ。
「ふふ、
リトリィが、俺の左腕にぶらさがるようにして、店を回る。
そういえばそうだったか。瀧井さん宅に訪問する前、ドライフルーツを買ったあの時以来だ。食べ物を買うために屋台を回ったことは何度かあったが、こうして、特に何を買うでもなく市場をめぐるのは、……初めてかもしれない。
冬の十刻半過ぎ――十六時近くともなると、日もすっかり傾き風も冷たくなってくる時間帯だ。だが、リトリィがぴったりと寄り添って歩いてくれるおかげで、なんだか温かい。
――というか、彼女は俺の左腕を胸に抱え込むようにして歩く。その豊満な胸の柔らかさを堪能できるというのはなんとも気分のいいものだが、それよりも、ちゃんと隣を歩いてくれているのが本当に嬉しい。
城内街では、一歩後ろに下がって歩いていたリトリィだが、ここ門外街の市場では、そんなことを気にする必要がないからだ。
多少、リトリィへの視線が気になるような輩もいないわけではないが、そんな人間などほとんどいない。
リトリィほど動物っぽさが表れている獣人は見かけないものの、それでも獣人にはたまに会うし、店主が獣人という屋台もあったりする。
城内街で暮らすのは論外だが、門外街に設計事務所を構えるのであれば、ありかもしれない――そんなことを思いながら、市場を歩く。
「ムラタさん、ちょっといいですか?」
リトリィが足を止めたのは、古着を扱う店だった。
「ムラタさんの服、買っていきましょう?」
「いや、いいよ。今着ているもので十分だから」
俺が今着ているものは、アイネたちが着古したものを、さらに俺に合わせてリトリィが仕立て直したものだ。あちこち継ぎが当たっているものだが、リトリィがそれなりに品よく誤魔化しているものだから、大して気にならない。
第一、この服は「瀧井さんと会うため」にリトリィ自身が選別した、わりとマシな服だ。市を歩く人々と比べても、そう劣っているようには見えない。
そもそも俺は居候の身だ。服なんかに贅沢は言えない。
この世界に来た時に着ていたスーツは、あらためて洗ってしわを伸ばし、大切に保管してある。いつか日本に帰るときのために、と思っていたが、たぶん、もう着ることはないだろう。
「だめです。ムラタさんの本業は大工さんじゃなくて、お客さんとおうちのことを話し合うお仕事なんでしょう? 相手の方を不快にしないように、身なりを整えないと」
「リトリィが仕立て直してくれたこの服がいいんだ。俺のためにリトリィが手間をかけてくれたっていう事実だけで、俺は満足なんだ」
これは正直な気持ちだ。彼女が俺のために仕立て直してくれた、それだけで、俺にとっては新品の服であったとしてもかすむくらいの価値がある。
真正面からそう言ってのけると、リトリィは恥ずかしそうにうつむき、しかし顔を赤らめながらもまた、俺の目をまっすぐ見て言った。
「……だめです。
いや、どのみち古着なんだから大して違わないだろうと思ったのだが、リトリィは譲らなかった。ほかにも古着屋はあるのにここを選んだ理由は、扱う品の程度や品質管理について、鼻で良しと判断したからのようである。
リトリィが店主に、「主人の服を選びたい」と話すと、俺の頭から足のつま先まで見られて、更に古ぼけた品を薦められた。どうも金のない客と見られたらしい。
リトリィは少しムッとしたようだったが、俺が気にしないと言うと、申し訳なさそうな顔をした。
そして、外がすっかり暗くなり、店主が悲鳴を上げるまで、俺は着せ替え人形にされていた。
……俺が悲鳴を上げたかった。
「ふふ、ムラタさん、かっこよくなりました」
すっかり暗くなって足元のおぼつかない道を歩きながら、リトリィが嬉しそうに俺を見上げる。
彼女が選んでくれた服は、生地も柔らかく温かい。このひとそろいだけで、一時間くらいかけただけのことはある。
閉店時間をこえて顔をひきつらせた店主に、さらに値引き交渉を開始し始めたリトリィ。
その頃には思考を放棄していた俺は、何やら救いを求めるようにこちらを見る店長に、うすく微笑みを返すことしかできなかった。
そんなこんなでようやく開放された俺の傍らを、リトリィは両手に服を抱えて、実に満足げに歩く。
もちろん、買ったばかりの服を俺に着せた上で、だ。
だが、抱えている服の大半は、彼女が俺の分として買ったものばかりだ。
彼女自身のものといえば、俺が押し付けるようにして買わせたワンピース以外は、ほとんど肌着や下着ばかり。――ショーツまで古着で良しとするたくましさには舌を巻く。
ただ、レースをふんだんに使ったランジェリーの類が、その服の山の間にこっそり存在するのを、俺は知っている。会計もわざわざ分けていることから、たぶん、サプライズのつもりなのだろう。
なんて可愛らしく、いじらしいのだろう!
思わず抱きしめてしまい、その拍子に服が地面にいくつかこぼれ落ちる。
落ちたものを見て、リトリィが悲鳴を上げて拾い集める。
……やたら過激なショーツがあったのは、見なかったふりをした。
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