第42話:くさび(1/7)

「どうか、したんですか?」


 背後から、鈴の鳴るような声。

 ――いつの間にいたのか、気づかなかった。


「昼はまだ暑さが残っていますが、夜は冷えますから。そろそろ、お休みになったほうがいいですよ?」


 振り返ると、そこに、彼女がいた。


 見慣れた貫頭衣すら身に着けていない――複雑な文様が刺繍された、幅の広い帯を腰に巻いた姿のその上に、月の明かりすらも通す薄手の、ショールのような布を羽織っただけの格好のリトリィ。


 三つの月の中で最大の大きさを誇る、青白い月の光の中で、本来金色のはずのリトリィの肢体は、銀色に輝いている。


 視線を遮るどころか、むしろ下の肌を、豊かな乳房を浮きだたせるかのような薄手のショールをまとったリトリィは、意識しているのかいないのか、やや伏せがちにしている目と、その長いまつ毛も相まって、彼女のイメージを、清楚から妖艶に覆している。


 衝撃に思わず立ち上がりつつ振り返――ろうとして、その拍子に足が絡まり、そのまま背中から地面に倒れる。頭は打たなかったが、尻餅をついたときの衝撃で息が詰まり、動けない。


「ムラタさん――!」


 仰向けに倒れた俺の目の前に、小さな悲鳴を上げたリトリィが駆け寄ってきて、かがみこむ。


 ――その肢体が、暴力的に視界に飛び込んできてしまう。


 豊かな胸は薄いショールに覆われ――ているのだが、それを形では何の意味もなさない。むしろ、月光を透かすショールのドームを支える張りのある美しい乳房、という絶景を創り上げてしまっている。


 さらに、彼女がかがみこむときに俺が上目遣いに見上げていたせいで、帯でかろうじて隠されていたはずの部分――銀の体毛に覆われた、一本の、わずかに開きかけた裂溝――が顔に向かって迫ってくる様子を、俺の灰色の脳みそは、この上なく高画質高精細で、克明に記憶してしまった。記憶が鮮明なうちにクラウドサーバーに転送したいくらいに。


 彼女は俺の頭を持ち上げ、ひざに乗せ、後頭部をさする。さすりながら、取り乱した声で呼びかけ続ける。


「ムラタさん、大丈夫ですか!? 起き上がれますか、痛むところはないですか!?」


 ――まただ。またしても彼女にいらぬ心配をかけてしまった。

 申し訳ないと思う反面、この眼福に過ぎる光景を楽しんでしまっている自分もまた、存在している。


 ――彼女は、今、俺がどんな思いで、視線を遮っているこの重たげなものを見上げていると考えているのだろう。


 胸の奥にわいてきた感情を、我ながらよこしまな心だと自覚しながら、彼女の空いた手を取る。


「ムラタ……さん?」


 真上からでは、胸に隠れて見えないからだろう。体を傾けて覗き込もうとした彼女を、

 ――引っ張る。


 「え――?」


 訳も分からず発せられた、戸惑いの声。


 浮き上がる彼女の腰。


 俺の顔面を押しつぶし窒息させる、意外とふくよかで柔らかな下腹。


 勢いに乗って俺の腹を強打する、ぶるんと揺れる双丘。


 間抜けな金属音を響かせる勢いで俺の股間に飛び込んできてしまった、リトリィのかお


 そして――その体重が乗ったがゆえに、地面に散らばる小石が腰に背中に突き刺さる俺!


「ぐぇあおぅっ!?」


 思わず彼女の体を放り出――すこともできず、七転八倒――することもできぬ有様!


 背中が! 腰が!! ゴールデンなボールズが!!

 何やってんだ俺!

 地面に寝っ転がったところに、一人分の体重が勢いをつけてのしかかってきたら、こうなるのは当然だろうに!

 童貞力ってのはこんなところでも――厄災をまきちらすのか、ちくしょうめ!

 せっかくのいい雰囲気っぽかったのが……台無し! 台無しだよ、俺!




「――ムラタさん、いじわるしたばちが当たったんですよ?」


 身を起こし、女の子座りをして、頬を膨らませたリトリィが、とても可愛らしい。

 可愛らしい……可愛らしいが、背中が! 腰が! ゴールデンなボールズあらため下腹が!


「……知りません。屋敷の外で、一人でずっと膝を抱えて座ってたから、心配したのに。わたし、馬鹿みたいです」


 地面でもだえる俺を半目で見下ろしながら、しかしそこから、動こうとしないリトリィ。


「もう、男の人って、本当にしかたがないですね。お馬鹿さんなのはお兄さまたちだけだと思っていたら、ムラタさんも同じくらいお馬鹿さんだったなんて」


 こっちに来てくださいと言われ、這いずるようにそばによると、両脇に手を差し込まれ、つかまれて引っ張られ――

 その、柔らかな腹に顔をうずめるように抱きかかえられる。シャツをまくり上げられ、背中をさすられる。


「ほら、血が出てる。、ムラタさんが怪我をするに決まってるじゃないですか。どうしてあんなことしたんですか」

「あ、あんなこと?」

「私の手を引っ張ったことです。急だったから、ムラタさんの上に倒れちゃったじゃないですか」


 ため息をつきながら、それでも背中をさすり続けてくれる。


「男の子がいたずら好きっていうのはお兄さまたちで分かっていたつもりですけれど、ムラタさんも同じだとは思いませんでした。私よりずっと年上なのに」


 ……いや、うん、なんて純真なんだリトリィ。いたずら心はあったけど、いたずら心というより下心でした。


 うん、ごめん。

 ごめん、と言っといてなんだが――


 リトリィの腹に顔を押し付けられながら、彼女の秘所がすぐそこにあるこの状況に、俺は、混乱状態の絶頂にあった。

 俺を膝の上に引っ張り上げたとき、腰の布がずれてまくれ上がり……!

 顔は下腹にあり、口元は彼女の――


 ま、まずい、この体勢は本当にまずい――!

 俺の果てしない動揺を知ってか知らずか、背中をなでさするリトリィ。


「ほんとに、男の子って、大きくなってもみんな一緒なんですね。いたずら好きで、いばりんぼで、そのくせ、甘えんぼさんで」


 ああ、さすられることで背中の痛みが和らいでいく。

 和らいでいくのだが……


 ――だめだ、彼女の腹に、鼠径部に顔をうずめている今の体勢は、少々どころでなく刺激が強すぎる!

 いくら今日、あの数分の間に大人の階段を一つ、上ったからっていったって、こっちの秘洞への冒険は、その、俺にとってはあまりにも人外魔境の境地――!


「あ……あの、あまり――」


 俺の背中をさすりながら、リトリィの、か細い声。

 ふっ、はうっと、ため息を漏らしながら。


「――あまり、その、息を吹きかけないでもらえますか? その……」


 ……息。

 や、やっぱりか!

 いや、うん、自覚ある、荒くなってる、けど――!

 そんな俺の焦りはさらなる呼吸の荒さにつながってしまい、リトリィがさらにもだえるように、ふとももをよじらせる。


「ご、ごめんなさいっ……くすぐったくて――」

「ごめん!」


 慌てて地面に手を突き体を起こそうとし、

 その後頭部に、ふよんという、柔らかくも重い衝撃。


「ひゃむっ」


 リトリィの、顔を何かにうずめたような、くぐもった悲鳴。

 そのまま固まる、俺。

 柔らかな衝撃物は、そのまま二つに割れて、俺の頭を挟むような形になって落ち着く。


 ――この状況、どうやったら、言い訳が効く?


「……ムラタ、さん?」


 ――ええもう、そりゃあ頬に紅葉を散らす覚悟なぞ、とうにできましたとも。


「ほんとうに……ほんとうに、男の子って――」


 声が震えている。


 あ、ほっぺたに紅葉、どころじゃ済まんわコレ。

 俺死んだ。はい死んだ。

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