第40話:楽しさ

「親方、明日もオレらに鎌、作らせてくれるんスか!」

「ああ、好きにしろ。ただしジルンディール工房に泥を塗るようなヘボいモノを作ったら首だからな」

「分かってるっスよ親方!」


 アイネが狂喜している。特に感情をあらわにしていないフラフィーと違って、作品に自分の銘を刻むことができるというのが、アイネには嬉しくてたまらないらしい。


「兄貴! 俺思うんスけど、あの角度、もう少しだけ内向きにしたら、刈りやすくならねぇスかね?」

「内向き? そんなことしたら、ヘタクソが自分の足を刈りやがるぞ」

「じゃあさ、熟練向けっていう形で売るとかすりゃあダメかな」


 やいのやいのと、アイネはフラフィーと、明日挑戦する麦刈り鎌の仕様について熱心に語り合っている。実に楽しげだ。仕事に楽しみを覚えるというのは、俺にも心当たりがある。ありすぎるくらいだ。


 おかげで、俺の隣で甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるリトリィに気づいていないらしい。親方も、いい目くらましを投入してくれたものだ。


「……あの、ムラタさん?」


 種なしパンにザワークラウトと腸詰肉を挟んで渡してくれたリトリィの手を、そっと握ってみる。

 小さい手だ。おそらく、種族的にそうなのだろう。人間の手は、大きく広げればだいたい自分の顔を覆うくらいの大きさがある。彼女の手は、たぶん、それよりも小さい。


 この小さな手で鍛冶仕事? 多分、かなり不利だと思われる。にもかかわらず、アイネに言わせれば彼女は優秀な鍛冶師見習いだそうだ。きっと、努力の人なのだろう。


「リトリィは、鍛冶師をしていて、楽しいのか?」

「……どういう、意味ですか?」

「いや、初めて見たとき、剣を磨く仕事をもらったんだっけかな? 嬉しそうにしてたけど、今はずっと俺のそばにいるだろ? 鍛冶仕事をしなくていいのかなって思ってさ」


 目を見開き、目が落ち着かなく泳ぎ、そしてうつむく。


 あ、コレは恥じらってる顔だ。

 そんなことも、瞬時にわかるようになった。

 ――本当に、知れば知るほどその魅力が増してくる。彼女と共に居たいと思ってしまう。


「……鍛冶のお仕事はとっても楽しいです。金槌を振るってるとき、あの火花が飛び散るのが、すごく好きです。無心になって打ってると、つい叩き過ぎちゃうくらいに」


 そう言いながら、彼女は空になった俺の皿を流れるように手に取り、スープを装う。

 本当に、ごく自然に給仕のできる娘だ。この仕込みをなさった親方の奥方というのは、相当にできる人だったに違いない。


 それにしても「仕事が楽しい」、か。


 俺も、木村設計事務所での仕事は大変だったが楽しかった。

 まだこの世界に来てからそんなに日数も経っていないように思うんだが、もう、ずいぶん昔のことのように感じてしまう。日本に帰るための手がかりは――今はまだ、かけらも見当たらないが。


「やっぱり、鍛冶をするには、私の手は小さいって思ったんでしょう?」


 上目遣いにそう言われ、図星だったので不躾な質問を謝っておく。

 リトリィはそんな俺を見て、むしろ嬉しそうに微笑んだ。


「いいえ? だって、あなたが私に興味を持ってくれるなんて、すごく、――すごくうれしいから」


 ぐ……。

 面と向かってそんなことを言われてしまうと、俺の方が目を向けていられない。頬が熱くなってくる。


「大変は大変なんですよ? お兄さま方の手に馴染む金槌も、私には大きすぎますから。これでも力はありますから、道具さえ整っていればお兄さま方に負ける気はないんですけど……。

 でも、やっぱり道具を自分用に揃えないと、いろいろ難しいことはありますね」


 そうだろうと思った。手の大きさは、そのまま仕事道具としての手の使い勝手に直結する。

 大きいことがよいことの全てだとは思わないが、それでも仕事における有利不利はあるだろう。特に、職人として生きる、そのためには。


 そういえば、大工は自分の使いやすい道具を自分で作ってしまうと聞いたことがある。カンナ一つを取ってみてもそう。熟練の大工は大小さまざまなカンナを持っていたし、どこで使うのか理解に苦しむ、変わった形のものも持っていたりもした。多分、必要に駆られて自作したモノたちだったのだろう。


 リトリィも、そうやって自分の手に合わせて道具をカスタマイズするところから始めなければならないのかもしれない。それは大変なことなのかもしれないが、同時に、プロフェッショナルを目指す彼女の、意識の高さもうかがえた。


「そうか……大変なんだな」

「でも、とっても楽しいです! 自分で何かを作るって、やりがいがあって」


 そう言って、自分も種なしパンにザワークラウトと腸詰肉を挟み、両手で持って食べ始める。


「楽しいですよ? 本当に。一日、焼けた鉄を見ていても、飽きないくらいです。鉄って、微妙な温度の違いで、いろんな性質を持つようになるんですよ。混ざりものの量でも強さが変わるから、その見極めが大事で。

 思った通りのものができると――ううん、思った以上のものができると、本当にもう、うれしくてうれしくて!」


 そこまで一気に語ったリトリィは、何かに気づいたかのように一度言葉を切り、そして、上目遣いで俺を見る。


「――でも、いまは、ムラタさんがいるから……いてくださるから」

「……この腕のことか? 俺なんてほっといてくれて問題ないぞ。自分のことくらい、自分で何とかしてみせるさ。第一、この怪我は今日の午後からで――」

「もう……。ムラタさんて、本当に意地悪な人です」


 リトリィは、うつむいてパンをかじりながら、目を閉じて、肩を寄せる。


、あなたの、んです。あなたの――」


 そして、こちらを見上げて、微笑む。


「お世話が、


 八つも年下の女の子の、その上目遣いにどぎまぎする。

 世話が楽しいとは、どういう意味なのだろう。やっぱりあれか、無力な存在を庇護することで得られる優越的な万能感――?


 いまだに被害妄想的なことを考えてしまう自分に苦笑する。

 もっと素直に考えろ。彼女は、そんなことで喜ぶような娘じゃない。




「ムラタさんは、おうちの設計図を描くのがお仕事で、今日みたいに現場で作業を直接するわけじゃないんですよね?」

「……まあね? でも、現場には一切行かない、というわけじゃなくて、施主さんと時々一緒に現場を見て、希望の変更があったら、その希望に合わせて修正案を提案する、って感じかな。家の設計図は描くけれど、直接家を建てるのは、ウチ……俺が所属していた事務所と契約していた工務店――大工さんに任せている」

「その……ぶしつけなことをお伺いしますが、お仕事は、楽しかったですか?」


 なるほど。俺が質問したことを、今度はそっちが質問してくるのか。

 しかし『楽しですか』か――


 リトリィに悪意なんてあるわけがない。

 俺の境遇が特殊すぎるだけだ。

 俺はあの世界を、過去にするつもりはない。

 俺は、必ずいつか、あの世界に――日本に帰るのだ。

 せめてあの家の実現を見届けたい。

 会心の出来だった、あの設計の実現を。


「ご、ごめんなさい。あの、兄も申しておりましたが、やっぱり私たち、一つのものを始めから終わりまで、自分で作り上げるっていうか、そこに楽しさがあるって感じていて……」


 俺のしばしの沈黙を、機嫌を損ねたとでも思ったのか。慌てた様子で弁解するリトリィに、かえって申し訳ない気持ちになる。彼女を責めるつもりなんて毛頭ないのに。

 ――仕事の楽しさか。


よ、設計の仕事は。俺が直接家を組み上げるわけじゃないが、やっぱり施主さんと一緒に一つの夢を造り上げる、と考えたらね」

「一つの夢を造り上げる、ですか?」

「ああ、そうだ。

 施主さんたちの夢――思い描く理想の家を、俺の提案で折り合いをつけて、その家庭にとっては決して安くない――むしろ重い契約を交わしてまで、俺の提案で実現させたいと考えてくれた施主さんとの、共同作業。それが、設計の仕事ってわけ」


 自分で言っていて、うん、クサい。歯が浮く。美化しすぎ。


 もちろん、そんなに甘い仕事じゃない。

 こちらの提案に対して、一緒になって真剣に考えてくれるお客さんばかりではなかった。

 徹頭徹尾、一円でも安く、としか言わないお客さんもいた。

 ネットで調べて印刷してきたやつを見せて、もっと安くできるはずだなどというお客さんもいた。


 だが、あえて木村設計事務所を選んでくる人たちは、とにかくある程度の没個性は覚悟しつつ、それでも安く家を建てたいという人たちだ。

 そんな人たちの夢をかなえる仕事。

 そう思わなきゃやってられないときも確かにあったが、そのことに誇りを感じて頑張る日々のほうがずっと多かった。


「共同作業……。あの、お客さんと意見が合わないとか、そういうときはどうするんですか?」

「親方はどうしてる?」

「……お客さんに、お金投げつけて追っ払っちゃいます」

「……やりかねないな、目に浮かぶよ」


 やりたいようにやる。職人の腕が十分に認められなければできない所業だ。

 ある意味、うらやましい。


「さすがに親方みたいなことはできなかったけど、実際問題、俺がうまく提案できなくて、別の事務所に行ってしまうお客さんも何人もいたよ。そんなときには、所長にどやされたもんだね」


 でも、設計の仕事ってのは、夢の実現の第一歩なんだ。俺の力不足を別の事務所が解決できるなら、施主さんにとってはその方がいい。仕方がない。

 理想と現実のギャップ、という奴だ。


「――だからこそ、俺の設計した家に納得してもらえたらこんなにうれしいことはないし、だから設計の仕事が

「じゃあ、わたしたちが一緒になったら、ちょうどいいのかもしれませんね」


 彼女の言葉に、どきりとする。


「だって、ムラタさんが新しいことを考えてくださって、そしてわたしたちがそれを形にできたら、すてきだって思いませんか?」

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