第17話:変える(1/2)

 例の半地下室。

 それが、俺に割り当てられた寝室となった。少々かび臭い部屋だが、個室を割り当てられているのはまあ、ありがたいと思っておくべきか。


 明かりのない部屋だが、ベッド以外は壁に据え付けられた棚以外何もない部屋であり、ベッドまでの直線上には何もないから、寝に帰ってくるだけなら何の問題もない。リトリィから受け取ったシーツを手に階段を降りてベッドを整える。


 こうして、改めてベッドを整えていると、ベッドの材料が、か何かだったことに気づく。そう言えば昔見た、少女がアルプスの山で生活するアニメかなにかで、わらでベッドをこしらえていたシーンがあったか。

 自分がそれを実践する日が来るとは思わなかったが。


 ごろりとそこに横になる。まあ、悪くはない。多少ゴワゴワする部分はあるが、まあ茎の固い部分が当たっているんだろうが、まあなんとかなるだろう。どうせ仮眠で、事務所の椅子を並べて寝ていた俺だ。大抵の場所でなんとか寝られてしまうのも俺の良さと言えよう。


「おう、いるな。……ええと、ムラタ」


 ノックもせずに入ってきたのは、フラフィーと、アイネだった。

 こちらの返事も待たずにずんずんとこちらに歩いてくると、サイドテーブルにカンテラを置き、二人とも、部屋の隅に転がっていた木箱を椅子にして座る。


「リトリィから聞いたぞ。明日からおめぇ、畑当番だってな」


 黒々と焼けている方――フラフィーが口を開いた。


「ああ、そうらしい」

「まあ、しっかりやってくれ。オレらが鍛冶に専念できるなら、大歓迎だ」


 そう言って、真っ白な歯を見せてわらう。


 全身、真っ黒に焼けているフラフィーだが、それだけに、笑うと歯の白さが印象的だ。暗くても――いや、暗いからこそ余計に印象が強い。


「兄貴、オレは納得いかねぇ。なんでリトリィも一緒なんだ。一人でも多いほうが作業がはかどるってのに」

「親父――親方が決めたんだ。親方の決定は絶対だぞ。分かってんだろ」


 不満げなアイネを小突くと、フラフィーは笑って手を挙げた。


「そういうわけでよ。よろしく頼むぜ」


 なるほど。アイネと違って、フラフィーは常識的、と。

 ああ、とうなずく。


 ところが、それに対してアイネが目をむいた。


「おい! 兄貴が挨拶をしてんだぞ! 目をそらすっつーのはどういうわけだ!」

「……挨拶?」

「てめぇ……いい度胸してんな、オイ!」


 言われて、フラフィーが、右手を挙げたままということに気が付いた。


 ――つまり、あれが挨拶?

 そうか、飯を食う前にみんな右手をあげて祈っていたが、あれは飯を食う前の作法じゃなくて、いろんなときに使う挨拶なのか。


「あー……こうでいいか?」


 俺も真似をして、右手を挙げる。


 ところが、フラフィーは余計に怒りをあらわにした。


「てめぇ、ふざけてんじゃねぇよ!」


 いきり立ってベッドから立ち上がったアイネを、フラフィーが笑いながら制する。


「まぁ待て兄弟。ムラタ、おめぇ、この国の出身じゃないんだったな? 生まれはどこだ?」

「――ああ。“日本”だ」

「“ニホン”じゃあ、挨拶ってーと、どんなやり方をするんだ?」


 挨拶。

 言われてみて、一言では言えないことに気が付いた。


 おはよう、こんにちは、おやすみ。いらっしゃいませ、ありがとうございました。さようなら。

 ――会釈をしながらの挨拶。

 親愛の情を示すために、会釈をせず、片手をあげて振りながらすることもある。

 欧米式になると、手を握るのが一般的か。

 特に仲がいい間柄だと、ハイタッチをしたり、グーとグーを押し付け合ったりするようなジェスチャーを含むこともあろう。


 思いつくままに説明すると、フラフィーはからからと笑った。


「なんでぇ。面倒くさいな、“ニホン”の挨拶ってのは。オレたちは、こうだ」


 そう言って、改めて右手を挙げる。


「おめぇも同じようにやれ。右の手のひらを、相手に見せる。指はこうやって――全部開くのが男。女はやや丸めるようにして閉じておく」


 言われるままに、あらためて、右手を挙げる。


「――それで、こうだ」


 フラフィーが手を伸ばしてくる。俺も真似をして、フラフィーの手のひらに、自分の手のひらを近づける。

 俺が手をフラフィーのほうに近づけたのを確かめるようにして、フラフィーは手を引っ込めた。


「これで終わりだ。今やったように、相手に手のひらを見せて、近づけてみせればいい。別に触れさせる必要はない。基本は、それで十分だ。特別に仲のいい相手なら、お互いに手を触れさせることもするがな」


 右手を見せる――なんだろう、互いの手の内を見せることで、敵意のないことを示すということなんだろうか。


「――逆に言えば、そう仲がいいわけでもなかったりする相手の手に触れちまうと、それは無礼ってことになる。よっぽど仲がいい相手でなけりゃ、相手の手には触れないほうがいい。特に、相手の身分が高い時に触れちまったら、危険だ。不敬罪で捕まることもある。気をつけな」


 ……こっちの世界の挨拶は、無礼や不敬罪と隣り合わせなのか。なかなか難しいな。触れてはいけないのか、気を付けないと。


「まあ、そう怖がるこたぁねぇ。手を近づけるのも、基本は一対一。相手に対して親愛の気持ちを示したり、敵意がないことを特別に示したりするときとかで、普通は手を挙げるだけで十分だ。わざわざ近づく必要も、手を近づける必要もない。

 あと、特別に仲がいい場合、相手の右手に合わせて、左手を上げることもある。手を重ねやすいってことだからな。まあ、よほど特別な相手でなきゃやらねぇから、いずれ帰るおめぇには多分、関係ねぇだろ。

 おめぇがいつまでこの国にいるのかは知らねぇが、ま、この国にいる間だけは、オレたちの流儀に従ってくれってこった」


 懇切丁寧に、腕を上げる角度などについても、身振り手振りを交えて教えてくれた。全身真っ黒に焼けたいかつい兄ちゃんだが、なんとも面倒見のいいやつだ。

 フラフィーは、役割としては長男の立ち位置だというし、弟妹の面倒を見て育ってきた結果が、この面倒見の良さなのかもしれない。ありがたいことだ。


「……ええと、じゃあ、こうでいいのか? 『ありがとう』」


 そう言って、右肘が肩の高さになるまであげながら、手を挙げパーをして見せる。それをみて、フラフィーも満足げに、同じように右手を挙げた。


「おう、そうだそうだ。それでいい。どんな挨拶の時もそれだ。返事も同じ、相手が右手を挙げたらすぐ挙げ返せ。忘れんなよ?

 ――って、おいおい頭を下げんな。なんだその卑屈な仕草は。相手をまっすぐ見られないって、おめぇ、オレに対してやましいことでもあんのか?」


 うっかり会釈をしてしまったことを咎められ、慌ててフラフィーに顔を向ける。


「そうそう、そうだ。自分にやましいことがあるか、あるいは目も合わせたくないほど相手を嫌ってるか――とにかく、相手から目をそらすってのは、んだ。

 もちろん、それをやられた相手は、ぜってぇにおめぇに対して腹を立てるはずだ。だから、よほどなんか理由がなきゃ、挨拶のときには絶対に目をそらすなよ?」


 ありがたい助言にうっかり頭下げ、アイネに怒鳴られる。


「てめぇ! 兄貴が今、やるなっつったことをやりやがって! 馬鹿にしてんのか!」

「アイネ。ムラタんとこは頭を下げるってのが挨拶だったってことなんだろう。人間、しみついた習慣がすぐ変わるわけねぇだろ。そこは許せ」


 ああ、フラフィー。俺は君を誤解していた。そこのクソ野郎と比べたら、あんたは聖人だよ!


 しかし、日本の営業マンとして当たり前の「頭を下げる」行為が、ここまで相手の怒りを買うとは。これはなかなか慣れるまでが大変そうだ。

 だが、これで基本的な生活習慣の一つが分かった。郷に入りては郷に従え。明日からやってみよう。


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