第10話:意地(2/2)

「だ……れが、逃げ出し……た、だと?」


 衝撃の大きさのせいか、体に力が入らない。まともに息すらもできない。

 咳き込み、それでようやく息を吸う実感を得る。


 リトリィが助け起こそうとするのを制し、アイネが襟元を掴んで再び俺を立たせる。


「川に身を投げてなお死に損なった、てめぇだよ」

「ざっ……けんな、クソ野郎……! 俺は、この世界に、落っこちてきただけだ……逃げてきたんじゃねぇ……!」

「寝言は寝てから言え。もしそんなことがあったとしたら、そりゃキーファウンタ様にその世界からいらねえって放り出されたってことだろ」

「キー……ファ……? なんだ、それ……」


 俺の疑問に、たちまちアイネの眉が吊り上がる。


「芸術と職人の女神の名を知らんだと!? てめぇ、それで職人を名乗ってたのかよ!?」


 そしてその手が、今度は首にかけられた。


「どんな仕事をしてようと誰に迷惑をかけようと、それはてめぇの勝手だがな。キーファウンタ様への帰依すらねぇクズ野郎だとは思わなかったぜ! やっぱりてめぇは、今ここで死ね!」


 凄まじい力で締め上げられる!

 必死で外そうとしても、万力か何かのように、その手はびくともしない。

 ――苦し……死ぬ!

 殺される――!


「アイネにぃのばか――っ!」


 鈍い音とともに、アイネの手から急に力が抜ける。

 ソレの落下とともに、木炭の砕け散る派手な音が響く。


 ……恐らくは、薪割りの土台にする丸太。俺の胴回りより、さらに太い。そんな代物を持ち上げ、彼女よりずっと背が高いアイネの脳天に叩き下ろしたリトリィ。アイネはしばらくフラフラと、白目をむいたまま立っていたが、そのまま正面から倒れ込んだ。


 ……リトリィ、助けてくれたのはありがたいんだけど、君の細い腕のどこからそんな力が湧いてくるんだ。

 ……ていうか、生きてるのか、コイツ?


「国が違えば、信じる神様が違うこともあるかもしれないじゃない! お仕事のことだって、そんなの、アイネにぃがムラタさんのお仕事を知らないだけでしょ、勝手なこと言わないで!」


 ぶっ倒れた兄貴に対して、容赦なく言葉の追い打ちをかけるリトリィ。ついでに木炭の棒でさらに頭をぶん殴っているのだが、普通そこまでやるか?

 ……できるってことは、リトリィにとって、アイネにお仕置きをぶちかますのは、きっと日常なんだな。

 ああ、こりゃ怒らせたくない気持ちも分かる。親方の鉄拳以前に。コイツが、自分たちの「天使」に手を上げるなんてできないだろうし。


 ポコポコ叩かれるままに、アイネは顔を上げた。


「……うるせぇ! リトリィ、おまえは職人として、自分の仕事を途中で放り出すことを当たり前みたいに言いやがるこいつが許せるか!?」

「許す許さないじゃないわ、それがムラタさんの仕事のやり方でしょ!」

「うるせぇ! いつも親方が言ってるだろ、自分の仕事に誇りを持てと! 途中で放り投げるやつなんざ職人として生きていく価値なんざねぇと! おまえも分かってんだろ、そこを譲ることなんか意地でもできねぇし、やらねぇんだよ!」

「じゃあ、アイネにぃはそうしてればいいじゃない! ムラタさんは違うの! アイネにぃの勝手な理想を押し付けないで!」


 今朝知り合ったばかりの俺なんかのために、リトリィが一歩も引く様子を見せないのが、なんとも心苦しい。ただアイネも、ポコポコ叩かれ続けていること自体は全く気にも止めていない様子で、リトリィに対して一歩も引く気がないようだ。


「リトリィ、コイツは客から仕事をもらっておきながら、その仕事を他人に明け渡して、しかも平気な顔をするヤツだと自分で白状したんだぞ! こんな性根の腐ったやつが、オレ達と同じ職人を名乗る? 許せるかそんなこと!」


 ……ああ、だめだこいつ。もう我慢の限界だ。

 地面に伸びているやつに向かって言うのは武士の情けに反するが、まさに「寝言は寝てから言え」と言うやつだ。俺にだって、仕事に対する意地がある!


「俺は、仕事を投げ出してなんかいねえよ! いち建築士として棟上げのときはもちろん、手が空いてりゃ現場に顔出して、施主さんの要望を聞いてこまめに修正したりしてたんだよ!」


 そう言って、アイネのチョッキ|(らしき服)の襟首を掴んで引き起こ――そうとして、あまりに重くて諦める。クソっ、命拾いしたなクソ野郎――


「ここに来る前だってな、二件掛け持ちで進めていた上で、そのうちの一軒がまとまるところだったんだよ! 何も知らねえくせに、偉そうな口叩くんじゃねえよ半人前が!」


 言い切ってしまってから、しまった、と気付く。


 ヤツもリトリィも、だった。

 今言ってしまった「半人前」という言葉。

 見習いである彼らにとっては、それは間違いなく事実であろう。だがそれは、そんな彼らのプライドを傷つけ、後戻りできない状態にする、劇薬だったのではなかろうか?


「てめぇ……! 言っちゃならねぇことを言いやがったな……!」


 ――あああ、やっぱり!

 言い過ぎた! 手負いの獣に覚悟決めさせちまった!

 やばいやばいやばい! この脳筋鍛冶見習いに俺が腕力で勝つ方法なんて、万に一つもない!

 ――だがここで引きたくない、俺にだって意地がある!


「なにを、お前こそ今までさんざん――」


 ゲームかなにかのキャラクターが戦闘中にとっていたファイティングポーズをとってみせる。もちろん、それで何かができるわけでもないんだが。

 アイネも、ゆらりと起き上がる。

 ――改めて思う。こいつ、デカい……!


「うるせぇ! オレがぶっ殺すと心ン中で決めたんなら、その時すでに――」


 ぼぐ。

 アイネが再び白目をむく。


 今度は例の切り株を後頭部に叩きつけられ、即座に沈黙したアイネは、そのまま再び顔面から木炭の山に突っ込んだ。


「なに言ってるの! わたしたち、見習いなんだから半人前で当然でしょ!

 ムラタさんはお客さんに任された仕事をちゃんと、それもいくつもいっぺんにやってるんだから、アイネにぃよりずっとすごいじゃない!

 だいたい、ほんとのこと言われて傷ついたらすぐに暴れてごまかそうとする、アイネにぃのそういうところが嫌い!」


 ――おおう、この、容赦のない舌鋒。さすがにかわいそうになってきた、気がしないでもない。

 若干の憐れみをもってぶっ倒れているアイネを見下ろす――が、今度は意外に早く復活できたようだ。後頭部を押さえながら、立ち上が――ろうとして、尻餅をつく。さすがにダメージは大きかったらしい。

 

「……リトリィ! いくらおまえでも言い過ぎだ! だいたい、おまえはこいつのどこがよくて、そんな口を叩くんだ!」


 ぐ……!

 これは知りたい! 腹の立つクソ野郎だがアイネ、グッジョブ!


「どうしてそんなこと、アイネにぃに言わなきゃいけないの!」


 ――いや、そこんとこ俺も知りたい! アイネ、ほら何とか言え!


「リトリィ……おまえ、どうしちまったんだ。こんな、貧弱でハンマーの一つも振れなさそうなやつの、どこが――」

「ムラタさんは、わたしの料理を『美味しい』って、『気持ちが伝わる料理だ』って、そう言って褒めてくださったんです! やっとできた、すてきなです!」


 ……ああそうさ、分かっていたさ! お友達宣言!!

 そんな都合よく、いない歴二十七年の壁が崩されるものか――ッ!!


「せっかく楽しくお昼をいただいてたのに! だいたい、私が鍛冶一筋なんじゃなくて、アイネにぃたちがみんな追っ払ってきただけじゃない!」

「なんだと!? じゃあ、今まで追っ払ってやったやつらの中に、おまえをたぶらかそうとした男がいたっていうのか!」


 ……いや、その流れ、典型的な、嫌われるタイプの過保護兄貴じゃねえか。そりゃ嫌われるだろ、さすがに。


「好きになるとか以前に追っ払ったって言ってるの! だからアイネにぃなんて嫌いって言ってるのに!」


 その言葉に、威勢の良かったアイネの顔が、くしゃりとゆがむ。ゆっくりと顔を覆うと、アイネは絞り出すようにつぶやいた。


「……リトリィ、お兄ちゃんはな、お前のためを思って……」

「わたしからお友達を取り上げることが、そんなにわたしのためになるんですか! そんな身勝手なことを言うアイネにぃなんて大っ嫌い!」

「だ、だい……!?」


 煤で真っ黒になった顔で、アイネの奴、目を皿のように見開く。天使ちゃんに大っ嫌い宣言されやがって、ざまあみろ。


「いっつも食べてばっかりで、自分たちだけ先に食べちゃって、お片付けも手伝ってくれないお兄さま方と違って、ムラタさんはおいしいってほめてくれて、いっしょに食べようってさそってくれたんです。

 しかも、ちゃんと職人としてお仕事してるっていうし、とってもとってもすてきなひとです! 少なくとも、アイネにぃよりも、ずーっと!」


 一気にまくしたてるリトリィに、アイネの顔がどんどん歪む。

 うん、おもしろい。おもしろいが、リトリィのまったく手心を加えない舌鋒に、俺自身もたじたじとなっている。


「リ、リト……」

「アイネ兄さま。わたし、ちゃんとお兄さま方の給仕はしておりました。そんなに道理の通らないわがままを言っていますか?

 わたしにだって、意地があります。せっかくムラタさんと楽しいお時間をいただいていたんですから、それくらいは認めていただきます。いいですね?」

「う、うる――」

「いいですね?」


 座り込んだアイネの髪に付着した木炭のほこりが、日差しを浴びてかえって白く輝いている。

 がっくりとうなだれているその姿は、なにやら灰にでもなってしまったかのようだ。


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