ムラタのむねあげっ!~君の居場所は俺が作る!異世界建築士の奮闘録~
狐月 耀藍
第一部 異世界建築士と獣人の少女
第1話:旅立ちは突然に
「……終わった──」
やっと印刷が終わった紙の束をファイルに収めると、念のためもう一度データを保存し直し、パソコンの電源を切る。
やるべきことはやり切った。
──はずだ。
あとはこの印刷した資料を明日所長に見せて、ハンコを押させるだけだ。
そう、
といっても、もうすでに「明日」ではあるのだが。あと4時間もすれば、出勤準備をしなければならない、そんな時間。
すっかり冷めた缶コーヒーの残りをすすり、ごみ箱に放り投げる。
木村設計事務所。
それが俺の職場だ。
はっきり言って内情はかなりギリギリの小さな事務所だが、職場の人間関係は意外と悪くない。所長の悪口を言い合う仲、という意味では、それなりに一致団結しているからだ。
こんな事務所に家づくりを依頼してくる「見た目の安さに釣られた」お客さんたちには気の毒だが、本音を言うと、もっといいところに頼んだ方が、より冒険できる設計の家を、似たような値段で仕上げられる可能性もあるだろうに。
うちは安いことは安いが、そのぶんよく言えば堅実、悪く言えば個性のない家に仕上がる。
とはいえ、最近は家一軒立てるのに2000万円を切ることをウリにするところもある。──ウチもそのひとつだ。そして、そういう宣伝に飛びつく若夫婦がいる。
一生モノの家を、消費税から何から全部コミコミで、たった1700万で建てざるを得ないような、そんな若夫婦。
ウチは、そういうご家族に向けて、できるだけ安く建てるお手伝いをするような事務所だ。
だからうちの取り分は少ないし、だから高回転で、素早く提案し、素早くまとめることで、少ない利益をできるだけ増やす努力が求められている。
しかし、家は一生モノの買い物なのだ。
効率の良さは、ビジネスマンとして、たしかに重要だろう。
けれど、俺は効率の良さだけで家をアピールしたくはない。
みんなにはよく笑われているが、耐震性と高気密だけをアピールするのではなく、お客さんが幸せになれる家を提案したい。
そんなことをしているから、こんな風に今日も午前2時を回るのだが。
午前0時直前に切られたタイムカードを見る。
「村田誠作 所員番号 K1502」
K1501だった島津のヤツは、いまどこで何をしているのだろうか。俺と一緒に就職して、入社1年でやめてしまった、あの二次元に愛を捧げる熱血漢。
所長のトライアルに対してあいつと競って提案して、すべて没にされ続けたあの頃の経験は、今の俺にとって、ずいぶん役に立っている。
就職してから5年、あの当時の、俺が作った家でみんなを幸せにするという熱情は、ずいぶん冷めてしまった。
でも、今度の顧客──あの、子供が生まれたばかりという若夫婦──の家は、予算1400万という苦しすぎる制約の中で、狭いながらもプライベートをある程度確保した間取りにはできたと思う。
予算の都合上、窓は小さく少なめで、夫婦の「大きな窓で明るい家づくり」という願いはリビングだけでしか実現できないが、それでも動線、日当たり、収納、個室的空間づくりに最大限配慮したつもりだ。
あとはコンセントなどの配置やシーリングライトの位置、壁紙、カーテンなど、細かな提案を詰めるだけだ。3度目の提案、正直これ以上はない提案のつもりである。
「喜んでくれるといいな──っと」
印刷した資料をファイリングし、明日の打ち合わせのための準備をしておく。出勤早々、机の上に置いたこの資料を所長にたたきつけてやるのだ。
あの若夫婦の要望以上の要素を詰め込んだうえで、1400万を切る(雑費で調整してちょうど1400万だ!)家の提案!
うちの事務所でこれだけ夢とロマンと、ついでに子供が中学生になっても夫婦生活を楽しみやすい野望にあふれた間取りの提案ができる奴は、(ウチの事務所には)ほかにいまい!
単に効率の良さを求めるだけじゃ、顧客満足度にはつながらねえんだぞ!
とまあ、ひとりで叫んでいてもむなしくなるだけ、さっさと帰ることにする。
今から帰っても家に着くのは3時過ぎ、そこから全力で寝ても3時間程度。こんな生活をしていたらいずれは体を壊す、そう分かってはいても、やめられない。
せめて家に帰ったら迎えてくれる奥さんでもいたら張り合いがあるだろうに、しかし村田誠作27歳独身、彼女いない歴=年齢。彼女の作り方もよくわからない。
クソ親父こと村田誠一49歳など、俺の高校時代の後輩を再婚相手にしやがって。天国の母さんに申し訳ないと思わねえのかあいつは。だいたいどうやったらそんな女性と出会って、でもって結婚までこぎつけることができるのか。
教えろくださいちくしょうめ。
先ほどまで顧客の幸せを願っていたその脳みそで、今度はクソ親父を呪う。
だめだだめだ、寝ないと神経をやられるってホントだ。時間はもう2時29分。せめて3時間、しっかり寝ることにしよう。
そう考えながらセキュリティをセットし、ピーピー音に追い立てられるようにして靴を履き替え、事務所の裏口のドアを開けて踏み出し、
そして、踏み外した。
漆黒の空間に何気なく踏み出した足はそのまま漆黒の空間に吸い込まれ、妙な浮遊感に慌てて手を伸ばすがその手をつく地面もなく、手にしていた、様々な資料を入れたリュックは放り投げてしまい、
そして、なにも、わからなくなった。
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