五②

 家に着いた僕はまず、奥の部屋へと里見を通すと茶をれるために台所へと向かう。


(茶葉はどこだったかな……)


 普段台所の仕事は全て章子に任せっきりだったため、いざ自分が台所へ立つと戸惑ってしまう。とりあえずやかんに水を入れ、お湯を沸かす。その間、適当な戸棚を上から開けて茶葉を探そうとした。しかし、


(これは……?)


 上から順に見ていこうと開けた戸棚の中を見て、僕は呆然とする。

 戸棚の中のもの全てに、章子の丁寧な文字で張り紙がされていたのだ。

 僕はこれが、自らの死期を悟った章子が遺される僕にしてくれた最期さいごの気遣いのように感じられた。


(章子……)


 僕は身体を震わせ、戸棚の中に残っている章子の存在がたまらなくなった。


(会いたい……。章子に、会いたい……)


 気付くと僕は、ボロボロと涙をこぼしていた。


「おいっ! 島崎! 何やって……って、島崎?」


 そうしていると、戸棚の前にただ突っ立っているように見えたのだろう。僕は里見に強く肩を引かれ、我に返った。


「里見……?」

「お湯、沸いていたぜ?」

「あ、あぁ……、悪い」


 僕は流れていた涙を手で拭う。その様子に里見は何事かと僕が開けたままにしていた戸棚を見やった。そしてそこにある章子の張り紙に大きく目を見張る。


「これ、お前の嫁さんの……?」

「あぁ」


 短い僕の返答に里見はもう一度戸棚を見やると、


「まるで自分が死ぬことを分かっていた様子だな」

「分かっていたんだ、章子は」


 僕の言葉に里見は、何を言っているのだ? と言う顔をする。僕はそんな里見に僕たちのことを話そうと決意すると、


「立ち話も何だから、座って話そう」


 そう言って茶をれると、僕は里見と向かい合うように座った。それから僕と章子の生活について話をしていく。もちろん、僕が死の象徴である白黒の髑髏されこうべが見えると言うことも話していった。

 全てを話し終える時、里見は呆けた顔になっていた。


「巫女の神秘ってやつか……? 真実は小説よりも奇なり、とは良く言ったもんだぜ……」


 そう言うと、落ち着くためか僕の煎れた茶をすする。

 そうして里見はしばらくはにわかに信じがたい様子だったのだが、


「でもよ、そこまでお前のことを想ってくれている嫁さんだったのなら、他にも何か、遺してくれていそうだけどな」

「え?」


 思いもしなかった里見の言葉に、僕は目を白黒とさせる。里見はそんな僕へ、


「自分の死期を悟っていて、あそこまでしていたんだぜ? お前のために他にも何かしてくれているって考えるのが当然だろう?」


 里見のこの言葉は僕にとっては盲点だった。僕は勢いよく立ち上がると、章子が死ぬ直前まで一緒に過ごしていた寝室へと向かった。


「お、おい! 島崎!」


 後ろから里見の驚いた声が聞こえたが、僕は構わずに寝室の扉を開けた。

 いちばん最初に目に入ったのは、僕が投げ捨てた章子との写真だった。それを目にすると、ずきんと胸が痛む。

 僕はその胸の痛みを無視して寝室内を見回した。そして二前並んだ文机が目に入る。それは僕が生前の章子と並んで書き物をしていた、あの文机だった。

 僕はゆっくりとその文机へと近付く。そして章子が使っていた文机のいちばん大きな引き出しを開けた。中には一冊の帳面とその上に一通の封筒が置かれてある。


「お? 何だそれ?」

「章子のものだ」


 僕は背後から僕の手元を覗き込んだ里見の問いかけに端的に答える。それから僕は章子の帳面をパラパラとめくっていった。丁寧な章子らしい文字に再び胸が締め付けられていく。中身はどうやら、章子の手記のようだ。

 僕はもう一度、この章子の手記を頭からじっくり読み始める。その書き出しは『私の愛する人へ』だった。

 そして中身は僕と過ごした思い出がずらりと書き記されていた。

 その中には僕が用意した白無垢での写真撮影についても書かれている。あの出来事は章子の中で宝物となっていたようだ。

 この手記のあちらこちらに散りばめられているのは、僕への愛の言葉と感謝の言葉であった。


 その一節には『私を直哉さんのお嫁さんにしてくれてありがとう』とあった。短い期間だったが、章子にとって僕と過ごした日々は楽しいものだったようだ。

 そうして楽しく幸せな時間を章子が過ごせていたことが、僕も嬉しい。章子の思いに触れることが出来、僕は章子を妻にして良かったと心底思うのだった。

 手記の最後は、こんな言葉で締めくくられている。




『直哉さんは直哉さんにしか出来ないことで、多くの人たちを助けてあげてください。そしてどうか、生きてください』




(生きて、ください、か……)


 その願いは今の僕にとって、途方もないことのように感じられた。しかしそれが章子の最期さいごの願いだというのならば、僕は自分の天寿を全うしなければいけないだろう。

 章子の手記を読み終えた僕は、その手記をしっかりと胸に抱いた。もう僕の頬を涙が伝うことはなかった。


「なぁ、島崎よ。嫁さんのためにも、生きろよ」


 僕の後ろから章子の手記を読んでいたのだろう里見も、そんなことを言ってくる。僕はそんな里見の言葉も、今なら素直に受け入れられるのだった。

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