第30話 女子は呼び捨てがお好き?
「友達がいないっても、まだひと月だからなぁ。焦ることもないんじゃないの?」
教室に戻った俺たちは、午後の授業が始まるまで──と、
で、十河さんと沙月さんがまだ友達がいないという話になり、その相談を受けていたのである。
「そうそう。はるおみの言うとおり友達なんてそのうち自然にできるよ。急いで作ろうとしても失敗するだけ。クリスマスイブ用に急場しのぎで作る彼氏とおんなじだよ」
どうせすぐに別れるから、と翔太は軽く笑う。
「そういうおまえは友達いるのかよ」
「いるじゃん。はるおみにみつはちゃんにレコちゃん。三人も」
「それなら私も三人です」
「そうね。翔太さんの言い分だと私も三人ということになるわね」
沙月さんはだいぶ翔太に慣れてきたようだ。
翔太から『名前で呼んでほしい』としつこくせがまれて、断り切れずに翔太さんって呼んでるし。
十河さんと沙月さんのこともいつのまにか下の名前で呼んでるしさ。
翔太は人の懐に入り込むのが得意なんだろうな。
チャラ男恐るべし。
これで女好きだったらやっべぇな。こいつ。
「んならさ。みつはちゃんも俺のこと翔太って呼んでよ」
「え……?」
十河さんがフリーズする。
ついに十河さんにまで食指を伸ばしたかこいつめ。
「つうか、さっきからなんで名前呼びにこだわるんだよ。近藤って呼ばれたくない理由でもあんの?」
「いや、実は俺さ。三年に兄貴がいるわけよ。まあ近藤なんて珍しくはないから兄弟だって即バレることないと思うんだけど、なるべくあいつの弟だって気づかれたくないんだよね」
「そんな理由で?」
沙月さんが少し驚いた顔をする。
「そんなって、俺にとっては結構デカいんだって」
ん~。
なんとなくわかる気がする。
俺も三年の姉のことであれこれ詮索されたくない。
「よし。じゃあ翔太のことは翔太と呼ぶようにしよう。十河さんも協力してあげてくれないかな」
「え、はい……逢坂さんがそうおっしゃるのでしたら」
「なに、はるおみ急に協力的になっちゃって。どした?」
「友達のためだよ。気にすんな。なんかわからないでもないし」
「なんか裏がありそうで怖いな。んでもまさかはるおみも同じような経験があるとか?」
「んーまあ、そんな感じ」
「え? 兄弟いるの?」
まあこの三人にはいつかはバレるだろうしな。
隠しておく必要も特にないか。
「俺もいるんだよね。あまり存在を知られたくない姉が」
「まじ?」
「え?」
「え?」
三人が揃って目を丸くする。
いや、姉ぐらいいるだろ。普通。
「といっても俺は向こうのことを憶えてないからどれが姉か判らないけどね」
「まじ?」
「え?」
「え?」
三人の目がいっそう丸くなる。
まあこれは普通じゃないよな。
「こんなの転校初日に話すことじゃないかもしれないけど──」
俺は三人に俺の身に起きたことを話して聞かせた。
その一部は十河さんも知っていることだが、そこを端折るわけにはいかないので最初から話した。
詳細は思い出せないので割愛したが、幼いころ女性不信に陥り、女の人が怖くて堪らなくなってしまったこと。
自己防衛が度を過ぎて女性に冷酷な態度をとってしまうようになり、それが原因で家を追い出されたこと。
そんな俺を母の妹が引き取ってくれたこと。
そして十河さんとの出来事がきっかけで女性恐怖症が治ったこと。
女性と話せるようになったが、家族のことが思い出せなくなり、医師から解離性健忘と診断されたこと。
失くした記憶は母親以外の家族に関することだけで、それらのことを忘れたままでも、向こうも俺に関与したくないはずだからまったく支障はないということ。
東京に戻った理由──遥さんの病気──については敢えて話さなかった。
戻ってきたのは『叔母の仕事の都合』ということにしておいた。
この高校に初等部時代の顔見知りがいるであろうこと、そしてその中には俺のことを恨んでいる生徒も少なからずいるだろうことも話しておいた。
なるべく簡潔に、かつ暗くならないよう話したつもりだが、聞き終えた三人は真剣な表情で
「そうなのか……なんだか壮絶だな……」
「春臣さんの過去にそのようなことがあったのですか」
「私……どうお詫びをしたら……」
なかでも十河さんが泣き顔になる。
「え? ちょっとちょっと十河さん? そういうつもりで話したんじゃないからね?」
「でもご家族の記憶を──」
「だからあれは俺のミスキックが原因でむしろボールを川に流してしまった俺に全面的に非があるわけで、さらにいえば家族の記憶と女性恐怖症克服とを天秤にかけたとき女性と触れ合えるようになった方にそれはそれは針が振り切れるくらい大きく傾くわけで、とにかく十河さんは俺にとってかけがえのない女神様なのでそんな顔ぜったいにしないでくださいお願いします!」
「でも、私がちゃんとボールをさくらに放っていれば……」
「みつはちゃん。話を聞く限り悪いのははるおみじゃん。なのにそんなことに責任感じてたら、それこそこのさき悪い男に騙されちゃうよ? ねえレコちゃん」
「そうですね。私も翔太さんと同じ意見です。女神様……? というのが少し気になりますが」
「ね? だから十河さんはそんな暗い顔しないで。この通り。お願いします」
ね? ね? 俺が両手を合わせて頼み込むと、十河さんの顔から曇りが消えていく。
よかったよかった。
悪者なんてここにはいないんだよ。
「まあとにかく俺にはここの三学年に姉がいるんだよって話。んで、なんとなく翔太の気持ちに共感できるかな、ってこと」
話が長くなってしまったが、つまりそういうことだ。
「んならさ。すでに名前で呼んでる俺とレコちゃんはいいとして、みつはちゃんも翔太のこと苗字じゃなくて名前で呼んだ方がよくない? 俺と同じくあまり知られたくないんでしょ?」
翔太が提案すると
「そうですよね! みつはも春臣さんのことを名前で呼んだらいいと思います!」
十河さんも同意する。
「いい……のですか?」
「え、ああ。もちろん」
「では、春臣さん……」
うん。悪い気はしない。というかいい。
「ん~。春臣さんだと私と被りますね」
べつに被っても全然いいんじゃないの?
「でしたら……春さん……春臣くん?」
うん。どっちも悪くない。というか最高。
「はるおでいいんじゃね?」
「おい。それ違う人になってるじゃねぇか」
演歌うたえねぇよ。
「では……」
少し悩んでいた十河さんは、
「春臣くんで」
こちらに決めたようだ。
「おう。よろしく。十河さん」
春臣くん。
うん。なんだか距離がグッと縮んだ気がする。
「じゃあさ。はるおみは二人のことなんて呼ぶの?」
翔太がさらに踏み込んでくる。
「二人はこの学校にお姉さんとかお兄さんとかいる?」
翔太が続けて女子二人に質問する。
「私はいませんが」
「私もです」
十河さんと沙月さんがそう答えると
「──なら別に苗字でも大丈夫じゃん。十河さんに沙月さんで」
苗字を隠す必要ないでしょ、と俺は思ったことを口にした。
「おまえさ……まあ過去を知った今なら仕方ないと思うけど、ちょっと空気、というか
翔太の言葉に女子を見ると、二人とも苦笑いを浮かべている。
「いや、でもですね。なんか照れくさいと言いますか、畏れ多いと言いますか、女性のことを名前で呼ぶことに慣れてないもんで……」
「でもさくらのことは名前で……」
む。そういえばそうか。
でもさくらちゃんはさくらちゃんだしな。
「なら……おほん。みつはちゃんとレコちゃんで」
うわ。言っちゃった。
みつはちゃん! レコちゃん!
いいね! なんかいい!
「ん~。それだと俺と被るね」
こっちは被ってもいいだろうが!
早いもん勝ちじゃねえぞ!
「オリジナリティがね、大事なのよ。こういうのは。そうだな……うん。みつはたん、れこたん、とかどう?」
「みつはたん、れこたん? いやそれはちょっと、ねぇ」
んでも呼びやすいな。可愛いし。
みつはたん! れこたん!
なんだかはぁはぁ言いそうだけど。
「み、みつはたん……わ、私は構いません!」
「はい。そのように呼ばれたことはありませんので、なんといいますか……とても新鮮です!」
なに。好評じゃん。
二人ともめっちゃ嬉しそうじゃん。
「いや、呼ぶ方の身になってね? たんたん言ってる男子、どう思う?」
「俺はいいと思うけどな。俺のことも翔太たん、とか、しょうたんとかでもいいんだぜ?」
「ねえよ」
「ねぇのかよ。ならちょっとありがちだけど呼び捨てかなぁ。二人はどう?」
翔太が二人に振る。
「呼び捨てなんて理想中の理想です! ずっと想像してましたから!」
「私も! 妄想の中では春臣さんが私のことを『レコ』と呼んで!」
「わかるわかる!」
「だよね!」
ふうん。女子って呼び捨てが好きなんだ。
「なんかおかしな感じになってるけど、なら呼び捨てでいいんじゃない? 呼んでみろよはるおみ」
「いやいやいやいや、呼び捨てなんてそんなさすがに──おいみつは!」
「は、はい!」
あ、なんかいいぞ。
「レコ!」
「うぇ? は、はいいい!」
うん。なんかいいぞ。
「じゃあせっかくだからそう呼ばせてもらおうかな」
と、四人の呼び名が決まったとき。
「あ、あの……」
肩越しに声をかけられた感覚にそちらを向くと。
「あの人が呼んでるみたいだけど……」
クラスの男子がそう教えてくれた。
「ん? 俺?」
クラスメイトが指さす方、廊下を見ると──そこには見知らぬ男子生徒が立っていた。
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