第三章 冷酷王子などと呼ばれていたようですが今からでも遅くないと心を入れ替えることにしました

第21話 プロローグ 二人の世界



 定期検診を終えた十河みつはは、待合室のベンチに座ると学生カバンからノートを取り出した。

 おそらくもう五分とせずに会計の窓口に呼ばれるのだろうが、みつははほかの女子高生によくみられるようにスマホでメッセージを送り合うでも、お気に入りのアイドルのSNSをチェックするでもなく、今日受けた学科の復習に僅かな時間を費やす。

 そうまでしないと東京校での授業に追いつけない、などというわけではない。むしろ学校での成績は良く、入学試験の直後に行われた学力テストでは優秀な結果を出し、学年上位五パーセントの生徒のみ入れるという、特進クラスに籍を置いていた。

 みつはは今春、系列の中学校から転入してきた外部生であり、いまだクラスに馴染めていない彼女にとって女子同士のグループメッセージに参加するより、自分の書いた字を追うことの方が有意義な時間の使い方だった。


 ほどなくしてみつはは周囲の異変に気づいた。

 ちょっとした騒めきに顔を上げると、周りの患者たちがある一方向に視線を向けていた。

 気になったみつはも、つられるようにそちらへ肩を向ける。

 と、その先には一組の男女の姿があった。


 そうか、みんなあの二人を見ていたのか。


 みつはは納得した。


 背が高く、スタイルの整った、恋人同士のように寄り添い歩く男性と女性。


 おそらく芸能人だろう。


 男女ともにマスクとサングラスをかけているために誰とまでは特定できないが、おそらく有名人であることに間違いはない、と。

 東京に越してきてから約二か月だが、それでもみつはは数回、テレビや雑誌でよく見るアイドルや俳優といった芸能人を目撃していた。

 通う高校が、都心でもさらにその中央部ということもあり、登下校時にドラマや映画の撮影現場にたびたび遭遇し、芸能人を偶然見かけたことがあった。

 そんな経験はほんの数度きりだが、その中でもこの二人は別格に見えた。

 映画から抜け出したような二人の一挙手一投足に、いわゆるミーハーなことに普段あまり興味を示すことのなかったみつはも、目が離せずにいた。


 羨望の的となっている二人は、そんなことを微塵も気にする様子なく、ぴたりと寄り添いながら診察室へ入っていった。


 二人だけの世界って本当にあるんだ。


 周囲にどれだけ騒がれようとも、確と存在する、何人であっても侵犯を許すことのない神聖な空間。


 みつはは自分の顔が紅潮するのがわかった。

 慌ててノートに視線を戻すと、両手のひらでぱたぱたと顔を仰ぐ。


 もし自分がそんな世界を創り上げるとするなら、それは誰と──


 そんな妄想が佳境に入ったとき、みつはの名が呼ばれたのだった。




 ◆




 翌朝──。


 いつものようにアラームの五分前に目を覚ましたみつはは、今日も朝を迎えられたことに感謝した。

 ベッドから起き上がり、制服に着替え終えたところで部屋のドアがノックされた。


「おっはよ! みつはねえ! ご飯だよ!」


 ノックとほぼ同時に部屋へと入ってきた姪のさくらの頭をひと撫でする。


「おはよう、さくら。すぐに下りるから先に食べてて」

「わかった!」


 さくらが部屋から出ていく間際。


「みつはねえ、それ返してよ。私がもらったのにぃ」


 チェストの上に置かれたライトグレーのボールを指さす。


「もう少し。もう少しだけ貸しておいて。ね?」


 みつはは「お願い」と両手を軽く合わせる。


「もう。じゃああとちょっとだけね。友達と遊びたいから」


 階段を下りていくさくらに小さく礼を言ったみつはは、


「明日も生きていられますように」


 日課の祈りをボールに捧げた。


 そういえば、昨日の人、なんとなくあの人に雰囲気が似ていたような……


 久しぶりに見た中学校時代の夢は、そのせいだったかもしれない。


 そんなことを考えつつ、みつははさくらが待つ階下へ向かったのだった。




 ◆




 その日の登校途中──。


 みつはのスマホがメールの着信を知らせた。

 クラスのグループメッセージは着信を知らせない設定にしている。

 つまり、このメールは家族か、友人(といっても心当たりは一人しかいないが)からの連絡ということになる。


 急ぎの用事かもしれない。


 みつはは発車したばかりの満員電車に揺られながらスマホを取り出す。と、案の定、それは中学時代の知人からのメールだった。

 

『今日転校生がくるって噂、知ってる?』


 面と向かって会話する際は『知ってる?』などとは言わず、『知っていますか?』のはずなのに、メールでは随分と砕けた文章であることに、少しだけ頬が緩む。


 みつはは、クラスのグループLICEのアプリを開いた。

 すると、昨日の夜からのメッセージが勢いよく表示されていく。


 こんなに盛り上がっていたなんて。


 みつはは未読となっていた先頭部分からメッセージを読む。

 すると、たしかにみつはのクラスに転校生がやって来るという話題で持ち切りとなっていた。


 みつはの通う高校、それも特進クラスに編入してくる。

 そのための試験は通常の試験の倍は難しく、最難関中の最難関だ。

 それをクリアするということは、すなわちとても頭脳明晰な生徒ということとなる。


『転校生の件、いま気がつきました。この時期に編入というのは珍しいようですね」


 みつはは慣れない手つきで返信する。

 するとすぐに


『外部の私たちともお友達になれる方だといいですね』


 返事が届く。


『レコさんだったらすぐに仲良くなれると思います』


『じゃあ教室で』

『はい』


 みつははスマホを鞄にしまうと、代わりにノートを取り出したのだった。




 ◆




 ホームルームが始まり、担任の先生が教室へ入ってくる。


「えー、今日は転校生の紹介から」


 教室内が異様な雰囲気に包まれる。

 転入生は男なのかそれとも女なのか。偏差値は自分より上なのか下なのか。どこの中学から来るのか。容姿は良いのか悪いのか。


「おい。入っていいぞ」


 担任が廊下で待つ生徒を教室内へと促す。

 そして、全生徒が固唾を呑んで見守る中、扉がガラッと開かれた。

 

 教室内に入ってきた生徒は教壇の前で立ち止まると──


「今日からこの学校でお世話になります──」


 爽やかに挨拶を始めた。その瞬間。


「えっ! どうしてここにっ!」

「は、春臣さんっ!?」


 普段はとてもお淑やかな、そして学年で上位を争う美貌の持ち主の女子生徒二人が驚きの声を上げて立ち上がったことに教室はいっそうどよめく。


「──っと! なんとっ! こんなところで女神に会えるとはっ!」


 教壇の前で驚いた顔で自分を見つめる少年。

 その少年こそ、みつはが今朝夢に見た中学校時代の同級生、逢坂春臣であった。


「これはやはり導きだったか! 遥神にさらなる感謝を!」


 その少年がおかしなセリフを口にしつつ真っ直ぐ自分のもとへ歩いてくることに、みつはは全身を固まらせるのだった。



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