第13話 診断結果



 診察を終えて病院を出た俺は、遥さんと二人家路に着いている。


「遥さんのちゃんぽん楽しみだな」

「具はなににする?」

「ん~ちくわ? あ、やっぱりさつま揚げ?」

「両方かな?」

「野菜はなにいれるの?」

「キャベツでしょ? 白菜でしょ? 人参に、きくらげ? あ、トウモロコシの小さいやつも?」

「入れすぎか!」


 それがさぁおかしいんだよ。

 これ、俺が一人で喋ってるんだぜ?

 なぜって? そりゃあずっと返事がかえってこないからだよ。




 診察が終わり、診断の結果は『解離性健忘』が疑われるとのことだった。

 強いストレスやいじめといった衝撃的な出来事に遭遇した結果、それに関する記憶や個人的な情報などを喪失してしまう──簡単にいえばそんな内容だった。

 つまり、俺は過去になにかがあって、それがきっかけでいくつかの記憶に蓋をしている状態らしい。

 はじめこそ驚いたが、欠如しているのは家族に関する記憶だけなのだから特に問題はないとの結論に至った。

 要は家族のことを思い出さなければいいだけの話だ。

 電話の相手のことも大丈夫と遥さんは言っていた。先手を打ってくれていたんだろう。

 家族なんて俺には必要ないし、向こうも俺を必要としていないんだから利害関係は一致する。

 俺を追い出して遥さんに押し付けたんだからそういうことだと思っている。

 家族に関する記憶の消去と女性恐怖症を克服したこととの因果関係は不明だ。

 その辺は俺としては正直なところどうでもよかった。

 女性──特に遥さんと触れ合えることの方が重要だから。

 だが、もし不必要なものと引き換えに女性恐怖症が治ったというのならば、改めて女神にお礼を言わなければならない。


 にしても俺がなぜ家族の記憶を消そうとしたのかわからなかった。

 家族との間になにかがあったんだろうけど、先生からは『負担になるから無理して思い出す必要はない』と言われた。

 遥さんなら知っていると思う。でもせっかく忘れてるのだから無理に訊く必要もない。

 まだ未成年の俺が問題なく生活が送れていて、学生生活にも支障が無いようであればただリラックスした日々を過ごせばいいらしい。

 社会に出るまでは慌てることない、と。

 あの嫌な思いをするくらいなら知らない方がいいし、俺も急ぐ必要はないと思っている。

 それから治療方法も教えてくれた。薬での治療やカウンセリングでの治療、催眠療法なんてのもあるらしい。


『思ったよりたいしたことなくてよかったよ』俺は病院を出てすぐにそう言って遥さんを安心させたのだが、遥さんは浮かない表情をしていた。


 ──で、さっきからちょっと微妙な沈黙が続いているのだ。





「ねえ春。春は私を家族と思ってくれているのよね」


 やっと沈黙タイムが終わった!

 この罰ゲームちょっと耐えられないからもうやらないでね。


「ん~家族なんて薄っぺらいものとは思ってないけど、それに代わる言葉がないのでここは家族以上の存在ということでいいですか?」

「つまり大切には思ってくれているのよね」

「当然じゃないですか」

「ねえ? もし私がいなくなったら春、どうする?」

「え。やっぱり結婚するんですか?」

「ち、違うわよ! だからもし私が、そうね、交通事故とかでこの世からいなくなったとしたら、春はどうする?」


 哲学かな?

 私と仕事どっちを選ぶの、てきな?

 いや、そんなんじゃないだろう。遥さんは真剣に聞いてるんだ。


「そうですね。ちょっと想像するだけで涙腺が崩壊しそうなんですけど、一人暮らしを頑張るとか、友達に世話になるとか、ん~あとは……」

「実家に帰る、とか?」

「それはないって! 実家になんか、家族のところになんか──」

「ごめんなさい、ごめんなさい春。違うの。大丈夫。春を一人になんてしないから」


 呼吸が荒くなった俺を遥さんが抱きしめる。

 遥さんの体温を感じ、濁りかけた水が洗い流される。


「遥さん……もう家族のことは……」

「ごめんね春。でも、どうしても聞いておきたいの。私が春の前から消えたら、そうなったら春はどうなっちゃうのか心配で」


 遥さんがいなくなったら──。


「そんなの決まってます。そうなる前に俺が遥さんの前から消えます」

「え?」

「いなくなられたらたぶん無理なんで俺が先に消えます」

「は、春?」

「でもそれは遥さんがいなくなることが分かっているからできることなんで、突然いなくなられたら、やっぱり友達に助けてもらいながら一人暮らし頑張ります」

「……」

「そんな顔しなくても大丈夫だって。一人暮らしくらい。あ、だから家事とか覚えないとだね」

「……そうね」


 路上で向き合う遥さんは笑顔を見せる。

 だがその笑みには影を落としていた。


「どうしたの? 遥さん。病院出てからずっと暗い顔してるけど」

「春……」

「俺には言えないこと? 俺の過去のこと? 家族のこと?」

「違うの」

「それならあの電話が原因?」

「違うの。違うの春……」

「違うってなにが。遥さん明らかに様子がおかしいよ。急に私がいなくなったらどうするなんておかしな質問してくるし」

「ごめんなさい。そういうつもりで聞いたのではないの」

「じゃあなんで」

「ごめんなさい。でもやっぱり今は……」

「それならいつ? いつなら遥さんが胸に抱えているそれを俺に話してくれるの?」


 遥さんは俺の頬に手を添えた。


「きっとそのうち。だから春はなにも心配しないで」

「俺のせいで好きな人と一緒になることを躊躇してるっていうんなら──」

「だからそれは違う。本当よ。姉さんに誓うわ」


 「買い物行きましょ」と俺の腕を組み歩き出した遥さんの横顔はやはりどこか物憂げで、俺の胸の奥底にある正体不明で不可解な不安はいっそう膨らみを増し続けるのだった。

 

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