22,熊、再び

「グルルルル……」


 二本足で立ち上がった熊がおれとハンナを見下ろしていた。

 かなり凶暴な目付きだ。今にも襲いかかってきそうな気配だった。


「お、お兄ちゃん……」

「しっ、喋っちゃだめだ」


 ハンナがおれにしがみついてきた。

 おれはハンナを守るように前に出た。

 ……幸いだったのは、ハンナが驚いて大きな声を出さなかったことだろう。きっと驚き過ぎて声も出なかったのだろうが、そのおかげですぐに襲われるようなことはなかった。


 くそ、なんでこんなところに熊がいるんだ……!?

 そう思った時、おれはついこの間のことを思い出した。

 魔王が魔法を使った時のことだ。


 ……もしかして、こいつあの時の熊じゃないのか?

 普段、このあたりに熊はいない。

 とすると、あの時と同じ個体である可能性は高かった。どうやらまだこの辺りをウロついていたようだ。


 熊はその場を動かずじっとおれたちを睨みつけていた。

 腹でも空かしているのか、口からは涎が垂れている。

 ……あまり考えたくはないが、こいつにはおれたちが美味そうな肉に見えているのかもしれない。


「グルルル……」


 おれは熊と睨み合った。

 くそ、どうする!? どうすりゃいいんだ!?

 とにかくハンナを逃がさないといけないが――


 いや、でも今のハンナが走って逃げられるか?

 ハンナはおれに震えてしがみついているような状態だ。きっと腰が抜けていて、まともに走ることもできないだろう。

 とするとおれがハンナを抱えて走るしかないが……ダメだ、その状態で逃げられるわけがない。


「グアアアア!!」

「!?」


 どうすべきか考えていると、熊がいきなり襲いかかってきた。

 まずい!?

 おれはとっさにハンナのことを突き飛ばしていた。


「ぐはっ!?」


 熊が真正面から体当たりしてきた。

 ものすごい衝撃だった。

 地面をごろごろと転がって、背中から木にぶつかった。

 息ができなかった。


「グルルル」


 前足をついた熊が、すぐそこでおれを睨みつけていた。

 はっ、いってぇ……。

 どうやら体当たりされただけのようだが……とんでもない衝撃だった。口から肺や心臓が出ていくかと思った。


 子供の体格と比べれば、熊の大きさはかなりのものだ。こんな巨体に体当たりされたらそりゃ吹っ飛びもするだろう。


「お、お兄ちゃん!?」


 ハンナが叫んだ。

 熊がハンナを振り返った。


「――!?」


 一気に血の気が引いた。

 まずい。

 そう思った瞬間、おれは手元にあった石を掴んで熊に殴りかかっていた。


「うらあああ!!」


 石で思いきり熊の頭を殴った。

 ほんの一瞬だけ熊は怯んだが――すぐにおれを振り返った。

 それはもう、恐ろしいほど怒り狂った形相で。


「グアアアアアッ!!」


 熊が腕を振るった。

 とっさに両手でガードしたが、やはりおれは簡単に吹っ飛ばされてしまった。


「い、いってぇ……」

「グルルルル」


 熊がおれの目の前に立ちはだかった。

 その目は完全に〝敵〟を見る眼だった。


「グアアアア!!」


 熊が再び咆哮し、猛然とおれに襲いかかってきた。


 ――あ、これ死んだな。


 そう思った時、黒い影が矢のように飛んできて



 μβψ



 魔王が戻ってくると、家の前にはちょうど全員の姿があった。ダリル、ティナ、テディ、リーゼのみんなだ。どうやら一旦、お互いに報告するために戻ってきていたらしい。


(ちょうどよく全員おるな。探し回る手間が省けた)


 魔王はみんなの元へ近づいていき、ハンナを見つけたことを報せた。


「なに? ハンナが見つかった?」

「はい、お義父さま。森の中で泣いているところさきほどシャノン様と見つけました」


 その報告を聞くと全員がほっと胸をなで下ろした。

 でも、とエリカはすぐに少し困った顔をした。


「ですが、泣いてその場から動こうとしなくて……もしかしたら怪我をしてるのかもしれません。それで誰か大人を呼んでくるようにと、シャノン様から」

「なるほど、分かった。すぐに行こう」


 ダリルが即座にそう言うと、なぜかテディも少し前に出た。


「我が輩も行こう」

「え? テディ様も?」


 ダリルが驚いて振り向くと、テディは大きく頷いた。


「うむ。森で万が一魔獣や猛獣に出くわしたらいかんからな。我が輩は武装しておるから、念のためについていくことにする」

「それは有り難いですが……この辺には魔獣はもちろん、猛獣の類いもおりませんよ?」

「何事にも用心というのはすべきだぞ、ダリルよ」


 テディがそう言うと、ダリルも反対はしなかった。


「それでしたら、わたしが行きますよテディ様。わたしも武装しておりますし」


 リーゼがそう言うと、テディはかぶりを振った。

 

「いや、貴様はティナと家にいろ。すぐに戻ってくる」


 ということで、魔王はダリルとテディの二人を連れて戻ることになった。

 

(……それにしてもこのテディとかいうやつ、かなりの手練れだな)


 二人を案内しながら歩く魔王は、それとなく背後の気配を探っていた。

 ダリルもまぁまぁ、それなりにはするのだが……テディというのはさらに格が違う感じだ。歴戦の戦士と同じ気配を感じる。


「ところでエリカよ」


 と、おもむろにテディが話しかけてきた。

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