第21話
店を出ると、散々動かないようにと言い聞かせたお嬢様が姿を消していた。
「…………お嬢?」
思わずシワの寄ってしまった眉間を親指で揉んで、現実逃避のようにもう一度呼びかける。
「お嬢様?」
しかし、何度呼びかけても返事はないし菊花はいない。
ベンチの下を覗いたり、近くの店を覗いたり。あの一際目立つ黒髪はどこにも見当たらなかった。
「……えっ、これ、俺マジで首ちょんぱ案件じゃね」
サァ、と顔が青ざめていく。ご主人様のお嬢様への執着――ではなく溺愛っぷりは目で見ている。
家を出る直前も、ご主人様直々に「気を付けて行ってくるように」と言い含められていた。
青どころか真っ白な顔で、エースは首をぐるんと巡らせた。こういうとき、魔法でもあれば楽に探し出せるのだろうけど、エースはただの屋敷を守る衛兵であるのでその足で探し回るしかない。
店に荷物を預けて、目につく人から人へ片っ端から「こんなお嬢様を見ていないか!?」と聞いていると、路地裏を子供と一緒に入っていったと有力な情報が手に入った。
城下町で育ったからこそ、路地裏の厄介さに気が付ける。まるで迷路のように入り組んでいるに加えて、似たような景観がずっと続くので慣れていない人間は迷い込むと自力で抜け出すことは不可能だ。
舌打ちが出てしまうが、子供と一緒というのが気になった。
――思い至ったのが、子供を使っての人攫い。
最近、市民街で頻発していると耳にしていたがまさか貴族街でも起こるだなんて。否、油断していた自分の責任だ。とにかく今は首が飛ばないように奔走するしかない。
勘で細い路地裏を駆け巡る。
「っ?」
些細な違和感だった。
足を止めて、しゃがみ込んだ地面に手を伸ばす。キラキラと輝くそれは、小さな小さな青い宝石。いくら小さくともこんなところに落ちているわけがないものだ。
「さすが、お嬢!」
レースの手袋についていた宝石――菊花の目印だった。
よく研磨されたそれは小粒と言えどもよく輝き、一度見つければ二つ、三つとすぐに見つけることができた。
ただ守られるだけのお嬢様でないのだと、口角が上がっていく。
目印を追って、駆ける足に力を込める。
遠くから「お姉ちゃんッ!!」と甲高い子供の悲鳴が聞こえた。
「――ジュファお嬢様!!」
剣の柄に手をかけて、いざという時すぐに抜刀できるようにして、路地を飛び出した。
「あら、エース。来てくれたのね」
はんなりと微笑んだお嬢様と、その足元に転がる死屍累々――ではなく人攫いの男共。
一様に皆、目元を抑えて蹲っており、菊花の向こう側には子供とその母親らしき女性が見えた。
「これ、どうしようかと思っていたところなの」
「お、お嬢……これは、一体……?」
「あの男の子を餌に、わたくしを攫おうとしたのかしら? 聞く前に、虫みたいに湧いてくるから仕方のないことだったのよ。正当防衛っていうのよね、これ」
「お嬢が、やったンですか……?」
「えぇ、そうよ」
さらり、と黒髪が風に靡いて白花の
一体なにで抵抗したのだろう。血が散っているということは鋭利な得物を使ったに違いない。
まさか拳で殴り合ったわけがないが、それにしたって、汗一つかいていないのだ。返り血だって浴びていないし、髪も乱れていない。
「お、お姉ちゃん、ママが!」
「あっ、そうだわ……! エース、あの子のお母様をお医者様に連れて行かなきゃ……! わたくしでは治せないの!」
その前に警兵を呼ぶべきだろ、とは言わなかった。
あまりにも普段と変わらない菊花の様子に気が抜けてしまう。嘆息したエースは、剣を腰に戻し、一抹の安堵に胸をなでおろした。
「全く、いなくなるから心底心配したんですからね」
「この子を放ってはおけなかったから」
しょぼん、と目線を下げてぷるぷるの唇を尖らせる。クソ、可愛いな。つい許してしまいそうになる。
視界の端で、不意に何かが動いた。
「? ――お嬢ッ!!」
仕留め切れていなかったのだろう。片目を血で濡らし、叫び声を上げながら突進してくる男の手には鋭利なナイフが握られている。
舌を打ち、庇うよりも早く、青いドレスが閃いた。
「は、」
少女の可憐な足を包んだ靴先が、的確に男のこめかみを捉えて軽やかに蹴り上げる。妖精がワルツを踊っているようで、目を奪われた。
「いけないわ、ちゃんと仕留め切れていなかったのね」
頬に手を当てて困ったわ、と呟く菊花。
足元に崩れ落ちた男は完全に気を失っているようだ。
「……警兵を呼んで、飯食ったら帰りましょうか」
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