第14話


 ひらりひらり、花が舞う。


 袖を翻して、くるくるくると舞い踊る。

 弦の音が蒼穹に鳴り響き、軽やかで艶やかな舞に男たちは釘付けだった。


 手先が器用な雨燕ユェエンが、さらさらすぎる黒髪を丁寧に編み込んで結い上げてくれた。紅玉の珠がいくつも連なった簪には、菊の花が咲き開いて、揺れるたびに涼やかな音を奏でた。

 衣裳は月燕兄様と燕風兄様が喧嘩をしながら選んでくださり、腰から裾にかけて色濃くなっていく紅色のスカートに、白地に襟元に金糸で刺繍が入った上衣。薄紅や白など、いくつもの天女の羽衣を重ね、化粧を施し紅を引いた菊花は、誰よりも美しい姫君だった。


 珍しく、あのツンデレな薔君ショウクン叔母様が褒めてくださったのをよく覚えている。

 数多くいる皇女の九番目。ある程度自立して考えることができる菊花くらいの年齢になると、皇女たちは、皇帝陛下おとうさまとお会いできるのは月祭だけになってしまう。


 月祭は菊花の晴れ舞台だ。美しく着飾って、唯一の特技である舞の披露をする。同じ季節生まれは皇子がひとり、皇女が五人いた。

 皇帝陛下の目に止まるように、披露する場に向けて御子たちは己を磨き続けるのだ。


 十五歳になった菊花は、どの皇女よりも美しく綺麗だった。


 腰まで伸ばされた真っすぐな射干玉、瞬くたびに光を散らす黄金の瞳。細く華奢でしなやかな若い少女の肉体。

 舞の技術も飛びぬけて、菊花を見たいがために月祭に参加する官吏も少なくなかった。


 皇女たちのお披露目の場は、婚約者探しの場でもある。年頃の皇女に「息子をぜひ!」と上がる声も多かった。


「菊花、準備は?」

「うふふっ、ばっちりでございます」


 月燕兄上に満面の笑みで頷いた。


「……その扇子を使うのか?」

「えぇ。せっかく、燕風兄上が贈ってくださいましたから」

「私のは使ってくれないのか?」

「もう、兄様のは常に身に着ける用ですのよ!」


 ぷんっ、と頬を膨らませた。柔餅みたいな頬を指でつついていると、菊花の順番が来たと侍女が呼びに来た。


 待機所を兼ねている絹屋テントの中から妹を見送り、月燕は母の元へと戻る。


「月燕、菊花はどんな様子?」

「とても落ち着いているようでした。今までで一番、良い出来となるでしょう」

「きっと、この宴の誉は姉上でございましょうね!」


 ふくふくと、笑みを浮かべた弟の頭を撫でる。

 上座に皇帝が座し、左右に広がるように妃とその子らが座っている。


 菊花が披露するのは、扇舞『遊宴花仙ゆうえんかせん

 花の天女が人間の宴に迷い込み、夢幻の舞を披露するという内容だ。


 物音ひとつ立てずに中央へと移動した菊花は、最上位の拝をする。

 親愛なる父皇へ、舞を捧げるのだ。


 しゃん、と鈴の音が鳴る。

 ふわり、と羽衣が風に舞った。

 からん、ころん、と厚下駄が石畳で音を奏でた。


 宮廷楽師による二胡の演奏と共に、皇女が舞う。

 ばらりと開かれた檜扇ひおうぎは、一流の職人が手ずから創り上げた至高の一品。三十九橋の木簡を綴じ合わせ、要には黄金の蝶飾り。五色絢爛な大鳳が翅を広げるさまが描かれており、綴じ紐は特殊な染めを施した紅色をしている。


 鮮やかな緋色の姫君の嫋やかな表情は、母君とよく似通っていた。


 くる、くる、くるり。からん、ころん、からからから。


 沓ではなく厚下駄にしたのは、不安定な揺れで見る者を引き付けるためであり、軽やかな音を楽しんでもらうためだ。


 つるりと流れる黒髪が夜の帳のように少女の表情を隠し、白魚の指先がしなやかに空を弾く。

 人里に迷い込んだ焦燥感、宴にて人間を化かす天女の愉悦、夢幻に惚ける人々――高らかに下駄が石畳を叩き、檜扇が繊細な顔を隠してしまう。


 翻ったスカートが風に靡き、真っ白で柔らかそうなふくらはぎに目を奪われた。

 男たちは隠された顔をこの目に焼き付けようと身を乗り出し、気品溢れる皇子たちも異母妹の優艶な舞い姿に頬を赤らめた。


「ふん、紅家の血を引いているだけある。芙蓉の面影を感じさせるな」

「気弱ながら、あの子は舞が好きですから。きっと血筋でございましょうね」

「……顔良し、器量良し。芙蓉の子ならば悪辣でもなかろう。外にやるには惜しいな」


 上座にて、皇帝は笑みを深める。

 第九皇女の母妃も舞が得意だった。軽やかに、淑やかに舞い踊る姿はまさに天女の名が相応しい。――事故で足を怪我してからは舞うこともなくなってしまったが、娘子はしっかりとその血筋を受け継いでいた。


 曲が鳴りやみ、静かに舞が終わってしまう。あっけない終わりに一瞬の間が開き、次いで拍手が鳴り響く。


 あっという間に終わってしまった舞はまさしく夢幻の如く。

 菊花の後に芸を披露する皇女は可哀そうに。すっかり会場は菊花の舞の虜になっている。


 拝をして舞台から辞そうとした菊花を呼び止める声が響く。


「素晴らしい舞であった」

「お、おとう、――有難きお言葉でございます、主上」


 ぱち、とけぶる睫毛を瞬かせ、驚愕に彩られた表情をすぐさま笑みで取り繕う。


「花も恥じらい俯き閉じる美しき皇女ひめよ。此度の宴の誉をやろう」

「あっ、有難き幸せでございます……!」


 会場内が大きくざわめく。

 皇帝からの高評は御子たち全員が芸を披露してから行われるものだ。菊花の後には四人の皇女が控えていた。まさかそれらが行われる前に高評が頂けるなんて、柄にもなく心が浮ついてしまう。


「褒美をやろう。何が欲しい?」


 ずっと、決めていたものがある。


「――では、わたくしに、」




 あの時、わたくしは父様に何をもらったのだっけ。



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