第10話
約半月ほどの休暇はあっという間に終わってしまった。
菊花がいたから、というのもあるだろう。楽しい事とはあっという間に過ぎてしまうものだ。早く退勤時間にならないだろうか、と氷の美貌の裏で考える。
騎士団の隊服を身にまとい、颯爽と隊舎の中を歩いていく。
向けられる視線はいつものことだが、いかんせんいつもと違う感情が付きまとっている。
氷華の騎士伯爵。氷の貴公子。冷徹副隊長。
爵位持ちの騎士はたくさんいるが、次期公爵であるヴィンセントに向けられる感情というのは様々だ。羨望、憧れ、嫉妬――親の七光りだとか、口さがないことを言われることも多々あった。
そういう者たちに対しては実力を示すのみ。親の威光だけで帝国騎士団第一部隊の副隊長になれるほど、騎士団は腐ってはいない。
休暇中は、領地にある本邸でほとんど過ごしていた。幸か不幸か、蔓延っている「噂」が一切耳に届いていない状況だった。
「やぁ、楽しい休暇を過ごせたみたいじゃないかヴィンセント」
「……。おはようございます。アンジー隊長殿」
「はっはっは、嫌だなぁ、俺と君の仲だろう。ユハと呼んでおくれよ」
ワインレッドの瞳を愉悦に歪め、肩を組んできたのはヴィンセントの上司であるユハ。同年代と言っても差し支えない美しい容姿をしているが、ヴィンセントよりも十以上も年上である。
サラサラの真っ白い髪に、妙な色気のあるワインレッドの瞳。
年齢差など関係ない、とよく女性に詰め寄られているのを見かけるが、おちゃらけた性格をしていながら奥方一筋の愛妻家である。
「で? 俺に何か言うことがあるんじゃないか?」
「土産はありませんよ」
「そりゃはじめっから期待してないさ! はぁ、もったいぶらずに教えてくれたっていいじゃないか。『グウェンデル伯爵がご執心している蒼い令嬢』……なんだよ、好い人がいるなら最初から言ってくれりゃあ妹なんて紹介しなかったのに」
ピタ、と足を止めた。眉間にしわが寄っていく。元々良くなかった機嫌がさらに急降下していく。それに反して、ユハの口元は笑みを描いた。
日々退屈しのぎを探しているユハにとって、ヴィンセントはつまらない生き物だった。
冷血漢の鉄仮面。表情を変えず、黙々と仕事をこなす真面目を絵に描いた男。浮いた話ひとつせず、王太子からの信頼も厚い部下――だった。
それが一夜にして広がった噂は、隊舎内を沸かせるには十分だった。
あの悪趣味なハゲデブ公爵の夜会に出席した小公爵殿は蒼いドレスを見に包んだ美しい御令嬢をエスコートなさっており、なんとワルツまで踊られたらしい!
「……なぜ、それを知っておられるので?」
一般騎士なら底冷えするだろう眼差しを向けられても、ユハは気にせずにヴィンセントをおちょくることができる心臓の持ち主だ。心臓が剛毛で覆われているに違いない。
隊内での乱闘はご法度。いくら頭に来ても腰に提げている剣を持ち出すほどこの男も馬鹿じゃない。もし手を出してきたとしても、簡単にあしらえるくらいには実力差がある。
「なぁんだ、知らないのか? 隊舎内どころか、王城内でも噂になっているんじゃないか? ――ルチェル男爵もディモンド公爵主催のパーティーに出席されていたんだってな」
ルチェル男爵と言えば、お喋り好きで口が軽いと評判の男だ。
話題にはなるかな、と軽く考えていたがまさか王城にまで噂が広がっているとは思わなかった。自身の話題性と、暇な御貴族様の連絡網を甘く見ていた。
堪えていた溜め息を堪えきれず、深く深く吐き出したヴィンセントに粘り勝ちを確信する。
「ちょうど、隊長殿の執務室に向かうところだったんです。お話はそちらで」
「もちろん歓迎するぜ。うちから新茶葉が届いてるんだ。それでも飲みながらにしよう」
この冷血漢から一体どんな話が聞けるのか。ユハは楽しみで仕方なかった。
帝国騎士団は第一部隊から第四部隊まであり、一部隊約三十名から五十名の騎士が属している。帝国騎士団のほかにも、近衛親衛隊や女性騎士だけで構成される白百合騎士団などいろいろある。
王城を中心に、四つの隊舎が対角線上に位置し、隊を率いる役職持ちの騎士には執務室が城内に与えられる。
茶請けの菓子に手を伸ばすユハの前に紅茶を置く。
対面に腰かけ、濃い赤色をした紅茶を啜った。
「随分と渋めの紅茶ですね」
「色もその分濃くてな。うちで新しく作ってるやつだ。ま、この分だともう少し改良が必要だがな」
「……これ、少し貰っていってもいいですか?」
甘い物が苦手な菊花は、お茶も渋めのを好んでいた。
目を丸くしたユハだったが、すぐに合点がいく。
「サファイア・レディへの贈り物か?」
「…………」
ぶすっと、不機嫌なのをあからさまに口を噤んだヴィンセントに声を上げて笑う。
「で、蒼の御令嬢の正体は?」
「半年前の雅國との大戦で功績を残した騎士に、妃や皇女が下賜されたでしょう」
「…………いやいやいやいやいや、え、まさか、え? お前、マジ?」
その一言でユラは全てを察してしまった。
功績を残したと言えば、ユラもその一人だ。そして下賜すると言われたが断っている。いくら敗戦国の王族とは言え、そんなものを引き取ってもめんどくさいことにしかならないのがわかり切っている。
一番興味を示さないだろうと思っていた男が王族を下賜されていたのにも驚いたし、それに入れ込んでいるのにも驚いた。
「敗戦国の皇女と、敵国の騎士。ふふ、身分差なんて関係ないでしょう」
うっわぁ、と心底ドン引きした目で部下を見る。
「その皇女サマを飼い殺しにしている、と」
「はじめは興味なんてなかったんですよ。だから両親に放り投げていたんですが……まさか、下賜されたのがあの子だとは思わなくってね」
「なに、気になる子だったん?」
「――皇帝のハレムに王太子を筆頭にして乗り込んだでしょう。あの時、妃の一人を切り殺した際、ひとりだけ目を反らさずに見ていたんです。肝が据わっているのか感情が鈍いのか……まぁ、感情の起伏が薄いだけだったんですがね」
それでこの副隊長殿は運命だと感じちゃったわけか。目と目が合うなんとやら。
「幸い、俺には婚約者も恋人もいないのでね。両親もあの子のことを気に入っているし、文句を言う輩は切り捨ててしまえばいい」
「急に物騒だな」
「俺とあの子を引き裂くなら、いっそ殺してしまったほうがいいでしょう」
ねじ曲がった性癖だったら面白いなぁ、とか勝手に想像していたが、感情が歪みまくっていた。
「そぉんな可愛い子ちゃんなわけ?」
「――隊長殿は愛妻家でしたね。今度、うちへ寄ってくだされば紹介くらいはいたしますよ」
「おっ、楽しみにしてるわ」
可哀そうに。愛でられ飼われ、お姫様は籠の鳥らしい。厄介な男に捕まってしまったなぁ、とは思いつつも、所詮は他人事なので高見の見物だ。
ヴィンセントに熱を上げていた女性たちがどんな行動にでるか、それもまた楽しみだった。
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