一人と一匹。

 柔らかなアナスタシアの口調から始まった物語。まるでそれは自分達の友達について話すかのように、温かい雰囲気の中、一人と一匹は語り合います。


「うん。それでね、アナスタシア。この世界は『彼女』の中にある心そのものなら、この本に書かれている歴史、それは彼女の『日記』みたいなものだと僕は思うようになったんだけど……」

「……に、日記!? 確かに、そう言われてみればそんな気もするが……クロエ、それを私達は『彼女』に無断で見ているのか? それは少しばかり気が引ける……」

「あはは。確かにそうだね。それじゃあ『日記』じゃなくて……うん。これは『手記』だ。過去の僕が記した『彼女』の──だから、そうだね……繰り返し『やり直し』をする彼女だから……題名は、うん。そう『魔女の手記』かな」

「『魔女の手記』? なんだその題名は? なんだか少し物騒な感じもするぞ。クロエ、それを『彼女』が聞いたらどう思うんだろうな?」

「うーん。センスないかい?」

「うーん。どうだろうな? 決めるのは私じゃないな」

「うん。そうだね。だったらもう一度、『彼女』に会って直接聞いてみようかな」


 角度を変える事で見えてくるもの。

 一人と一匹は直接的ではない視点を持ってその答えへと進んで行きます。


「──そんな『世界』、彼女は、きっと『やり直し』をする度にこう自分に言い聞かせて来たんじゃないかな? 次の自分は『こうあるべきだ』とか『こうするべきだ』ってね。そう自分自身に言い聞かせながら『決心』を繰り返して来たんだ」

「なるほど。では、仮にこの世界に住む人間が『善意』だとすればモンスターはその反対の『悪意』のような位置関係で、『前向き』と『後ろ向き』みたいに相反する二つの存在として彼女の心の中に常にあたりまえのように存在しているそれは……だからいわゆる感情や対極の考え方みたいなものか?」

「うん。そんな感じだね。この本の第三章や第四章にあった『どちらか一つの種族だけのいる世界』っていうのは、極端な割り切りみたいなね。『彼女』が『前向き』や『後ろ向き』に振り切った期間がそれだと思う」

「そうか……『彼女』は常に何かを探し求めて足掻いていたんだな。でも、それなら全てが説明出来そうだな。この世界に住む誰かがこの世界の『決まりごと』に異を唱えた途端にそれが崩れてしまうというのは……彼女の心の『決心』が揺らぐ事……」

「……うん。だからそういう意味で言うなら、キミはそんな誰かがこの彼女の決心、『決まりごと』を揺らし脅かすのを未然に防ぐ為にある存在。彼女の『理性』と言ったところかな」

「私が理性、か……」

「うん。そしてそれなら僕は、そうだなぁ……彼女にとっての『信念』だ」


 そう言うとくろうさぎさんはアナスタシアに伝えます。

 今の自身が考える『違和感』について。

 それは大きさで言えば大きな存在ではなく。

 とてもとても小さな存在、『種』のようなものなのだとです。


「それでね、アナスタシア……僕は『違和感』についてこう思うようになったんだ。『違和感』それはとても『小さな存在』なんじゃないかって……」

「小さな……?」

「うん。それはもうこの目には見えないくらいのね。僕達は今まで『違和感』をとても大きな存在だと思って探して来た。だから見つけられなかったんだよ」

「……だとすれば、私達が今まで対峙して来た者達は……」

「見た目やかたちは違えど全て皆同じ、『違和感』に影響された『はみ出し者達』だった。だから、その傾きは直接的に反応する事はなかったんだよ」

「……聖慮の天秤、か……」


 アナスタシアは再び聖慮の天秤を出現させると一人と一匹は聖慮の天秤を見つめます。


「それでも僕達はそれを信じて進むしかなくて……それは、過去の僕達の言葉だけを頼りに判断して来たせいだ」

「だけど、今は違う……私達は過去だけではなく、今ここで、想像をして『彼女』に自ら歩み寄ったから」

「そう。だから、やっとこの時代の『彼女』、『世界』に近づく事が出来るんだ」


 その言葉にアナスタシアは確信を突く質問を投げかけます。


「クロエ、ではこの聖慮の天秤は何を差し示しているんだ?」

「うん。それもやっぱりさっきの『心の病い』と同じだね。」

「……それは……」

「うん。それはきっと、『彼女』の『心の重み』だと僕は思う」

「……心の、重み?」

「うん。上手くは言えないけど、そんな目には見えない何かをその天秤は僕達に教えてくれているんだと思う」


 くろうさぎさんは窓の外、果てなく広がる蒼い空を見つめます。


「今この世界の何処かに居る『世界』。『彼女』がこの最後の時間に何を見て、何を感じて、何を思っているかはわからない。実際のところその聖慮の天秤の両皿に何が掛けられているかも……だからこうやって想像して考えるしか出来ないけれど、だったら僕達は会いに行くべきなのかもしれないね」

「それは、この世界の何処かにいる『彼女』に……」

「うん。『約束』を守るってそういう事だろ?」

「ああ。そうだな。守るとは、つまり『彼女』を側で支えるという事、か」


 それから一人と一匹はこれからの行動について話し合うとその方向を確かめ合います。


「──では、クロエ。私達はこれから二つの目的を果たすということで良いかな?」

「うん。そうだね。それでいこう」

「ああ。一つは今まで同様に『違和感』を探し見つけその元凶を見つけ出し消し去ること」

「うん。その過程で『はみ出し者達』も今まで通りまとめて救う」

「それともう一つは……」

「この世界の何処かに居る『彼女』に会いに行くだ」


 新たにここに一人と一匹は『誓い』の言葉を描き出します。

 それは今もこの世界の何処かに居る筈の、顔も思い出せない黒髪の少女、『世界』に会いに行くこと。

 その先で、『彼女』を支えるということなのでした。


「でも、当面の目的は変わらないね。結果として僕達は正しい道を辿って来たんだ」

「ああ。このまま先へと進み、その『小さな存在』を見つけ出して消し去る」

「そうだね。『違和感』を生み出す元凶、『小さな存在』。それは『きっかけ』と言っても良いかもしれないくらい些細なもので、だけど大きな影響力を持ったそんな存在、『悩みの種』だ」

「そんな『小さな存在』、『悩みの種』はだからこそこの世界の始まりに居る。この街に辿り着いた冒険者達。彼らが『心の病い』を抱えていたのがその答え、だな。それを植え付けた存在はこの先にある二つの街の近くに必ず潜んで居る」

「うん、そうだね」


 そして。

 最後にくろうさぎさんはアナスタシアを見つめるとこう言いました。


「だから、アナスタシア。僕達一人と一匹の物語は、世界を救う物語なんかじゃない。それは、もっと小さくて、だけど大切な、僕達の友達。たった一人の少女の心を救う、そんな物語だったんだ──」


 そしてここに一人の調停者は、一匹の案内人と共にその足を先へと進めます。

 そんな一人と一匹の紡ぐ物語は『世界』という名の、たった一人の黒髪の少女を救う物語。

 大切な友達の心を救う、そんな物語だったのでした──

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