第9話 出所前夜は静かに過ぎて


『で? 何の相談もなく勝手に変な女と行くことになって、その上余計な借金までしょいこんだおバカで自分勝手な手駒が、今更この富と契約の女神アンリエッタに何の用かしら?』

「誠に申し訳ございませんでした」


 時は真夜中。俺はアンリエッタにひたすら平謝りしていた。怒った女性はちびっ子女神でも怖いのだ。


 アンリエッタはすっかり機嫌を損ねていて、吐き出す言葉の一つ一つに微妙なトゲがある。


『まったく。いきなり大金をちらつかせてくる交渉は、少し時間を貰って考えるのが基本でしょうが!! それを即答で決めちゃって……それに百万デンだって、返さなくても良いって向こうが言ったのだからそれで良かったのよ。なのにワザワザ返済するなんて。余計な手間が増えたじゃないの』

「ホントにゴメン。確かに大事なことは相談するものだよな。そっちも急に決められて気を悪くしただろうし。謝るよ」


 俺は手鏡の中のアンリエッタに深々と頭を下げる。


『ふんっ。よろしい。次からはちゃんと相談しなさいよ』

「許してくれるのか?」

『……あの状況では一緒に行く以外の選択肢はほぼ無かったでしょうからね。仕方ないわ。出来ればもう少し条件を付けたかったけど、それは今更な話だし』


 そうなんだよな。あそこで話を断っていたら、いずれ手詰まりになっていた可能性が高い。金を稼ぐ算段もついていなかったし、そのまま金が底をついて特別房に入ることになっていたと思う。


『アナタの選択が間違っていたとは言わないわ。だけどそれとは別にあの女……イザスタには気を付けなさい』

「う~ん。個人的に言えば、あの人は良い人だと思うぞ。ここに入ってから毎日顔を合わせてきたけど、少なくとも悪意は一度も感じなかった。下心くらいは有ったかもしれないけどな」


 三日も一緒に過ごした仲だ。少しは相手のことも分かってくる。彼女は第一印象通りお気楽かつご陽気な人だ。よく笑うし話も上手い。


 時々からかうような態度をとるが、すぐに元に戻ってまた笑うのだ。これら全てが演技とはとても思えない。……男を手玉にとるのは上手そうだけどな。


『悪意が無いからって気を付けない理由にはならないけどね。……ひとまず油断はしないように』

「あぁ。気を付けるよ。しばらく一緒に行動する訳だからな」


 それを聞いて安心したのか。アンリエッタは軽く微笑んでそのまま通信が終了する。


「ふぅ~。……で? これも報告するのか?」


 俺は独り言を言うように話しかける。実際端からはそうとしか見えないが、ここに壁に擬態しているウォールスライムが居ると話は変わってくる。


「詳しい内容は分からなくとも、俺が誰かと話していたって点は報告するだろうな。……まぁここに来てから今日までのことを、この城の誰かに報告しているのは分かるけど」


 こいつが本当の看守だと言うなら、当然囚人の行動を誰かに報告している筈だ。つまりこれまでのことは筒抜け。俺が加護で物を金に換えたこともバレている可能性が高い。


「これくらいのことはどうせアンリエッタも分かっているよな。でも何も言わなかったって事は、特に心配ないってことか? そうだと良いなぁ」


 そのまま壁にチラチラと目を向けるが、牢屋はシンッと静まり返って物音一つしない。……反応なしか。それとももしかして丁度ここに居ないとか? だとしたら本当にただ独り言をブツブツ言うだけのイタイ人になってしまう。


「……明日何が起きるか分からないし、そろそろ寝るとするか」


 心の隅に浮かんだ嫌な想像を振り払い、俺は支給された毛布に包まりごろりと床に寝転がる。体が痛くならないのはここ数日同じことをしているから証明済みだ。


 イザスタさんに大きな借りが出来たし、何で俺に冤罪が被せられたのか不明だし、ついでに『勇者』のことも気にかかる。やることは多いのに謎ばかり深まるこの状態。頭の中がぐちゃぐちゃになりながらも考え続け……いつの間にか意識が遠退いていった。




 ◇◆◇◆◇◆


 王城の一室にて。


「夜中に突然の訪問とは何のようかね?」

「トキヒサ・サクライの出所許可を頂きたい。至急だ」


 この部屋の主、ヒュムス王補佐官ウィーガスに対してディラン看守が詰め寄っていた。


「貴様!! 閣下に向かってなんだその態度は!」


 業務報告をしていたヘクターは憤る。それも当然。一看守が王補佐官に対して、夜更けに突然押しかけてこのような態度。不敬罪に問われてもおかしくない。


「まあ待てヘクター。この者とは古い仲だ。話を聞こうではないか。……続けたまえ。トキヒサ・サクライとは数日前に入った囚人のことだな?」


 ウィーガスはヘクターを窘めるとディランに続きを促す。口調は穏やかだが、その眼は鋭くディランを見据えている。


「知っているくせに白々しい。そのトキヒサ・サクライの出所許可を頂きたい。既に他には話を通してある。後は貴方のサインがあれば明日には釈放だ」


 そう言ってディランは持っていた書類をズラリと並べる。そこにはトキヒサ・サクライを出所させることを認めた旨が何人もの役人のサインと共に記されていた。


 サイン欄の一部が空白になっているのは、そこにこの部屋の主のものを加えることで完成することを示している。眼を通して不備がないことを確認すると、ウィーガスは軽くため息をついてディランに向き直った。


「成程。確かに条件は満たしている。お前は囚人達に対して多少の権限が有るからな。それに私のサインを加えれば釈放させることも可能だろう。だがこれはあくまで減刑措置の一種。特別房に入るような罪人には意味がないのではないかね?」


 この国に終身刑はない。罪状に応じて懲役が追加されていき、それに合わせた労働をするか罰を受けることで減っていくシステムだ。なので場合によっては懲役数百年という状況になる。実際この世界には長命の種族も存在するため間違いではない。


 だが特別房に入るような囚人は特殊だ。何らかの理由で、または罪を償う気がない者達である。今回の時久の件もそれであり、罪が多過ぎて生半可なことでは償いきれないのだ。


「……そうだな。貴方の言うとおりだ。俺でも多すぎる罪状を減刑することはできない。トキヒサは相当数の罪を重ねているからな。全てを帳消しにすることはできないだろう」

「ならさっさと帰るがいい。閣下は些事に煩っている暇などないのだ」


 ディランの言葉に早く話を終わらせようとヘクターが追い打ちをかける。実際その言葉は正しい。ウィーガスは多忙であり、国家の運営に関わる幾つもの仕事をこなしている。本来なら話す時間など取らないこともあり得た。


 なのにわざわざ時間をとったのは、本人が言うように二人が古い知己だということが一点。そして、


「……ただ、なら話は別だ」

「仕組まれた? 実に興味深い。誰がそんなことをしたというのかね?」

「何処までしらばっくれる気だ? 。ウィーガス王補佐官殿。貴方がトキヒサ・サクライにあらぬ罪を着せたのだろう? 情報は掴んでいる」


 そして、ディランが権力云々は別にしても国内に高い影響力と広い人脈を持ち、真相に辿り着く可能性が高いことをウィーガスは知っていたからでもあった。


「何でそんなことをしたのかは知らないが、こちらも金を貰って頼まれた身だ。奴は俺が責任を持って出所させる。正式にはまだトキヒサに判決は下っていない。貴方なら仕組まれた分の罪状は撤回出来るはずだ」


 強い口調で罪状の撤回を要求するディラン。ウィーガスはその言葉を黙って聞いていた。ただ、二人の視線は空中で交差しながらも、互いにどこか別の何かを見据えているようでもあった。


「金を貰って……か。まさか数日で払いきるとはな」


 ウィーガスは僅かに驚きと称賛の気持ちを乗せて呟いた。


「あれは元々囚人に希望を持たせるためのものだ。金を貯めれば出られるという救いの道。ただし貯め切ることの難しい見せかけの希望でもある。ヒトは日々のちょっとした贅沢や娯楽で金をすぐに使ってしまうからな。小悪党では目先の欲に囚われて払いきれない。僅かな満足と引き換えに労働刑に従事し、罪を償い終えるまで働き続けるというものだったのだがな」

「俺としても予想外だった。まあ正確には払ったのは別の奴だが規則は規則だ。貴方には悪いが何としても撤回してもらうぞ」


 ディランはそう言うと、部屋にある来客用の椅子を一脚用意してそこに座った。


 ウィーガスの考えは分からないが、そう簡単には頷かないだろう。しかし自分の受け持つ囚人が大金を払ってまで出所を望んだのだ。その分は動かねば筋が通らない。時間ギリギリまでここで粘る。そう考えて長期戦も辞さない覚悟だったのだが、


「…………よかろう。許可を出そう。罪状の方も撤回しようではないか」

「……何!?」


 その答えにディランは一瞬間の抜けた表情をする。散々交渉して譲歩を引っ張り出すまでが勝負だと思っていたのに、こんなあっさり認めるとは予想外だった。


「閣下!! よろしいのですか?」


 傍に控えていたヘクターも、主の予想外の行動に思わず口を出す。「構わぬ」と一言返し、ウィーガスは書類にサインを書き記していく。その達筆でみるみる書類の空白は埋まっていった。


「やけにあっさり許可をくれたな」

「簡単なことだ。奴はイレギュラーではあるが、引き込んでもあまり旨味がない。ならお前に貸しを作っておいた方が何かと役に立つと考えたまでのこと。なあ? ディラン・ガーデンよ」

「やめろ。……俺はただの看守だ」


 ディランが鋭く睨みつけるがウィーガスは素知らぬ顔。書類を書き終えると、ヘクターに調査書をここにと言い渡してイスに深く腰掛け直す。


「調査書? 何の?」

「見れば判る。……来たか」


 少しして戻ったヘクターの手には、数十枚もの書類の束があった。ウィーガスはそれを机の上に置かせると、読んでみろとディランに手渡す。


「これは……城内で噂になっている『勇者』様の情報か。名前に人相、体型や年齢。持っている『加護』まで。よくここまで調べたものだ」


 興味はあるが、なぜこれを見せられるのかが分からない。ディランはパラパラと書類をめくっていき、終わりの方に差し掛かった所で彼の手がピタリと止まる。


「……ちょっと待て。これは一体どういうことだ!?」


 そこに書かれていたのは、本来ここに載っている筈のない者。トキヒサ・サクライの名前だった。


「つまりこういうことだ。本来『勇者』は言い伝えでは。ただし何らかのはずみで、五人目の『勇者』と思われる人物が現れた。それが彼だ。私の手の者に命じて彼のことを調べさせた結果、一つの結論に達した」


 ここまで淡々と話していたウィーガスはそこで一度言葉を切り、トキヒサの書類を手に取ってもう一度見直した。そして以前と変わらぬ内容を確認し、僅かな落胆の色を滲ませながら結論を述べた。





「彼、トキヒサ・サクライは、だ」

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