子供の頃の夢覚えていますか?

 私の産み親は妹を産んで直ぐに子宮癌で亡くなった

覚えているのはその母親にお馬さんしてもらった

記憶くらいで顔は覚えていません

最初は親戚の家に兄妹だけでお世話になっていたけど

その家にも子供がいたのでほんの数ヶ月でした


 父親は仕事をしながらまだ幼稚園も行けない子供三人の世話を

する事は難しく私達兄妹は施設に預ける事になった

一番小さい妹は一人だけ違う施設になった


 施設での生活はみんな同じ境遇の子供達でその当時

施設の中には二十人くらいいたと思う。

姉は施設から小学校に通っていた、私は三歳なので施設の中で

同い年くらいの子供と施設の大人の人が三人くらいで面倒を

見ていたのを覚えている、そこには小さな子供が乗れる

自転車があった、好奇心が多いい私は補助輪無しのその

自転車に乗って漕ぎ出したのを覚えている


 近くには空き地があってそこに施設の子供を連れてって

遊ばせてくれたのを覚えている、その時私は蛇を見つけて

首を掴んで施設の子供達に見せに行ったが驚いて逃げって

行ったのでそのまま蛇をぶん投げた。


 とにかくワンパクでいたので施設の子供達とは仲良くして

楽しかったのを覚えている、その時子供達の一番の楽しみと

言えば、一か月に一度親が会いに来てくれる日をみんなで

一緒に喜んでいたのを覚えている


 目がキラキラしてて一緒にいれる時間は一時間くらいで

それでもみんな嬉しそうにしていた私も同じだったが母親は

いないので、父親がママ母を連れてきた時は私は本当の母親と

思って喜んだ、その時は気が付かなかったけど、新しいお母さんは

台湾の人なので見た目ではわからなかったかもしれない

それでも父親が再婚して施設から出る時はみんな喜んでくれた。


 始めから家で育っている子供にはわからないと思うので

私の出来事を書いているのでそこは純粋に読んでくれると

ありがたいと思います。


 家は貸家でアパートだった、一番小さい妹はもう少し後から

家に来る事になったので休みの日に家族で会いに行って妹と始めて

会った、素直に可愛いと思ったし、いつも一緒にいなかったから

余計にそう感じたと思う。


 再婚したのがちょうど幼稚園の入った後なので私は一年間

家で一人でテレビを見ていたのを覚えている、特に子供番組だった

がたまにドラマも見ていたので母親に

「流産ってなぁに?」

と聞いた時には母親はびっくりして

「何処でそんな言葉を知ったの?」

と聞き直して来たのでテレビで言っていて意味がわからない

私に母親も日本語の勉強中でお互い、はてなマークだったのを覚えている

 

 それから私は幼稚園の年長生から入ったので、幼稚園の仕組みが

わからず父親も仕事だけなので話をした記憶が当時は無い。

家から歩いて行ける所にあった幼稚園なのでいつも一人で歩いて

幼稚園に行って一人で帰ってくる子供だった、私にはそれが

当たり前で何も不思議には思わない子供だった。


 ある日朝から雨が降っていて、大人の傘をさして幼稚園に向かって

いたら私の横にバスが止まった、扉が開いてその時の幼稚園の先生

が一緒に行こうと私に声をかけてくれた、はたから見たら

幼稚園児が大人の傘をさして幼稚園に向かっているのを見て

不憫に思っての事かもしれないけど、バスにに乗り込むと

他の子供達のなんで乗って来たんだと不思議な顔をして来た

ので何も言わずに下を向いたのを覚えている


 それからは時間が解決してくれた、慣れてきたのである

たまに施設の子供達を思い出していたけど、幼稚園に通って行く

うちにその子達をだんだん忘れていっていた。

 

 何もかも初めての事ばかりで家に帰っても夕方まで誰もいない

家に一人でいた、たまにお母さんが料理をしていた時に私は母親に

こう言ったのを覚えている。


「大人になったら、お母さんと結婚したい!」


 そうしたら母親は笑って私に言った。

「お父さんはどうするの?」


「あきらめてもらう」


 そんな返事に母親は笑っていたから私は「どんな人が好きなの?」

と母親に聞いてみた、その時「そうだね〜優しい人が好きだよ」

と言ったので私は「じゃぁ優しい人になる!」って言ったのを覚えている


 それが私の初めての夢だった。


『ただ優しい人になるそれだけだった。』


 みんなにも子供の頃そんな単純な夢を持っていると私は本気で

思っている。そして何よりそれが原点のような気がする。


 世界には勉強出来たらお医者さんになりたいって事を言う

子供達がいる理由は病気になっている家族を治したいって気持ち

ただそれだけ、でもその気持ちは間違いなく

家族を大切に思う気持ちが原点だと思う。


 なぜなら私は施設の子供達を見て聞いて、いつもみんなこういうのだ。


「家族と一緒に暮らしたい!」


 当時を思い出すと子供達に一番必要なのは家族と一緒に居る事

その言葉だけは私の記憶から消えない、私もその中の一人だった

施設の中では誰もわがままを言わないのが、当たり前だった。

施設の大人は両親では無いのでみんなその事について理解していた

とあらためて思うのはそうだったから、お昼寝の時間にはみんなで

決まった場所で布団で寝てたし、決められた時間に遊びに行く

個人で何かやりたいではなく、そう決まっていたから、

そんな発想は無いのである、だからわがままを言うことがない。


 たまたま私は施設で過ごした時間があり、その中で施設に

いる子供達と一緒にすごせたから、今世界でもそんな生活をして

同じ気持ちの子供達がいる事を知っている。


 原点にかえってみて思う気持ちは家族の笑顔が一番見たい

それに尽きるかもしれない、もし時間があれば思い出すのも

いいですし、直接親に聞いて見て欲しいです、子供の頃自分は

なんて言っていたのかを、その事を聞けたり、思い出せたら

今苦労しているのなら、少しでも身体が軽くなるかもしれない

今夢なんか無いと思うなら思い出せるかもしれない


 そうなれれば、みんな少しずつ笑顔が増えてくるし

他人にも優しくなれる事が出来ると思います。

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