第18話 リアルな夢と微睡の現実 ❶
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「ッ────!」
ハッと、勢いよく目を覚ました。
微睡からの唐突な覚醒は、何かを迫られているような焦燥を感じさせる。
けれどそれが一体何に切迫しているのかを思い出す前に、俺は眼前の光景に面食らった。
「おはよう
目の前に、いや頭上に未琴先輩の顔があった。
右側だけが長い前髪が垂れ下がり、そして天地が逆さに見えるから、きっと見下ろされているだろう。
そう理解して、頭の下に敷かれているすべすべと柔らかな感触に気付いた。
膝枕を、されている。
ショートパンツから伸びた剥き出しの太ももが、俺の頭を嫋やかに包んでいた。
ただ、何故だかそのことにはさして混乱しなかった。
何だか寝付く時から膝枕をされていた気がするんだ。
いやでも、なんかちょっと違うような気もするんだけど……。
「寝ぼけてるの? それとも、もう少し夢を見ていたいのかな」
目覚めて一番に未琴先輩の洗礼されたご尊顔を目にして圧倒されている俺に、彼女は小さく笑みを浮かべた。
両手で俺の頬をそっと包み込んで、まるで赤子を愛でるように目を細める。
少しひんやりとした手のひらはシルクのように滑らかで、何だか妙にドキドキとした。
「あ、いや……おはよう、ございます……」
寝起きには些か刺激の強いスキンシップに戸惑いながら、なんとか言葉を絞り出す。
朝日に照らされた未琴先輩の美しさ、魅惑的な膝枕での起床、
そのどれもが俺の心を滾らせるのだけれど。でも今は、妙に頭の中に引っかかるものがあった。
「────夢、だったのか……」
現状を認識していくにつれて心も落ち着いて、先程感じた焦燥もなだらかになっていった。
悪夢を見て飛び起きた時に似ている。起きた瞬間はハラハラしても、現実を認識できればそれは幻だと理解できる。
これもきっと、そういう感覚なんだ。
かなりリアルな夢を見ていて、一瞬混乱しただけ……。
「もう、せっかく膝枕をしてあげるてるのにボーッとして。もう少し喜んでくれると思ったんだけど」
その拗ねたような態度は可愛らしいのだけれど、今は何故だかとても不穏なものを感じた。
いつもと同じ、美しすぎる未琴先輩のはずなのに。
「えっと……至福で極楽ではあるんですが、びっくりが先行してしまって。だって確か、未琴先輩は俺の隣の布団で寝ていたはずですし……」
布団の位置は枕投げの順位で決したのだと思い出す。
最後まで生き残った未琴先輩と、次いだあさひが両脇を固めたんだった。
隣に寝ていた人が頭上にいるとなれば驚かずにはいられない。
「それはつまり、寝る時からずっと膝枕して欲しかったってこと?」
「流石にそこまで非常識なお願いはしないですけど。でもしてもらえるのであれば、それに魅力を感じることは否定できませんね」
「欲張りだね、君は。仕方ないから考えておいてあげる。今度ね」
そんないつも通りの会話をしながらも、俺の心はなんだかここに在らずで。
目を覚ましたことで現実と夢の区別を得たはずなのに、まだ胸にざわめきが残っていた。
妙にひっかかる感じが気持ち悪い。
未琴先輩が言っている通り、今はせっかく彼女が膝枕をしてくれているんだから、そのハプニングとサービスを堪能したいところだっていうのに。
献身的な行為を向けてくれる未琴先輩と、朝ののどかなひと時を楽しく過ごす、そんな心地いい空間を味わいたいのに。
今見ていた夢が邪魔して俺の心に
未琴先輩のその美麗な相貌を見上げながら違和感に頭を捻った、その時。
不意にその姿に、
────ちょっとでも今この時を覚えられていたら……夢の中でも、私を頼ってください────
「ッ……!」
そうだ。俺は安食ちゃんにこちらへ送り出されたんだ。
飽くまでさっきまでのことは夢だとしか思えないけど、でも。
夢の中で俺は、彼女の気持ちを受けて眠りについて、そして
そう気づいて、俺は居ても立っても居られなくなってガバリと体を起こした。
けれどそれでもやっぱり、現状の混乱をうまく理解することはできなくて、今自分が何をするべきかわからない。
焦る気持ちだけが先行して、でもその先に何も繋げることができなかった。
「尊くん……?」
急に飛び上がった俺を、未琴先輩が不審そうに見つめてくる。
けれど俺はそんな彼女にまともな返事をすることはできなかった。
自分でも理解できないことを説明なんてできないし、それになんだか、未琴先輩に話すのは違う気がしたから。
そうこうしているうちにみんなも起き出して、やり取りはなあなあになってしまった。
その後も支度をしてすぐに朝飯を食べたり、海岸清掃のボランティアに繰り出したりと慌ただしくなって。
そんな中で未琴先輩は特に突っ込んでこなかったし、それは好都合と俺も普段通りに振る舞った。
俺が眠っている間に見ていた夢。
この合宿にとってもよく似ていて、けれど少し違うことが起きているリアルな夢だ。
夢の中の俺も似たような感覚を覚えていて、それを解決せんと眠りについていた。
夢の中の俺はこちらを夢だと思っていたけれど、今の俺にとっては向こうこそが夢だ。
けれど夢について真剣に考えるにつれて、非現実と思っていた記憶が徐々に確かなもののように認識できてきて。
もはや、その是非を自分の感覚で判断することはできない。
だから問題は、この焦燥が本物なんだとしたら、合宿の思い出が二つ存在しているということだ。
異なる記憶を夢のように朧げに思い起こす感覚は、既に体験している。
或いは、今とは違うルートが存在し、結果的に二重の思い出を得たことも。
今回の違和感もまた、それらと同じようなことが起きているんだとすれば、その原因はもしかして……。
「安食ちゃん。実は、ちょっと話があるんだ」
海岸清掃のボランティアを終え、海で遊ぶ前に昼飯を済ませた後のこと。
俺はデザートにかき氷でも買いに行こうと安食ちゃんを一人連れ出して、その道中で切り出した。
昨日と同様に昼飯は大量に買い込まれて、沢山ある食べ物を前にみんなも少し食べすぎてしまったのか、誰もついてくることはなかった。
一人で悩んでいても結論なんて出ないし、よくないことを考えてしまう。
今までと似たようなケースだとしても、安易に未琴先輩のことを疑いたくなかった。
そもそも実際に問題が起きているかも定かじゃ無い、俺の根拠のない違和感だけが頼りだから。
だから俺は、夢の中で言われた安食ちゃんの言葉通り、ここにいる安食ちゃんを頼ることにした。
「突拍子もないことを言って、本当に申し訳ないんだけど……」
キョトンと愛らしく首を傾げる安食ちゃんに、俺はボソボソとそう前置きをして予防線を張る。
完全にかき氷の口とテンションになっている安食ちゃんは、どちらかといえば歩くペースを落としたことに疑問を感じているように見えた。
そんな彼女に、この訳のわからない状況をどう説明すればいいかわからない。
いやきっと、ただ説明したって本質的に理解してもらうことはかなり難しい。
だから俺は思い切って、単刀直入に言った。
「安食ちゃん。君に、俺の見た夢を見て欲しいんだ」
「えっと……」
当然すぎる戸惑いが彼女の表情を占める。
それでも俺の言わんとしていることを汲み取ろうとしてくれているのか、健気な瞳は俺から外れなかった。
「君は、君の能力は他人が見た夢を覗くことができるんじゃないか? それで、今の俺の状況を理解して欲しいんだ」
「う、うっしー先輩……そんなこと、どこで……」
夢の中で安食ちゃんがしていたことを元に、勢いだけで言葉を並べる。
夢で知り得たことが現実にも該当するかなんてわからなかったけれど、でも彼女のリアクションを見るにあながち間違っているわけでもないように思えた。
戸惑いに溺れそうな安食ちゃんは、大きく息を飲んでいたから。
「うっしー先輩は、私の能力を……知ってるんですか? ど、どうして……」
「いいや、知らない。そこまでは聞けなかったんだ。でも、そういうことができるってことは教えてもらった。夢の中で、君から」
「えぇ…………?」
困惑を隠しきれていない安食ちゃんは、小さな口を両手で覆ってオロオロと視線を泳がせる。
やっぱり不確かでも一から説明した方がよかったか。いや、きっとどちらにしたって混乱は避けられない。
なら、安食ちゃんに信用してもらって能力を使ってもらった方が確実で早いはずだ。
店まで辿り着かず、俺たちの足は止まってしまった。
安食ちゃんは元々小さな体を更に小さく縮めながら、不安の眼差しで俺を見つめる。
俺はこれ以上なんて言葉にしていいのかわらず、ただ真摯に視線を向けることしかできなかった。
「…………」
安食ちゃんはしばらくオロオロしてから、そんな俺に恐る恐る手を伸ばしてきた。
指先がちょっぴりと俺の手に触れ、ささやかに摘まれる。
「わかり、ました。よくわかりませんけど、でも……」
「安食ちゃん……」
「けど、ここじゃちょっとあれなので」
そう言うと、安食ちゃんはやや俯きながら俺のことをくいと引っ張った。
されるがままについていくと、彼女はするりと建物の物陰に滑り込んだ。
明るく人が賑わう表の空気をよそに物陰は少し薄暗く、少し外れただけのに喧騒は彼方のことのように思えた。
そんな中で安食ちゃんは俺をすぐそばへと引き寄せて、ゆっくりと控えめに見上げきてた。
「うっしー先輩がどうしてそれを知っているかわかりませんし、先輩のして欲しいことを私がちゃんとできるかはわかりません。でも、何か大事な意味があるってことは、わかりましたから。できることをさせて頂きます」
「ありがとう。ごめん、急に無茶苦茶なことを……」
未だ混乱しながらも、頑張って俺に答えてくれようとしいる安食ちゃん。
俺が謝ると、にっこりと笑って首を横に振った。
「いいえ、気にしないでください。私はいつだってうっしー先輩の味方ですから。なんだって、私が受け止めてみせます」
柔らかくも頼もしい笑顔に、
年下の女子に励まされるなんて情けないと思いつつ、でもその存在を心からありがたく思う。
もう一度、心の底からお礼を言った。
「じゃあ、ちょっと失礼して」
暖かく微笑んでから安食ちゃんは徐にぴょこっと背伸びをして、俺の首に自らの腕を回した。
かと思えばそのまま俺の頭を引き寄せて、その腕の中にぎゅうーと抱き収める。
華奢な細腕の、暖かく柔らかで確かな抱擁が俺を満たした。
小さな体に抱かれているのに、まるで大いなる存在に包まれているかのような安心感に見舞われる。
体だけではなく、心までも温もりに包まれて、魂が洗われるような清らかな幸福感が全身を満たす。
今この瞬間、この場所が、俺にとって最も心落ち着かせることができるものであると、そう思えるほどに。
「…………」
どれほどそうしていたか。
時間の感覚がわからなくなるほど、心身共に蕩かされていた時のこと。
コツンと、俺の頭に安食ちゃんのそれが重なったのがわかった。
視界の端に彼女の顔がチラリと映って。
そしてその頬に、一筋の涙が伝ったのが見てとれた。
「あ、安食ちゃん……?」
「…………」
心配になって呼びかけると、安食ちゃんは無言のままに腕を解いた。
そうして窺えた彼女の顔は泣き顔というわけではなく、けれどその瞳は確かに涙を溜めている。
なんて言葉をかけていいかわからずにいると、彼女の方から口を開いた。
「そういう……ことだったんですね。わかりました……わかりましたよ、
「えっと……安食ちゃん?」
今度は俺が首を傾げる番になってしまった。
一体今のハグになんの意味があったのか。安食ちゃんはどうして涙を流しているのか。
さっぱりわからない。俺はその顔を見つめることしかできなかった。
そんな俺に、安食ちゃんは涙を拭いながら優しく微笑んだ。
「大丈夫です。先輩が置かれている状況は把握しました。夢の中で、何があったのかも」
「そ、そっか。よかった……」
「はい。なのでまず、私の能力についてお話しないとですね」
努めて笑みを保ちながら、安食ちゃんはやや緊張した声色でそう言った。
思えば夢の中でも彼女は、自らの能力について語ることをかなり躊躇っていた。
「大丈夫です。夢の中で十分悩んだおかげで、もう気持ちの整理はついてますから」
「…………?」
俺が案じる視線を向けると、安食ちゃんはそう言ってまた微笑んだ。
小さな体のどこに、それだけの強さがあるのか。
「私の能力は、あらゆるものを絶対的に受け止めて、飲み込み許容すること。物理的にも精神的にも概念的にも私は、どんなものでも受け入れることができるんです。それが、私が持つ『
そっと、両手で俺の手を取る安食ちゃん。
下の方から必死にこちらを見上げて、ゆっくりと口を開く。
「万物を嚥下する懐柔の手。『
その言葉はどこか寂しげで、自棄的に聞こえた。
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