第2章『みんなアタシの運命の人』

第1話 未琴先輩と初デート ① m-1

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 ジリジリと焼き付けるような日差しが降り注ぐ、土曜日の昼前。

 人類の体力を削ぐのに励んでいる太陽と、メンタルを害することに勤しむ蝉の鳴き声が、俺をあらゆる方向から攻撃してくる。

 普段ならインドア派である俺は、こんな不快極まりない夏の真昼間に、わざわざ自分から拷問を受けに行ったりはしない。

 けれど今日は違う。むしろ意気揚々と、足取り軽く、何ならスキップでもしそうな勢いで、俺は軽やかに歩を進めている。


 今この時に限れば、暑い日差しは俺の気持ちを滾らせるパッションに思えるし、煩わしい蝉の鳴き声は俺のテンションを沸き立てるバックコーラスのように思える。

 いや、それは流石に言い過ぎか。両方とも控えて頂くに越したことはないけれど、でも多少のことは甘く見てやるかと、そう寛容な気持ちになっているのは確かだ。


 強い日照りとアスファルトの照り返しで、目の前が若干白むのも気にならない。

 ムンムンと立ち込める熱気が、ゆらゆらと陽炎かげろうのように茹っていることもどうでもいい。

 俺はこれから待ち構えるイベントに、恥も外聞もなく舞い上がっていて、何にも気に止まらなかった。


 だから電車を降りて涼しさから一転、蒸し暑さに苛まれようと、改札を潜って強い日差しに迎え入れられようと、俺の足取りは軽いままだった。

 けれどいざ目的地についてみると段々と緊張が高まってきて、単純な暑さも相まって汗がダラダラと流れ出た。

 その不安に乗っかるように、今更ながら様々な不快感が押し寄せてきて、余計に気持ちを曇らせる。

 けれどそれすらも浮き立つ気分で吹き飛ばしながら、俺は待ち合わせ場所である謎のアーチに足を向けた。


 うちの最寄り駅から学校とは反対の電車に乗って数駅。ここらではそこそこ栄えた街の駅は、土曜日ということもあって混雑している。

 特によく待ち合わせ場所に使われる、何を模しているのか全くわからない謎のアーチの周りは、友達や恋人を待つ人たちでごった返していた。

 こんなに人がいたら逆に相手が見つけにくいんじゃないだろうか、と常々思う俺だけれど、しかし目的のお人は一瞬で見つけることができた。

 申し訳ないが、存在感がその他の人々とは違いすぎるんだ。


「未琴先輩! すみません、待たせてしまったみいで……!」

「大丈夫。私もさっき来たところだから」


 人混みに紛れながらも異彩な存在感を放つその姿に慌てて駆け寄ると、とてもベタな返答が返ってきた。

 絶世の美女であるところの神楽坂かぐらざ 未琴みこと先輩は、夏の暑さを吹き飛ばすような、そっと落ち着いた笑みを俺に向けてくれている。


「でも、暑かったでしょう。俺、もっと早く来ればよかったですね」

「私が勝手に少し早めに来ただけだから気にしないで。それに、待つのも案外悪くなかったから」


 まるで気にしていなさそうな未琴先輩の反応に安堵する。

 というか、この人は一体いつから待っていたんだろう。

 一応今、待ち合わせ時間の三十分前なんだけどな。


 まぁそんなことを聞くのも野暮だろうと思い、俺はとりあえず未琴先輩を日陰に促した。

 眩しい日差しから逃れてようやく、俺は未琴先輩の私服姿をしっかりと拝むことができた。


 ノースリーブの淡い青色のワンピースだ。

 膝下辺りまでのロングスカートで、けれど若干シースルー気味になっていて綺麗な脚が窺える。

 腰に巻かれた太めのベルトが、彼女の華奢で無駄のないシルエットを引き立てていて、そして肩から剥き出しのすらっとした腕が、もう眩しいくらいに白くて美しい。

 ツバが広めの麦わら帽子を頭にちょこんと乗せて、もうザ・夏の美少女だった。


 相変わらず美しすぎる凄みは健在だけれど、それは出立ちの清楚感が若干中和している。

 帽子の影に収まる落ち着き払った瞳と、淡々とした微笑が、ちょうどよく夏の暑苦しさを打ち消していて。

 何というか、とてもグッときてしまった。


「君のリアクションは、言葉よりも雄弁に語るね」


 思わず見惚れてしまった俺に、未琴先輩はクスリと言った。

 その言葉にハッとする俺を見て、からかうように目を細める。


「出会い頭に私をどう褒めてくれるのかなって期待していたけど。そうもまじまじと見られると、もう言葉なんていらないかな」

「す、すいません、気が利かなくて。なんていうか、呆気に取られてしまって」

「ううん。私はたけるくんのそういうわかりやすい反応、好きだよ」


 会ったらすぐに相手の女の子を褒めるなんて、一番しなきゃいけないことだったと肩を落とす俺に、未琴先輩は口元を緩めた。

 褒められているような、若干面白がられている気もするけれど、まぁ未琴先輩が嬉しいのならいいか。

 ただ言い訳をすれば、未琴先輩が綺麗すぎて、その感動を言葉にする処理が追いつかなかったんだ。


「ただ、今日に限ってはそのわかりやすさは私にだけにしてね。街中で私よりも可愛いい女の子を見つけても、鼻の下を伸ばしちゃダメなんだよ」

「そ、そんなことはしませんよ。ていうか、未琴先輩よりも可愛い女子なんてそうそう……」

「へぇ、そう」


 思わず本音をポロッとこぼしてしまった俺を、未琴先輩は見逃してはくれなかった。

 帽子の影から覗かせる静かな瞳が、俺をガシッと掴んで放さない。

 まじまじと向けられる芯の通った瞳と、固定された微笑が妙に怖い。

 まるで鬼の首を取ったかように、俺を食い入るように見つめる。


「私よりも可愛い女の子なんてそうそういない。尊くんは、そういう風に思ってくれてるんだ」

「あ、いや、それは……」

「違うの? それとも、私よりも可愛い女の子なんて早々に見つけた、って言おうとしたの? ちょっとショックかも」

「な、何も違くありませんとも! 未琴先輩より可愛くて綺麗な人、そうそういてたまりますか……!」


 そっと静かに眉を寄せて、柔らかくプレッシャーをかけてくる未琴先輩。

 その優しい威圧に耐えきれず、俺は本心を誤魔化さずぶちまけるしかなかった。

 綺麗で可愛いのに妙に怖いんだよこの人。淡々と見つめられたら何も嘘なんてつけない。


「素直でよろしい」


 勢いよく言った俺に、未琴先輩はデフォルトの笑みに戻って満足そうに頷いた。

 何にせよホッとした俺に、けれど彼女は容赦はしてくれなかった。


「そんな誰よりも可愛い女の子の告白を、未だ受けてくれていないわけだけど」

「それを言われるとぐうの音も出ないので勘弁してください」

「うーん、どうしようかな」


 肩身が狭い思いに身をすくめる俺に、未琴先輩はひらりとスカートを揺らしながら首を傾げる。

 俺だって後ろめたくは思っているんだ。未琴先輩の魅力は承知しているし、それを踏まえれば別に断る理由はないんだから。

 でもまだするっと受け入れるわけにはいかなくて、それは彼女も合意済みのことなんだ。

 ただ可不可の返答をせずのままの俺は、この話題においては完全に立場が悪い。


 未琴先輩だって承知の上だから、今更怒っているわけではないんだろう。

 ただ今この状況で俺を困らせて、からかって楽しんでおられるんだ。

 何という小悪魔。いや、実際にはもっと凶悪なお人みたいなんだけど。


「じゃあ仕方がないから、一つお願いを聞いてくれたら許してあげる」

「そのためにここまで会話を持ってきたんですね」

「女の子の告白に答えを出しあぐねてキープにしている件について、もっと追求する?」

「是非ともお願いを叶えさせてください」


 静かな笑みまま淡々と攻めくる未琴先輩に、俺は逆らうことなんてできなかった。

 本気じゃないにしても、これ以上虐められたら本当にぐうとも鳴けなくなるから、この話題はそうそう打ち切りにしたい。

 俺には、未琴先輩のそのお願いとやらを叶えるしか選択肢がなかった。


 俺が誠実に頭を下げてお願いすると、未琴先輩はそっと俺の前に手を差し出してきた。


「手を、繋いで」


 さらっと、けれど大切そうに、未琴先輩は言う。

 俺はその白くて細くて、そして柔らかそうな手を、ついつい食い入るように見てしまった。


「俺が、未琴先輩と?」

「尊くんが、私と」


 まぁ他に誰がいるんだって話なんだけれど、思わず確認してしまう。

 未琴先輩はそれに対して淡々と頷いて、俺に手を差し出し続ける。


 この手に触れていいのかという喜びと、同時に女子と手を繋ぐという妙な気恥ずかしさが一気に沸き立つ。

 キスをしたいとか言われるより百倍難易度は低いけれど、でもなかなか勇気が必要な行為に思えた。

 手を繋ぐ。それそのものはそこまで大したことじゃないはずなのに、どうして相手が女子だと、未琴先輩だとこんなにもハラハラするんだろう。


 けれどここであんまり戸惑っていると、次に何を言われるかわからない。

 別の提案を要求しようものなら、更に俺が慌てることが飛んでくるはずだ。

 今は少し頑張ればできることを乗り越えるしかない。


「……それじゃあ、失礼して」


 何だか畏まってしまいながら、俺は恐る恐る未琴先輩の手に自らのそれを伸ばした。

 ちょんと指先が揺れただけで、全身に電流が流れたように強い衝撃が走る。

 柔らかくてすべすべしていて、それに俺の手なんかよりも小さくて。

 同じ人体とは思えない至福の感覚に、侵してはならない神聖なものを前にしているような気分にさせられた。


 けれど、ここで臆してしまっては流石に男が廃る。

 俺は覚悟を決めてぐっとその手を握り、未琴先輩の細い指と俺の指がするっと絡まった。


「…………」


 すると、未琴先輩が少し目を見開いた。

 繋がった俺たちの手をまじまじと見つめて、その唇を僅かに開いている。

 え、俺何か間違ったことしました?


「時に君は、意外と大胆なことをするよね」


 予想外のリアクションに戸惑っている俺に、未琴先輩は数拍遅れてそう言った。

 よくわからないけれど、とりあえず嫌がっている風ではない。


「うん。今日はこの繋ぎ方の方がいいね。その方が、それらしい」

「────あ! いや、これは……」


 そこでようやく俺は、未琴先輩の言わんとしていることを理解した。

 彼女はきっと、チキンでヘタレな俺が、恋人繋ぎをしてくるとは思わなかったんだろう。

 できて普通に繋ぐだけ。今日はそれで勘弁してあげる、なんて展開を予想していたのかもしれない。

 いや、俺だって思わなかった。というかそこまで考える余裕がなかった。

 勢いで繋いだら、何だかこんな感じでがっしりいってしまったんだ。


 なんか言い訳しそうになって、けれどどことなくご機嫌が良さそうな未琴先輩を見て思い留まる。

 気恥ずかしさはあるけれど、俺だって未琴先輩と手が繋げて嬉しいし。

 今日はこれを楽しませて頂くことにしよう。


 しっかりと繋がった手を、未琴先輩がそっと引く。


「デートらしくなってきたね。それじゃあ、行こうか」


 そう、今日は未琴先輩とデートだ。

 俺たちは休日に、普通の高校生らしくデートをすることになったんだ。


 嬉しくもあり気恥ずかしくもある、こんなことにどうしてなったのかといえば。

 俺は未琴先輩と一緒に再び日照りの下に繰り出しながら、昨日のごたごたを思い起こした。

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