進む力
〇〇日目。
あれから何日経っただろう。
「死ぬのは誰でも怖い。寝て、起きて、寝て、起きて、寝て――」
目の前でザノメエリカが消えた。
たちまちフラッシュバックしたのは、三人の身内だった。
搬送中に死んだ母、集中治療室で死んだ父、車内で死んでいた姉。
「なにもしなければ死なない。死なない、死なない――」
〇〇日目。
その昔、現世で聞かせてもらった説法が頭をよぎった。
「狭間の
出会った当時、ザノメエリカは北区に寺があると言っていた。
けれど
創作する者ほど、得てして現実的な思考を持つ。
「北門、か」
北門をくぐると、十段先も見えない階段が霧の中にぼんやりと浮かんだ。
春夏冬は上を見ず、また言葉も出さず、ひたすら石段を上り続けた。足が棒になっても、眠気が襲ってきても、ひたすら上を目指した。
千段までは数えたが、それ以降は心を無にした。途中でパンプスのミドルヒールが折れてしまい、両足のそれを脱ぎ捨て、ただ膝を上げ続けた。
合計で三千はあった石段。上りきった頂上に建立されていたのは、厳かに人々を迎える、シンメトリーの大きな寺院だった。
まっすぐ続く石畳の上を歩くと、法服を見にまとった、色のない修行者がすれ違った。凛としながらも穏やかで、いかなる隙も見当たらず、
「すみません、出家された方ですか? わたしは春夏冬と申します」
それなのに、すんなりと声をかけられる許容力が窺えた。
「よく、ここまでいらっしゃいました。
「わたしは、ずいぶん前に友人を失いました。現世でも狭間でも、同じ苦渋を味わった。結局、どこに居ても苦しみは消えないのですね」
「あのビルの上――現世では皆、無用なことで苦しみながらも、好き勝手に生きています。そこから脱した貴女は、この狭間で東西南の門をくぐり、老い、病、死、様々な人間たちを見てきて、なにを感じましたか」
「純粋に恐怖でした。あれが、わたしの未来の姿という
ここでは風が吹いていた。
現世を懐かしむ風だった。
「あなたは修行して、この先なにを求めるんですか?」
「私は人間の苦悩を知り、いつか安らぎをも知りたいと思っています」
「わたしはシッダールタにはなれません。出家もできないし、悟りも開けない」
「決して、ならなくても良いのです。他者に憧れるのは破滅の始まりでしょう」
「おっしゃってることは素晴らしい。でもわたしは、あんな汚らしい都が遠のいただけで不安に駆られてる。
返事をしたのは修行者ではなく、やはり涼しい風だった。
「ふふっ、わたしは北区に似つかわしくないようです。これで失礼します」
ビルを見上げていた視線を戻した春夏冬は、心穏やかに目を細めた。修行者を見ていて、はっきりとわかったのだ。狭間にやってきて生を知り、死を知り――狭間こそが業そのものだったと。
春夏冬は修行者へゆっくり一礼し、
「それが貴女の道。でしたら、お帰りはそちらではありません」
温和な声に呼び止められた。
背中に温かみを感じ、そっと振り返ると、寺院の際から光明が、春夏冬の――呼吸を照らした。久々に見た光は、遠目でも眩しすぎた。
「貴女のご友人は、自分を許しなさいと
「現世と狭間とは、必然と偶然。どちらも表裏一体です」
修行者は、真鍮の輪に指をかけて扉を開いた。あちこち錆びているのに、軋みはちっとも聞こえなかった。
春夏冬は無表情だった。あれほど望んだ現世が、すぐ側にあるのに目を伏せるだけだった。
「お世話になりました」
礼を述べる覚えはないし、述べる相手もわからない。
だからこの修行者に、ひとまず
『有り難い』
という、意味を込めて。
春夏冬は非常口をくぐり、ひたすら闇を歩き続け――つまずいて転んだ。
こんなどん臭い醜態、現世でしか見せたことがない。
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