第五話 Artémis des larmes ~アルテミスの涙~ ⑤

 「失礼いたします」


さて、夜の帳が辺りを包み込み、ビロードのような闇が広がって夜もだいぶ更けてきた頃です。空には猫の爪のような月が静かに輝き、優しい光で包み込むように夜を照らしております。

皆が寝静まった頃でしょうか、お城の奥にありますウィリアム様の書斎にヴィンセントがやって参りました。


「おぉ、来たな」

「遅くなってしまい申し訳ございません」


髪も降ろされ完全にオフモードになられたウィリアム様はデスクに腰掛けて本を読まれておりましたが、ヴィンセントの声に反応してお顔を上げられました。


「時間外に呼び出してすまないな」

「いつものことです。で?何かご用でしょうか?」

「…これを」

「…」


ウィリアム様はデスクの引き出しから厚手のノートのようなものを取出し、ヴィンセントの前に差しだしました。スッとヴィンセントは受け取り、ウィリアム様のお顔を見ながらそのノートのようなものを開き中身をチロッと見るとすぐにまたウィリアム様の方を見返しました。


「ランスのブリダンヌ侯爵の御息女、エレナ嬢だ。歳は我々と同い年でお前の好みにぴったりの女性だと思うんだが」

「…命令ですか?」

「命令ではない。だが…明日のリーヴォニア国の国王ご一行歓迎パーティーの時にブリダンヌ侯爵とエレナ嬢も招待しているからそこで彼女と踊ってくれ」

「…承知いたしました」

「彼女はとても聡明で5カ国語ほど話せるとのことだ。ダンス、ピアノと料理が趣味だそうだよ」

「5カ国語も話せるのであればむしろ陛下の花嫁候補では?」

「ん?私よりお前の好みにピッタリの女性かと思って」

「まぁ確かに私好みの美人ではありますが。問題は―――…」

「絵では分かりずらいがかなりのナイスバディ―だそうだぞ」

「問題ございません」


パタンッと釣書を閉じてヴィンセントは間髪入れずに力強くそう答えました。ウィリアム様はプッと吹き出すと机の上に置いてあったグラスを手に取り、一口飲まれました。


「よろしく頼むぞ。ブリダンヌ侯爵はなかなかの切れ者と聞くしな。彼が我々の身内…政治の中枢に加わればきっと我がローザタニアは大きく発展するだろう」

「無能な大臣たちを一掃したいですしね」

「あぁ。私腹を肥やそうとする奴など要らぬからな。…早くお前に宰相の座に就いてほしいもんだ」

「まだ早いでしょう」

「だが現宰相のマホメット翁もご高齢だからな。引退を望んでいる」

「まぁ一度引退されていたのに、私の父が亡くなって再び引っ張り出されたわけですからね」

「あのお歳で良く働いてくれている。ありがたいことだ」

「えぇ。本当に翁には感謝しています」

「言っても我々もまだ19や20そこそこだからな。明らかに経験不足な我々には大きな後ろだけが欲しい」

「それがブリダンヌ侯爵…ですか?」

「あぁ。ブリダンヌ侯爵は由緒正しき貴族の家柄。いつかの時代ではかなり中枢の役職まで就いていたからな。田舎に隠居はされているが…なかなかの名門だ」

「…まぁ一度エレナ嬢とお会いしてからですね」

「あ、言い忘れたが…彼女はまだ男性に免疫がないそうだ。ずっと女学校で教育を受けていたそうでな。とても初心な女性らしい」


ふぅ…っとヴィンセントは溜息のように大きく息を吐くと、部屋の真ん中に位置しているソファーにドカッと座りました。そのままズルズルと沈み込んで肘置きにもたれ掛って脚を組み、陛下の前ではありますが砕けた様子でおりましたが、陛下の一言に耳がピクッと動きニヤッと微笑み返しました。


「…へぇ。それは楽しみですね」

「まぁお前のその性格に付き合えるかは知らんが、そこは上手いことやってくれ」

「大丈夫ですよ、慣れれば染まりますから」

「…うん、それ悪い奴が言うセリフだな」

「白いものを色んな色の染めていくのが楽しいんですよ」

「…問題だけは起こすなよ」

「もちろんですよ。私だって大人ですから」

「頼んだぞ。…さて、話が終わったところで一杯やるか」

「姫様に飲み過ぎと怒られておりませんでしたか?」

「ん~?ナイト・キャップなら大丈夫だろう」


ウィリアム様は棚の奥に隠してあったブランデーを取出し、どこぞに隠していたのか氷をグラスに入れると琥珀色をした液体を注ぎ入れ、ヴィンセントの前に差しだしました。


「…陛下自ら入れてくださるとは」

「ありがたく飲めよ」


二人はグラスを交わすと渇いた喉を潤す様に一気にブランデーを流し込みました。そしてお互い一息つくとヴィンセントはポケットから煙草を取出し隣に座ったウィリアム様の前に差しだしました。


「最近少し禁煙しているんじゃなかったのか?」

「…煙草の臭い、姫様嫌がりますからね。でもまぁ今日も姫様のお世話していたんです、ストレスフルなんだから一本くらいいでしょう」

「今日は世話になったな」

「えぇ、本当にたくさんお世話をしました」


ヴィンセントはスッと煙草に火をつけ煙を吸い込みます。そして大きく息を吐きその煙を部屋に燻らせております。ウィリアム様もゆっくりと煙草を味わっておりました。


「まぁ明日も色々と頼むぞ」

「…嫌とは言わせないんでしょう?」

「あぁ」

「まったく…貴方方兄妹には負けますよ」

「ん?」

「ほらその顔。腹立つくらいそっくりですね。そうやってキラキラと輝く瞳で我々を惑わすんですよ。あーもう全く…」

「ヴィンセント?」

「ほら、そうやって小首傾げるの。なんですか、兄弟そろってのクセですよね。最強の小首傾げですよ」

「あはははは」

「まったく…最強の兄妹ですね、貴方方は」

「そう言ってお前こそ我が国最強で最恐の国王補佐長官兼執務官長じゃないか」

「陛下と姫様には勝てません」


ヴィンセントはウィリアム様の方をチラッと横目で見るともう一つ大きく息を吐き出しました。そして灰皿に煙草を押し付けると残りのブランデーを飲み干し、テーブルにダンッと音を立ててグラスを置きます。カランっと中の氷が動き、形を変えました。


「…さて、話はそれだけですか?でしたらもうお暇しますよ。明日も早いんですから」

「お前も城に住めばいいのに」

「だからそれだけは嫌だと言っているじゃないですか」

「なんでだよ」

「19にもなって頬を膨らませないでくださいよ。…前にも申し上げましたが、このお城の中に住んだら24時間ずーっと貴方方の世話をしなければならない。そんなの御免だからです」

「私の命令でも?」

「そんなところで職権乱用しないでください。じゃあもう私帰りますからね」

「…お前はまたそうやって―――…」

「お休みなさいませ」


ウィリアム様が何か言いかけたところに覆いかぶさるようにヴィンセントは強引に語尾強く言葉を重ねました。そしてスッと立ち上がり足早に入口の方へと進んで行きウィリアム様の方にギュンッと向きを変えてお辞儀をして部屋から出て行きました。

パタンッと大きく音を立てて木製の重厚な扉が閉まると、廊下にはヴィンセントの足音が響き渡ります。どんどん遠くなっていく足音を聞きながら、ウィリアム様はふぅ…と溜息をつくとソファーにズルズルと沈んでいきました。


「まったく…アイツもなかなか頑固だよなぁ」


そう大きな独り言を呟かれると、ウィリアム様はご自分のグラスを手に取り残りのブランデーを飲み干しました。そして一息つかれると、ご自身も自室に戻ろうとソファーから腰を持ちあげました。

デスクの灯りを消し、ふと窓の外を見つめます。

深い瑠璃色の空には満天の星が瞬き、暗い夜空を照らしております。少しそれを眺めておりしましたが、ウィリアム様はシャッとカーテンを引いて書斎をあとにされたのでした。

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