第2話 決意と追憶
「なぜ謝るの? やっぱり、貴方はただ……正義感から同情して助けてくれただけで……」
このくらい予想はできていたことなのに……深く頭を下げる彼を見て、なぜか私の胸は悲しみで締め付けられるようでした。先ほど婚約破棄を言い渡されたときはただただ強いショックを受けただけだったのに、なぜでしょう。
俯く私に、彼は慌てたように続けました。
「違う! 君の家と違って、僕の家はもう……貴族を名乗れるような状況じゃないから……」
拒絶したのはシェリンガム君の方であるはずなのに、なぜか彼の方が傷ついたような顔をしています。
彼がぽつぽつと語ってくれた理由は、今やこの国の多くの貴族が直面している問題と同じものでした。貴族制度が形骸化し、政治は議会、経済は資本家に席を譲ったこの時代──多くの貴族は、経済的な苦境に立たされていたのです。
そんなさなかに若くしてお父様を亡くされた彼には、悲しむ暇もなく莫大な相続税が課されることとなりました。
彼がこのリースデン校の在学中に、周囲からガリ勉と揶揄されるほどわき目もふらずに勉強していたのは……学生のうちにより多くを学び、人々の思い出が残る伯爵城を自分の代で手放さずに済むようになりたい……そんな想いがあったからなのでした。
とうとう卒業を迎えたいま、彼は実家の事業を盛り立てていかなければなりません。しかしそれは、険しい道が予想されるものだということでした。
「弱っているところにつけこんで、田舎で苦労させると分かっている男に嫁がせるわけにはいかない。だからどうか、どうか断ってくれないか……」
苦しそうな表情を浮かべる彼に、私は皮肉げに笑って言いました。
「それを言うのなら……どうやら私の家も、苦しい状況にあるみたいなの。充分な持参金も用意できない女なんて、お役に立てないかしら」
「そんなことはない!」
いつもは涼やかな彼の深い青色の瞳は、熱っぽく光を帯びていて――そこに本当の気持ちを汲み取った私は、彼にどこまでもついて行くことを決めました。
「ならばどうか、私を一緒に連れて行って! たとえ売り言葉に買い言葉だったとしても、貴方が手を引いてくれたとき、私は嬉しかったの。殿下の婚約者に内定したときよりも、何倍も、嬉しかったのよ」
「マクベイン嬢……いや、ミラベル」
彼は決意を込めた表情で、古の騎士のように片膝をつくと。
私に利き手を差し出しました。
「必ず幸せにする。どうか僕と一緒に来てほしい」
「はい!」
*****
──ある日の放課後。
今日も私は、立ち並ぶ書架の間を足早に通り抜けていました。古くから王侯貴族の子女たちが通う伝統ある学舎、リースデン寄宿学校。その広い図書室には、貴重な本や歴史ある資料が数多く収められています。ですがその室内に、人影は今やひとつもありません。
その奥にある自習スペースへ向かうと、今日も一人だけ、こつこつと勉強している彼の姿がありました。私は迷わず彼の向かいの椅子を引くと、荷物を置きながら言いました。
『ごきげんよう、シェリンガム君。また学年一位は貴方だったわね。次こそは負けないんだから!』
『どうかな? 僕が負けることはない。だが、この学校に君というライバルがいて良かったよ。他の生徒はみな、今どき真面目に勉強するなんて馬鹿のやることだくらいに思っているからな。まったく、君がいなければ張り合いのないところだった』
『それは光栄だわ。貴方を落胆させないよう、もっと頑張らなくては』
準備を終えて椅子に座った私がそう言って微笑むと、彼はテーブルの向かいから訝しげな目線をこちらに向けました。
『君はなぜ、いつもそんなに頑張っているんだ? あの、殿下のために?』
『ええ、そうよ。これからジョシュア殿下は、きっと今まで以上に難しいお立場に身を置かれることとなるでしょう? そのとき、私が彼をお支えするの。そのためにも、学生であるうちに色々なことをしっかりと学んでおかなくては』
そう堂々と言った私からわずかに視線をそらすと、彼はぶっきらぼうに言いました。
『……勉強とは、自分のためにするものだ。誰かのためにやるんじゃない』
『貴方にとっては、そうかもしれないわ。でも私は、それが自分のためでもあるのよ』
『そんなものかな』
『そういうものよ。そうとなったら、次のテストに備えなくては!』
『まだまだ先の話なのに、気合入りすぎだろ』
そう言って軽くため息をついてから、彼は微かに笑って呟きました。
『……楽しみにしてるよ』
*****
「放課後のわずかなひとときだけ、図書室で君と過ごす時間が大切だった。ずっと、ひたむきに努力する君が好きだった。『殿下は私がお支えするの』と、はにかむ君を見て……嫉妬で狂いそうだった。でも、諦めていた。君はこの国の王太子殿下の、婚約者なのだと。でも、まさか向こうから手離してくれるとはね……深く傷付いただろう君には悪いけど、僕は今、最高に幸せなんだ」
耳元で響く心地よい
「幼い頃の殿下は泣き虫の甘えん坊で……私がこの子を守ってあげなきゃと、ずっと思っていたの。そこに親愛の情があったのは確かだけれど、でも、それは恋じゃなかった。本当は私も、あの図書室で過ごす時間が一番楽しかったの。勉強のためと言い訳をしながら、通うのをやめられなかったのよ」
私はなんて、薄情な女なのでしょうか。つい数時間前まで、殿下の婚約者としての使命に燃えていたというのに。でももう、自分の気持ちに……嘘はつけなかったのです。
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