番外編2 魔法のかかる城(1)

 そろそろ夏を迎えようとする季節の、とある昼下がりのことです。


 次の時間枠をご予約頂いたお客様方の情報を記した帳簿には、「ジョーとエイミー夫妻」とだけ、記録されておりました。平民も次々と自ら家名を持ち始めた、今日この頃。家名を名乗らないお客様をお迎えするのは、当ホテルでは初めてのことです。


「ジョー様とエイミー様ご夫妻、ご到着にございます!」


 案内役の声が聞こえて、私とアイザックはお客様を出迎えるべくエントランスへと向かいました。


 そこにいたご夫婦の装いは、本館をご予約頂くお客様としては、ごくごく質素なものでした。しかしそのお仕立ては、どこか品のよさを感じられるものです。


 そこでようやくお客様のお顔をしっかりと拝見して、私はとても驚きました。歳を重ねてはおりますが、その顔を忘れるはずがありません。しかし、今はおもてなしの最中です。私は平静を装って微笑むと、いつものご挨拶を述べました。


「ジョー様、エイミー様、ようこそエルスター伯爵城へ。どうぞ我が家に帰ってきたように、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」


「本日は、お招きに預かり光栄です」


「こっ、ここ光栄です!」


 帽子を取り、どこか緊張した面持ちで会釈をするジョー様を見て、慌てたようにエイミー様がぺこりと頭を下げました。


 ここまでは、当ホテルのお約束通りです。しかしここから先、どう対応するのが正解なのでしょうか。私がわずかに逡巡していると……その様子を黙って見ていたアイザックが、不意に口を開きました。


「久しぶりだな、


 ……はハッとしたような表情を浮かべたあと。少しばかり気まずそうに、微かに笑って言いました。


「ああ……久しぶり」


「消息を絶ったと聞いて、心配していた」


「心配……」


 ジョーさんは一瞬驚いたように目を見開くと。微かに唇を震わせてから、軽く目を伏せました。


「……そうか、すまない」


 二人のやりとりを見ていたエイミーさんが、傍らに立つ連れ合いを見上げて、訝しげに問いかけます。


「……ジョーって、いったい何者なの?」


「……ただのジョーだよ」


「で、でも、伯爵さまと知り合いだなんて……」


 不安そうな様子の彼女に、私はあえて嘘をつかないことに決めて微笑みかけました。


「子どもの頃、同じ学校に通っていたのです」


「学校……」


 まだ不安が拭えない様子の彼女の肩に手を置きながら、ジョーさんは口を開きました。


「その、まずお二人に伝えておかなければならないことがあるんですが……少しお時間を」


 どこか言いにくそうに口ごもる彼を見て、私は言いました。


「かしこまりました。ですがその前に、奥様は先に滞在中のご衣装を選んでいらしてはいかがでしょう? レディの準備には時間がかかりますもの。それでも良いかしら?」


「あ、ああ、頼む……みます」


「ジョー……」


「大丈夫だ、行ってこい」



 *****



 侍女役の従業員に連れられてエイミーさんが別室に消えると、ジョーさんはぼそりと小さく呟きました。


「すまない……恩に着る」


 そうして止める間もなく崩れ落ちるように両の膝をつくと……膝に手をつき、今度ははっきりとした声で、言いました。


「その節は、本当に、申し訳ないことをした。俺の浅はかな人気取りのためだけに、大勢の前で晒すようにして傷付けた。……いや、違うな。貴女はいつも正しかったから、幼稚な俺は逆恨みして、わざと深く傷付けるようなことをしたんだ。いつも冷静な貴女が絶望に狂う様を見てみたい……そんな身勝手な欲望で、俺は……!」


 彼はそこで一瞬言葉を詰まらせると、まるで血を吐くように、言いました。


「赦されることではないとは、解っている。だが、どうか謝罪だけ、させてくれないだろうか」


 彼は両膝をついたまま身体を深く折り曲げるようにして、深く頭を垂れました。


「本当に……申し訳のないことをしました」


 ですがそんな彼に、私は冷たく言いました。


「……許すことはできませんわ」


「貴女の言う通りだ。本当に、本当に……すまなかった」


「……貴方に本当にすまないという気持ちがあるのなら、一生許されることのないまま、償い続けてもらうべきですわ。でも、困りましたわね。わたくし、今とっても幸せですのよ」


 私は少しだけ考える仕草を見せてから、探るように問いました。


「……本当に大事なものは、見つかりまして?」


「ああ……。どん底へと堕ちた俺を、エイミーが……今の妻が、救ってくれたんだ」


「ではその大事な奥様を、一生かけて幸せにし続けなさい。わたくし、ちゃんと見ていましてよ? 許してなんか、差し上げませんから」


「あ……ああ、約束する!」


 弾かれたように顔を上げた彼の目を、しっかりと見据えながら。私はいつも子どもたちを叱っているときのように、含めるように言いました。


「……ならば、謝罪の方は受け取って差し上げますわ。今日の貴方は当ホテルのお客様なのですから、それ相応の振る舞いをして頂かなければなりません。さあ、お立ちになって」


 手を差し伸べようとする私を、軽く制すると。代わりに手を伸ばしながら、アイザックはニヤリと笑いました。


「一度手離したら、二度と戻らないと言っただろう?」



 *****



 ご婦人用のお支度部屋に入りますと、ちょうどエイミー様は仕上げのお化粧を終えられたところでした。


「まあ! とても良くお似合いですわ!」


 無心に鏡を見つめていた彼女は、私の声に我に返ったかのように振り返りました。


 首もとまでのびる繊細なレースが重なる襟ぐりに、きゅっと締められたコルセット。対するスカートはふんわりと広がって、まるで絵本から抜け出した姫君のようです。


「あのっ、すっごくキレイにしてもらって、これがあた……わたしだなんて、本当にビックリです。ありがとうございます!」


 頬を上気させながら頭を下げる彼女を見て、私は微笑みました。


「いいえ、このドレスにして正解でしたわね。まるで貴女のためにあつらえたかのようで、本物のお姫様みたいですわ」


「お姫さま……」


 ですがエイミー様は、そう反芻してどこか物憂げに顔を伏せました。


「……あの、お気にさわってしまったかしら?」


「いいえ、違うんです!」


 彼女は慌てたように両の手を振ると。一転して、浮かない顔で話を続けました。


「あの、さっきの話……ジョーと同じ学校だったって、ほんとですか?」


「ええ」


「ジョーって、どんな子どもでした?」


「そうねぇ……あまり真面目な生徒ではなかったわね」


 私はおどけたように言いましたが、それでも彼女は、その表情から憂いを消すことはありませんでした。


「そうなんですね……」


「何か心配なことでもあるのかしら?」


「ジョー……昔のこと、何も話してくれないから……」


 落ち込む彼女の背に手をあてて、私は静かに口を開きました。


「……人は誰しも、過去を持っているわ。どんなに大事なひとにでも、大事だからこそ、怖くて言えないこともある。でもきっといつか話せる日が来ると思うから……どうか、待っていてさしあげて?」


「うん……じゃない、は、はい、伯爵夫人」


「そうかしこまらないで! 貴方は旧友の奥様。つまり私たちもお友だちということで、いいんじゃないかしら? ねえ、エイミーさん」


「えっと……」


「ミラベルよ」


「……ありがとう、ミラベルさま」

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