第26話 意思の確認

 静まり返った会議室で、南郷が唐突に「学校に《揺り影》」と口にした瞬間、佐垣弓玄は窓から飛び降りていた。

 《醒零》――言葉をわずかに残し、空中で黒曜鎧を纏って飛んだ佐垣は、瞬く間に姿を消した。


「学校ってどういうことですか?」


 早々に口を開いたのは八重山だった。

 南郷は微動だにせず答える。


「間違いない」

「学校は――《揺り影》の標的にならないんじゃ……」

「前例がなかっただけだ。《揺り影》も何度かパターンや攻撃方法を変えてる。場所を変えても不思議じゃない」

「でも、あそこは弓玄くんや亜美ちゃんの――」

「萌……南郷に聞いても仕方ないから。相手は《揺り影》だし」


 北大我が南郷と八重山の間に割って入った。

 八重山が「すみません」と小さくなる。


「俺も行ってきます」


 いたたまれない空気の中、光矢は佐垣が開け放った窓に足をかけた。

 北大我の口元が「気をつけて」と動く。


「がんばっておいで」


 白友に背中を軽く叩かれ、光矢は見よう見まねで飛び出した。

 正直に言えば怖かった。

 階段を降りて、走っていきたいと思った。

 しかし、八重山の言葉と北大我の戸惑いを間近に感じて、佐垣に遅れを取りたくなかった。

 瞬く間に近づいてくる地面の恐怖と戦いながら、光矢は「《醒零》」と口にした。


「よしっ」


 地面に着地してしまったが、黒曜鎧は纏えた。

 佐垣がとび出した方向に見様見真似で飛んでみる。

 体がふわりと浮いた。

 覚醒の時と帯留辺との戦いを経て、確実に《黒曜》の力は馴染んでいた。

 腹の底からじわじわと充実感が湧いてきた。

 そして、意思をもって飛び始めた。



 ***



 佐垣弓玄は、かつてないほど冷静さを欠いていた。

 よりにもよって学校とは――

 高速で空を飛ぶ間もその想いが振り払えない。ニンブルマキアのメンバーとして、良くない精神状態だとわかっている。

 先輩にあたる海馬や千丈に言わせれば、『浮かれた状態』だ。

 眼下の光景が次々と移り変わる。

 自然の中に溶け込んだ三途渡町のいつもの風景だ。


「くそっ」


 しかし、冷静さは戻らない。

 佐垣が三途渡町で最も思い入れがあるのが、相馬や浦元がいる学校だ。当然と言えば当然だった。

 小高い丘を越えると、開けた土地が見えた。

 ぼろい校舎に不釣り合いな大きなグラウンド。

 そして、上空に浮かぶ黒いオーロラ。

 前もって、町には南郷の予報を伝達している。

 こんな時間に《世無》がいるはずがない。全員、自宅で避難しているはずだ。


「どうしてだ……お前ら」


 悲痛な声が漏れ出た。

 願いは裏切られた。

 見知った何十もの顔が、グラウンドで正気を失い、ぼうっと上空を見上げていた。

 もう喰われた《世無》もいるかもしれない。

 避難警報が出ただろ――

 怒鳴りたい気持ちを、ぐっと飲みこんだ。

 《揺り影》がここに来ないと高をくくって自主練習をしていたのかもしれない。

 理由はどうでもいい。

 今やるべきことは現状把握と救援だ。

 佐垣は右手を真横に伸ばした。

 目の前で《揺り影》が悠々と《粘手》を伸ばしては、せっせと《世無》に巻きついていく。


「渡すかよ」


 一瞬にして、右手の先に長大な剣が現れた。

 蒼く強く発光する刀身が佐垣の怒りに反応する。


「うぉぉらぁああ」


 佐垣は何十メートルもある両刃の剣を正面を切り裂くように振り抜いた。

 空中に蒼い軌跡が走り、《粘手》が次々と切断された。

 ばたばたと《世無》が落下していく。

 しかし、すぐに第二波がやってきた。

 悲鳴のような《誘音》だ。

 《揺り影》の勢いが増した。切られた《粘手》が砂のように溶けたかと思えば、新たな《粘手》がオーロラの中から素早く伸びる。

 落下した《世無》がまた捕らえられた。


「なんだこの再生速度は……いつもより早い」


 佐垣は最善手を考える。

 ひたすら《粘手》を切り落とすことに集中し《揺り影》と根競べをするか。

 それとも気絶した《世無》を校舎の地下に放り込みながら、守るべき《世無》を減らすのが先か。

 そこに――光矢がやってきた。


「佐垣、俺も何かする」


 長大な剣を見てぎょっとした光矢に、佐垣はグラウンドを指さした。


「あそこに寝てる《世無》を校舎の地下に連れていけ。そこなら安全だ。一度に持てるだけでいいから、ひたすら往復しろ。もし暴れるなら、多少殴って大人しくさせろ」

「……わかった。けど、地下なんてあったか?」

「職員室の中央に階段がある。わかったら、行け。俺は《揺り影》の《粘手》を潰す」

「了解」


 光矢が蒼い光を放ちながら急降下する。

 すでに飛行は自在だ。

 色々と気になることもあるはずだが、状況を優先して佐垣の指示に従った点も良かった。


「少しは戦力になるな。なら、俺は潰す方だ」


 佐垣は再び剣を振るう。さらに、三日月刀と呼ばれる湾曲した剣を複数作り出し、自動的に迎撃を始める。

 創造物に命令を与えることは、《黒曜》の力の中でも高難度だが、彼にとっては容易いことだった。

 しかし、状況はさらに悪化し始めた。

 最初に異変に気づいたのは佐垣だった。


「《揺り影》が大きくなった……いや、こっちに近づいたのか? なんだ? 何がしたい?」


 《粘手》の発射位置がグラウンドに近づいている。

 下を見れば、光矢が走りまわっている。背中に一人、両腕に二人。合計三人を丁寧に担いでは校舎に向かって飛行する。

 途中で意識を取り戻す者もいるらしく、自分で他の《世無》を担いで走りだした者もいる。

 だが、正常な意識を失った者が多く、作業が遅れている。

 《揺り影》を求めるように上空に手を伸ばしている《世無》も数多い。

 光矢も抑えつけようと努力しているが、勝手に動き回られれば救援に時間がかかる。


「弓玄、俺も手伝うよ!」


 校舎から《世無》が一人で出てきた。

 短い黒髪を逆立てた中学生くらいの少年だ。


「相馬……あのバカ。地下にいろよ。葛切が走り回ってるのが見えないのか」


 佐垣が良く知っている少年――学校にいるメンバーの中では最も《世得》に近づこうとする少年だった。

 相馬の目はひたすら一か所を見つめていた。

 視線の先には、茶髪の少女――浦元千衣が横たわっていた。

 他の大勢と同じく、気を失っているようだった。

 誰にでも助けたい人はいる。けれど、状況を考えろ――

 そう怒鳴ろうとした佐垣は、ぞっと背筋が泡立った。背後に異質な気配を感じたからだ。

 振り返った佐垣の隣を、真っ黒な《粘手》が桁外れの速度で伸びた。

 あっけにとられたのも束の間、同じ《粘手》が雨あられのように降り注ぐ。

 気を失った人間への一斉攻撃だった。

 《粘手》は見る間に巻きつき、さらに速度を上げて《世無》を引きずり込んでいく。


「なんだこれは」


 周囲を見回せば、三日月刀が《粘手》に弾かれて機能していない。

 佐垣は即座に手持ちの剣を振るい始めた。

 《揺り影》に喰われる前に何本もの《粘手》を斬り飛ばし、間を縫って次を落とす。

 効かないのは三日月刀のみだ。

 単純に込めた《曜力》量の違いだ。


「それなら」


 佐垣は再び長大な剣を作り出した。

 《清浄線》を走らせる刀身が空間に半月の軌跡を描く――そのはずだった。

 真っ黒な《粘手》が一か所に何本も集まった。

 一時的に太さを増した《粘手》の半ばで、刀身がぴたりと止まった。


「こんなことが――」


 そう口にした瞬間だった。

 何本もの《粘手》が隙をつくように《世無》を引き込もうとした。

 その中に、相馬と浦元の二人が混ざっていた。


「相馬っ!」


 佐垣が優先したのは相馬の救出だった。

 しかし――


「千衣を頼むっ!」


 必死に伸ばされた指と、今にも表情を崩しそうな相馬に止められた。


「俺はいい! だから! 千衣を!」


 相馬の二度目の言葉を聞いて佐垣は割れるほど歯を噛みしめた。

 素早く背を向け、《揺り影》に呑まれる寸前の浦元とほかの人間の《粘手》を、怒りを叩きつけるように切り裂いた。


「サンキュー、弓玄」

「言ってる場合かよ」


 《揺り影》に今にも呑みこまれようとする場所の手前で、相馬は笑顔で親指を立てていた。

 すでにかなりの高度だった。もう《粘手》を切ることは不可能だろう。

 気がつけば、《揺り影》がグラウンドから離れていく。

 現れた目的が、相馬一人だったのではないかと思えるほどだった。


「弓玄、これっ!」


 空中から小さな何かが落ちてきた。

 手のひらより一回り小さなメモ帳だった。

 ぼろぼろのそれは、もう少しで最後のページに至るところだった。

 中を開かずとも、佐垣は内容を知っている。

 それは相馬が死んで《世無》となってからの毎日の日記だ。

 いつ、こんな訓練をした――

 明日、弓玄と手合わせ――

 お母さんに会うまであと少し――

 千衣が最近暗い顔をしている――

 自然とめくれたページの中に、相馬のすべてが詰まっている。


「弓玄、次、戻ってきたときに返してくれ!」

「戻れると思ってんのかよ」


 空からかすかに振ってくる声に、弓玄は吐き捨てるように答えた。

 そして――言った。


「相馬、お前をそっちには行かせない――《世斬蔵》」

「弓玄っ! 俺はいいって!」


 空中に波紋が広がったかと思えば、佐垣の背後に巨大な蔵がせり出した。

 白い漆喰、黒い瓦。頑丈な錠。

 帯留辺の部下、九々良のものより一回り大きい。向きも逆で、天井が上空に向いている。

 異質な空気が支配し、周囲の気温が一気に下がる。


「《世々開闢》(よよかいびゃく)」


 錠が意思を持つようにひとりでに開いた。

 さらに三重の扉が一つずつ開くと、蔵の中から紅い光が漏れ出た。

 その光は佐垣の右腕に巻きつき、手の甲から肘にかけて、銃口を象った。

 蔵の紅い光が吸われていく。

 佐垣がすっと銃口を上空に向けた。


「《世無》と……親しくしたツケがこれか」

「弓玄! 《揺り影》から戻ってきたやつもいるって言ってただろ! 俺、強くなって必ず戻るから!」


 相馬は大声で叫んだ。

 同時に、佐垣は後悔していた。

 相馬を励ますために、確かにそう言ったことがあるからだ。

 嘘ではない。佐垣が知る限り、たった一人、無事に生還した《世得》がいた。

 だが、その他は。まして《世無》は――


「喰われるくらいなら、この場で消滅させる。これ以上、苦しませてたまるか」


 相馬は何度も「やめてくれ」と叫んだ。

 しかし、佐垣の答えは変わらなかった。

 根拠もなく佐垣の言葉を信じた少年は、無謀な賭けに出ようとしている。

 けれど、相馬は生還した《世得》と違って力を持っていない。

 生還の確率はゼロだ。

 この責任は、相馬が《世得》になれないという事実をひた隠しにして、励まし続けてきた佐垣が負うべきだ。

 佐垣は「許してくれ」と心の中で謝り、巨大な銃口から《曜力》の弾丸を発射した。

 正確無比な弾丸は空間を裂き、紅い光を何重にも纏って飛んだ。

 そしてそれは――


「やめろっっ、佐垣!」


 割って入った葛切光矢が受け止めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る