黒白のニンブルマキア
深田くれと
第1話 寿命19歳の17歳
葛切光矢(くずきりこうや)は、理解が追いつかなかった。
ビルが立ち並ぶ街の中で、化け物に囲まれている。
黒くごつごつした岩が体から生えたような外観。全員がヘルメットか仮面をかぶっていて顔が見えない。そもそもあれが顔かもしれない。
奥に片手が異様に大きな者がいる。鎧を身にまとったような者もいる。
人間に似たロボットにも見えた。
「化け物……か」
乾ききった喉から、小さな声が漏れた。
返事はなかった。
恐ろしい風貌の化け物たちは、全員が光矢を無遠慮に眺めている。
その中から、男の声が聞こえた。
「よし、ボコろうか」
光矢は耳を疑った。
待ってくれ。そんな場合じゃないんだ――そう言いかけた瞬間、目の前が光った。そして、大きな化け物の手が、光矢の顔に伸びていた。
頭が取れたと錯覚するほどの衝撃と共に、光矢は後方に音を立てて吹き飛んだ。
――俺は、あの人が無事かどうかを知りたいんだ。
すべては、死ぬ予約から始まったのだ。
***
「おじいちゃん、人生卒業おめでとう!」
「寿命ぴったりなんてすごいじゃん」
母の雅恵と妹の佳奈美は、テーブルの最奥に座る祖父、葛切正二郎を祝福した。
今日は、正二郎の81歳の誕生日だった。
ちょうど明日が死亡予定日に当たる。
正二郎は破顔し、手元のビールグラスを握ってまどろむように言う。
「ほんとにな、わしの親父も77歳でぴったり死んだ。うちの血筋は優秀だ」
嬉しそうに何杯目かのビールをあおった正二郎は、『プログラムされた死亡時期』に死ねることを、誇らしそうに語った。
話は正二郎の若い時代、中年時代、老齢時代の苦労話と続いたが、何よりも、ここ一カ月が二十代の頃に戻ったように気力と体力が充実していることが嬉しいようだ。
「こんなに元気だと、死ぬのがもったいない気がしてくる」
「おじいちゃん、膝も痛くないの?」
「まったくない。今ならマラソンでもできるかもしれん。杖もいらんしな」
「《黒曜》の力ってすごいんだね」
テーブルに頬杖をついて感心する佳奈美は、「みんな持ってて、なんにも役に立たなさそうなのにね」と不思議そうな顔をする。
正二郎がそわそわした様子で立ち上がった。
「人生の最期にこの感覚はたまらん。じっとしていられん。ちょっとゴルフでも行ってくる。時間がもったいない」
「おじいちゃん、だいぶお酒飲んだし気をつけてね」
「わかっとる」
正二郎は片手で佳奈美に返事をすると、足音を立てて二階に上がり、重いゴルフバッグを肩に担いでいそいそと出かけた。
タクシーの扉が閉まる音がすると、「せっかちねー」と呆れ声が聞こえた。
「《黒曜》があるから、人口バランスが保たれるんだっけ、お父さん?」
主役がいなくなった室内で、雅恵が対面に座っている光矢の父、晴宗に話を振った。
晴宗は「どうでもいいだろ」と言いたげな表情で雑誌を閉じると、テレビの方に顔を向けてぼそりと言った。
「保たれるんじゃなくて、予想できるだけ」
テレビ画面には国が定期的に流すCMが映っている。
”体の中の《黒曜》は、あなたの寿命を教えてくれます。1歳6か月児健診で85%、3歳児健診で99%の精度です。国民の皆様は寿命を知ることで人生設計に役立てられます。また国はこれを元に人口予測を行っています。そして――“
――寿命通りに生きられたなら、国から一等親の親族に補助金が出ます。ですから、事故や病気には十分気をつけましょう。ぴったり生きて、みんな幸せ。
「ほんとよねー」
CMがコミカルな音声で締めくくられると、雅恵は目尻を緩めて大きく頷いた。
その笑顔に暗いさざ波が走ったように見えた。
「ぴったり生きて、みんな幸せ。いいじゃない。寿命が分かるとこっちもお金の心配しなくて助かるわ」
「雅恵、やめなさい」
晴宗が、光矢に厭味ったらしい視線を送った雅恵を窘めた。
けれど、彼女は止まらなかった。「この際だから」と悪びれることなく言葉を続けた。
「光矢、あんたの寿命、いつまでだっけ?」
「……19です」
答えが分かり切った白々しい質問だった。
テーブルの端で一人だけ背もたれのない小さな丸椅子に座らされた光矢は、太ももの上でぐっと拳を握りしめた。あざのある、やせた左拳が視界に入った。
雅恵が「楽しいざかりなのに、本当にかわいそう」と目を細める。
「誕生日忘れたけど、夏に17歳だっけ? あと2年か。妹にあんたを頼まれた日からもう何年かしら。長いようで短い月日ね……光矢、顔を上げなさい」
「――はい」
「ねえ、うちの家計が苦しいことは知ってる?」
猫なで声で言う雅恵の口端が歪に曲がった。
「……はい」
「まだ14歳だけど貯金は佳奈美を大学に行かせるときに使いたいの――光矢は、別に行かなくてもいいわよね? 寿命も佳奈美の方が長いんだし」
雅恵の顔は笑っていたが、言葉は研ぎ澄まされた刃のようだった。
在学中に死ぬやつに金は使わない。そういう意味だった。
光矢は視線を下げ、奥歯を噛みしめた。怒りを心の底に押し込め、数秒置いて返事をした。
「佳奈美の為に……使ってやってください」
「当然よねー、光矢は妹に似ていい子だわ」
雅恵は心の底から嬉しそうな笑い声をあげた。
「俺は、残りの人生の為にバイトを――」
「余計なことはしないで」
「でも――」
勢い良く顔を上げた光矢の前で、雅恵が表情を一変させた。
蔑むように瞳を曲げ、ぴしゃりと言った。
「あんたが事故にでもあったら困るの。補助金がもらえなくなるでしょ」
放たれた言葉は辛らつだった。もう隠すつもりもないらしい。
義理の母は、残りの寿命すら自由にさせないつもりだった。
光矢はテーブルを全力で蹴り上げたかった。
だが、そんなことをして何になる。また警察を呼ばれて、自分が悪者のように扱われるのだ。
服や文房具どころか、食事も満足に与えられない状況が悪くなり、風当たりが一層強くなるだけだ。
光矢は何度も唾液を呑み込み、祈るように言った。
「家を出ていかせてください」
「させないわ。あんたには19歳まで、この家で過ごさせます。もちろん今まで通り、屋根裏でね。余計なことは考えないようにしなさい……まあ、万が一、またあんたが家出しても、捜索願いを出して、『家族として』探してもらうだけよ。お父さんとそう決めたの」
光矢が、はっと首を回して晴宗を見た。
晴宗は何も答えなかった。両手に持ったカラフルな表紙の自動車雑誌をわざとらしく広げ、ページをめくるだけだ。
乾いた音がぱらぱらと鳴った。
しかし、口は開かない。
その態度が、雅恵の言葉が真実であることを雄弁に語っていた。
「お兄ちゃん……」
光矢の隣で、佳奈美が蚊が鳴くような声を上げた。
心配しているポーズなのか、雅恵に同調してほくそ笑んでいるのかはわからなかった。
知りたくもなかった。
どちらにしろ、味方ではない。
「あんたは残りの人生を補助金の為に生きるの」
雅恵は高笑いしながら言った。
そして、光矢は腹を決めた。
今すぐ死んでやる、と。
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