1.聖ドラグス暦1859年盛夏の月31日




親愛なる アラン・スミシー様




 夏休みも今日で終わり、明日から新学期がはじまります。いよいよ最終学年でございます。

 十一歳のわたくしに、アランおじ様が学費の援助を申し出て下さったおかげでここまで来ることができました。どんな感謝の言葉もおじ様への気持ちを表すのには十分ではありません。わたくしにできることはこれまで通り一生懸命勉強をして、できる限りよい成績でこの学院を卒業することだけでございます。幾何のことはあまり期待なさらないでくださいまし。


 夏休みの間のことは以前のお手紙に書いた通りでございますが、あれからまた両親と卒業後のことについて話し合いを進めました。おじ様はわたくしの魔術の才能が非凡だと援助を申し出て下さいましたし、わたくしとしても魔術師団や魔術研究所への就職に関心がございますが、魔術関連の教科の成績がどれほどよくても、他の教科の成績を見るにわたくしが希望の職業につくにはいささか心許ないようなのです。忌まわしい幾何のせいですわ。他は決して悪くないのはおじ様もご存知だとは思いますが。

 両親はわたくしが一人娘ということもあって、卒業後は婿をとって領地に戻ることを望んでおります。おじ様にこんなことを相談するべきではないとはわかっているのですが、おじ様はどうお考えですか? それでもわたくしは魔術に関わって生きていきたいのです。学院で教鞭をとるのも素敵ですわね。でも両親を今夏中に説得することはできなかったのです。寮生活に戻り、手紙だけで両親を説得することがわたくしにできるでしょうか――






***






 しとしとと降る雨が水滴で窓に綺麗な模様を描いていた。レイチェル・パーシヴァルはフォルトマジア王国の王都メルヘアにある、アーケアネス王立学院の寮の自室で動かしていたペンを止めた。


 このフォルトマジア王国はかつて八つの王国が一つになってできた王国で、その八つの王国の王家だった血筋が王家と、“主家”と呼ばれる七つの公侯爵家となっている。そしてその主家の領地の四方の土地を任された家系が”旗手”伯爵家と呼ばれていた。


 自然豊かで穏やかなメアホルンを領地を持つ旗手伯爵家に生まれた彼女は今年、王立学院の最終学年になる。


 幼い頃から魔力が高く魔術の勉強に興味を持っていた彼女だったが、決して貧乏ではないが裕福でもなく、その上社交界とは距離を置いていた両親がわざわざ王都の王立学院に娘を入学させる――しかも王都に屋敷を持っていなかったため、入学すれば大事な娘を寮に入れなければならない――なんてことは考えられず、家庭教師で十分だと言って王立学院への入学を反対されていた。

 レイチェルの唯一の希望はメアホルンの主家にあたるトゥーラン侯爵家の隠居であるローラント翁だった。ローラント翁は侯爵としてトゥーランを治める前から商会を立ち上げ成功させ、資産を増やした。そして才能があるが身分や金銭面で学ぶ場を得られない子どもに私財を使って援助することを隠居生活の楽しみにしていた。


 両親の説得に失敗したレイチェルは、すぐにローラント翁と知り合いでもある家庭教師に援助を受けられないか聞いて欲しいと頼んだ。しかしレイチェルの魔力の高さはトゥーランでも噂されるほどだったが、レイチェルのことを調べたローラント翁はそれ以外の成績も考慮して、もっと他の成績優秀者に支援を回すことにしてしまった。家庭教師から結果を告げられたレイチェルは学院生活をあきらめるしかなかった。その時、レイチェルは十一歳だった。


 そんな彼女が今こうして王立学院の最終学年にいられるのは、手紙の相手――アラン・スミシーのおかげだった。レイチェルが家庭教師からローラント翁の興味を引けなかったことを淡々と報告され落ち込んでいた頃、ローラント翁の知人だという彼から突然手紙がきたのだ。彼はレイチェルの魔力の高さに注目し、もしレイチェルが王立学院で勉強したいのなら支援させて欲しいと言うのだ。

 両親は正体不明の男を怪しんだが、落ち込むレイチェルに罪悪感を覚えていたことと、改めて愛娘から説得を受け、その申し出を受けることにした。

 そしてアラン・スミシーから、一定の成績を修めること、月に一回学院生活のことを手紙で報告することを条件に援助を受け、レイチェルは晴れて王立学院に入学することができたのだ。


 レイチェルが書いているのはその手紙だ。月に一回と言われていたが、彼女は自分の支援者にしょっちゅう手紙を書いていた。とりとめのない日常から、友人にも打ち明けられない悩みまで――返事は来たり来なかったりしたが、彼はいつも真摯にレイチェルに向き合ってくれていた。あくまで、文章の中ではあったけれど。


 ペンにインクをつけ、レイチェルは少し考えてから手紙のつづきにとりかかった。明日から授業がはじまるので次の週末まで手紙をゆっくり書く暇はないが、話したいことはいっぱいある。






***






 でも説得しなければなりませんね。わたくしも領地や領民のことを全く考えていないわけではありません。旗手の家に生まれた以上主家であるトゥーランのために故郷を盛り立てていくべきだとは思います。主家の侯爵様は本当に素晴らしい方なのもわかっております。だからこそ魔術についてもっと色々なことを学び、手に職をつけることで民のためになったらとも思うのです。


 あまりこのような話ばかりしてはわたくしらしくありませんわね。そうでしょう? 寮にはもう友人たちもたくさん戻ってきておりますし、寮ではなく王都の邸宅から通っている他の生徒の方々も学院の図書館やサロンを利用しております。


 ところで厄介なことが起きていますの。これは暗い話ではありませんわ! おじ様は先日魔術師団長に任命されたオスカー・ローラント様という方をご存知でしょうか? ローラント翁のお知り合いなのだから、きっとご存知でしょうね。あの方はお孫様なのですから。そのローラント魔術師団長が雨の月に行われた夏至の夜会で「虹色の瞳を持つ女性がいたら結婚したい」というようなことをおっしゃったそうなのです。わたくしはその夜会に招待されていませんでしたので人づてに聞いた話ですが。

 それで、その夜会に参加していた同級生の方々がどうしたと思われますか? なんとわたくしに瞳の色を変える魔術をかけてほしいと言ってきたのです! おじ様にはわたくしの成績表を送っておりますからご存知だと思いますが、わたくしは幾何は苦手ですが魔術の授業では学年で一番の成績でしたので彼女たちはそれを承知でわたくしにそんなことを言ってきたのですわ。


 そういえばおじ様が魔術にお詳しいか聞いたことがありませんでしたわね。もしご存知だったら申し訳ありません。読み書きができるようになったばかりの女の子が、得意げにお父様に童話を読んであげるようなものだと思いになってください。おじ様はお子様がいらっしゃるのかしら?

 そう、魔術で他人の瞳の色を変えるのは不可能なのです。増してや虹色になんて! わたくしの成績の問題ではありません。瞳の色はその人の魔力の高さを表すものでもありますから、きっとそのことが関係しているのでしょうね。自分の瞳なら明るさや濃さをちょっとごまかすことくらいはできますわ。実は少しだけ試したことがあるのです……。でも全く別の色に変えてしまうなんて絶対にできません。

 それでわたくしは同級生たちにそう伝えたのですが、彼女たちはちっとも諦めてくれないのです! その上わたくしをとても嫌な目で見てくるのです。今日までは寮にいる同級生しか顔を合わせておりませんが、明日からどうなってしまうのかしら? こうなったのもオスカー・ローラントのせいですわ! 彼の顔も知りませんが、きっと嫌な奴に違いありません。おじ様のお知り合いでも絶対に好きになれませんわ。申し訳ありませんけれど。


 またすぐにお手紙を書きます。夏休みの課題はすっかり終わっているのでわたくしは今日はゆっくり読書をして早めに眠ろうと思います。おじ様もゆっくりお休みになってくださいませ。睡眠は人生を豊かにしてくれますわ。それでは。




愛と尊敬をこめて レイチェル



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