第7話 眼鏡あり、眼鏡なし


 昼休みになった。

 教室内は、弁当を広げてもう食べ始めているヤツや、ワイワイと机と椅子を動かして互いの席を寄せ合っている女子たち、校内の購買を目指して駆けていく生徒など、実に様々だ。

 いつものように多川たがわ白貫しらぬきは、近くの売店に行こうとやってきた。

 高校の目の前にある売店は、毎日学生で賑わっている。でもそれを見越して十分な仕入れをしてくれているので品切れになることは少なく、購買よりも遥かに品揃えが良い。



 そのとき──


 ラジオ番組のオープニングに使われそうな、勢いのある曲が教室のスピーカーから溢れ出した。


《E先生のー》


《いまどきの学生観測!》


 『E先生の』という女性の声のあと、『いまどきの学生観測!』の部分に、大勢の生徒と思われる男女の声が重なる。


《てなことで、この番組のパーソナリティーを務めさせていただきます、E先生です。こんにちは。はい拍手して》


 落ち着いたピアノ曲を背に、E先生──エレナ先生のトークがはじまる。

 匿名にする必要があるのだろうか。


《パチパチパチ……》


 少し遅れて、拍手。


《えー、今日から始まりますこの放送は、ありていに言えば悩み相談。悩みといっても色々あるだろうけど、悩みのない人なんていないわよね。誰もが悩みを抱え、生きてる。私だってそう。でも誰かに打ち明けるのって勇気がいるのよねー。それに秘密が洩れたら困る悩みだってあるだろうし。些細な疑問も口に出して聞けない内気な子もいるだろうし、普段強気な子だって悩みはあるでしょう》


《これは、そんな悩みの数々を私、E先生が解決しちゃおうという斬新かつオリジナリティ溢れる企画らしいです。ぜんぜん斬新じゃないけどね》


《BUT! 私も引き受けたからには真面目にやります。投稿者の名前や、秘密にしたい部分は私が墓場まで持っていくわ。約束する。放送部の人にも話さない。だから一人きりで悩んでないで、勇気を持って打ち明けてみない? 実験室のドアを改造して投稿用のポストを作ったから、ハガキでもノートの切れ端でもいいから、決心がついた人は、そこに入れちゃって頂戴》


《って、原稿には書いてあるんだけど、そりゃないわよねー。ポストなんて置いたら誰が投稿したか見られちゃうじゃない。しかも投稿者の手間がかかり過ぎ》


《ツメが甘い。匿名性を守るため、私は徹底的にやることに今決めました》


《ちょ、ちょっと先生、台本と、》


《うるさい。黙ってて》


《……》


《ごめんね、これ聞いてる人たち。段取りが悪くて》


《ポストの件はナシ。私は教員も含め、校内にいる全員の投稿を希望します。それと、内容は限定しないわ》


《本日の帰りのショートホームルームで各クラス担任に用紙を配ってもらいます。悩みでも誰かに話したいトリビアでも私を笑わせるネタでもなんでもいいから好きに書いて。でも、無理強いはしないから。相談事のない人や書きたくない人は白紙のまま提出してね》


《書き終えた生徒は、裏にして教卓の上に重ねていって頂戴。各担任は、用紙に手を触れないこと。私がダッシュで全クラスに回収にいきますので待っていてください》


《あと、注意点がひとつ。人の書いてるのを覗き見しないこと。絶対に見られたくない人は、各自工夫すること。後日こっそり私に直接手渡しも可》


《あー最後にもうひとつ。今回の企画、校長先生の了承を得てますので、教職員の皆様、ご協力よろしくお願いします》


《それでは、記念すべき第1回の放送を終えます。放送部のみんな、お疲れ様。また来週~》


《あ、えと……》


 声が放送部員のものに変わる。


《以上……『E先生のいまどきの学生観測』は、放送部がお送りしました……》


 ぶつん。


 マイク出力が断ち切られ、校舎内の全スピーカーが沈黙する。


 止まっていた時間が動き出し、途端にクラス中が終わったばかりの放送の話題で持ちきりになる。


「なんだ、いまのは」


 俺が疑問を口にすると多川たがわが不服そうに、


「朝話しただろ。放送部がなんか企んでるって」


「んなこと言ってたっけ?」


「お前ぜんっぜん聞いてなかったのかよ」


「意外とまともそうな企画だったね。私、なに書こうかなー」


「エレちゃんと伊月いつきとの関係について聞いてみようかな」


 と、多川たがわが笑う。


「じゃあ俺は、多川たがわの《オマエラブ事件》についてこと細かく記すことにするか」


「勘弁してください、伊月いつきさん」


「オマエラブじけん?」


 白貫しらぬきが興味深そうに俺たちを見つめてくる。


「さっさとメシ買いに行くぞ」


 逃げるように教室を出て行く多川たがわ


「無視された……」


「触れないでやってくれ、白貫しらぬき。あまり突っつくとジュース奢ってもらえなくなるぞ」


「んー」


「な?」


「すんごい気になるけど、目先のドリンクのほうが大事だからそうする」


「じゃー行くか」 


「うん」



 **********



 6時限後、ショートホームルームが開始されると、担任から用紙を配布された。

 昼の放送でエレナ先生が宣言していた悩み相談のアンケート用紙だ。


 俺は先生に相談中のカナの件を除いて悩みはなかったので白紙で提出することにした。


 しばらくすると、エレナ先生が教室に入ってきた──かと思うと、教卓の上から用紙をひったくるように回収して、『みんなありがとねー』と言うと、すぐさま出て行ってしまった。


 ──病み上がりにこんな無茶して……。


 ただでさえ忙しい身なのに、こんな企画引き受けて大丈夫なのだろうか。


 ──今日は話すのは無理か。


 ひとまず図書室に借りてた本を返しに行って、新しく何か借りて、それから職員室と実験室を覗いてみることにした。



 図書室には、片瀬かたせ姉妹がいた。


「あ、伊月さんっ」


 片瀬かたせ姉妹の妹、椎奈しいなは、ひとり真面目にカウンター席に座って利用者を待っている。


 フチ無しの眼鏡に、長い黒髪。

 背が低くて童顔で全身から可愛さを醸し出しているが、侮ってはいけない。


 こう見えて、学年トップの成績を持つ天才少女なのだ……嘘だけど。

 成績はクラスの真ん中くらい、運動能力も人並みらしい。ごく平凡な子だ。


「こんちは、片瀬妹かたせいもうと


「こんにちは~、伊月兄いつきにいさん」


 片瀬姉かたせあねなぎは、椎奈しいなの横で椅子に座り、片肘をついて、世界の昆虫図鑑を読んでいる。


「嬉しそうだな、椎奈しいな


「先輩が今日はじめてのお客さんですからね~」


 椎奈しいなは俺が片瀬妹かたせいもうとと言ったときだけ、伊月兄いつきにいさんと返してくる。

 ささやかな抵抗らしい。


 片瀬薙かたせなぎ椎奈しいなは、本当の姉妹じゃない。偶然同じ苗字で、偶然同じ図書委員で、偶然同じ学校に通っているだけだ。


 片瀬姉かたせあねが3年のなぎで、片瀬妹かたせいもうとが1年の椎奈しいな


 どちらも片瀬かたせだから、2人がカウンターにいるときに苗字で呼ぶと、返事が2つ返ってくる。

 そうかといって、名前で呼ぶのには抵抗があった。


 で。


 毎週欠かさず通っているうちに、なんとなく今の呼び方に落ち着いた。

 きっかけは──ってほどのものはなくて。

 呼びやすさを追求した結果だ。


 一時はメガネ(椎奈)とメガネなし(薙)と、かなり失礼な呼び方をしていた。


「はい、返却」


 小説を渡すと、椎奈しいなは背後の棚から貸出カードを探し出し、ハンコを押して、本を裏返してカードを入れる。

 この学校の図書の貸出方法は、学校創設時から変わってないらしい。いつになったらIT化されるのだろうか。


「ご利用ありがとうございました~」


 椎奈しいなは背表紙に貼られているラベルの分類番号を見ながら、本を棚に戻しに行く。

 残ったなぎに向かって、


「いい挨拶だ。どこかの誰かとは大違いだ」


伊月いつきくんのときだけだからね。椎奈しいながこんなに愛想いいのは」


 意外なことを言ってくる、なぎ


「惚れられてる?」


「聞いてみたら?」


 世界のテントウムシのページを眺めていた瞳が、1度だけこちらに向けられる。


「俺、小心者だから」


「どこがよ。私のこと、一度でも先輩として扱ってから言いなさい。とにかく、私の妹を傷つけることはしないでよね。あの子、伊月いつきくんと違って、かなり繊細だから」


 こういうときだけ椎奈しいなを妹として扱うなぎ

 なんだかんだ言って、なぎ椎奈しいなのことをえらく気に入っている。本当の姉妹のようだ。


「俺も繊細」


「図鑑のカドって痛いの知ってる?」


「知りたくもない」


 椎奈しいなが戻ってきた。


「なに話してたんですか?」


 俺がどう説明しようか考えあぐねていると、


伊月いつきくん、椎奈しいなのお薦めの本が借りたいんだって」


「なにかない?」


 俺も話を合わせる。

 といっても、最初からそのつもりだった。


 なぎ椎奈しいなの読書量は半端じゃない。

 そしてひとつの分野にこだわらず読むから、こういう本が読みたいと話せば、どんどん候補を挙げてくれる。

 

「希望のジャンルはありますか?」


「んーと。椎奈が最近読んだ本はなんだ?」


「フロイトの『精神分析学入門』です」


 ……聞くからに眠くなりそうな本だ。


伊月いつきくんには漢字と文字が多すぎるわ、それ」


 俺はバカか。


「では、たまには絵本にします?」


「ほーお。言うようになったな、椎奈しいな


「ねえ、伊月いつきくん。最近の絵本って、読んだことある?」


「あるわけないだろ」


 この歳になって絵本なんて読むか。


「先輩はたぶん誤解してます。絵本は一般書籍として、幅広い年代の人に読まれているんです。私たちが読んでもとても面白いですし、少ない文章の中に、様々な意味が込められていて、深く考えさせられます」


「そういうものなのか?」


「桃太郎とか想像してたんじゃないわよね」


「いや、カチカチ山」


「……」


「ちょっと待っててくださいね!」


 椎奈しいなは本棚の向こう側にいってしまうが、すぐに戻ってきて、


「これお勧めですっ!」


「いいかもね」


 なぎが同意する。


 手渡されたのは、真っ白い本だった。

 B5サイズのハードカバーの表紙の中心には、雪の結晶が描かれている。結晶部分は、エンボス加工され、結晶の幾何学的な形が浮き出るように印刷されている。

 とても綺麗な装丁だった。


 結晶の中心部分には、『アルビノ』と明朝体で小さく印字され、表紙に著者名は見当たらない。


 どんな内容なのだろうか。


「あ、待って下さいっ!」


 椎奈しいながページに手をかけた俺を慌てて止めてくる。

 なんでだと聞くと、なぎが、


「絵本はね、1人のときに読むのがいいわ。あと、最初から1枚1枚ページをめくっていくものだから。ストーリー性のある映画を早送りや途中から観てもつまらないでしょ? そうやって観た映画をまた最初から観たいと思う?」


「わかった、家でひとりぼっちで泣きながら読むよ」


「別に泣かなくていいから」


 貸出カードに名前を書く。椎奈しいなが日付を書いて、判子を押す。

 受け取った絵本をカバンに入れ、2人にお礼を言って、俺は図書室を後にした。

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