第23話

 美空と夕が相談して選んだのは、早朝にできるカラオケ店での短期アルバイトだった。業務内容もそれほど難しくなく、二週間限定ということで働くことにした。アルバイトを始めるためには、学校に申請書を出さなくてはならず、美空は母親にだけこっそり話をした。


 美空が遅く帰ることを良しとしない父親と違って、母親はきちんと連絡をすればいいと言ってくれたのをきっかけに、ほんの少しだけわだかまりが解けていたからだ。


 アルバイトも、どうしてもお金を自力で稼いでみたい、欲しいものがあると相談をすると、父さんには内緒にしておいてあげるからねとほほ笑んでくれた。


 美空の変化に対しても、母さんはいいと思うけど、ほどほどにねと苦笑いをされたのだった。父がいる手前、母は声を大きくして「OK」とは言えないが、若い頃はそういうのに興味があって当然だもの、と心の内では理解を示していた。


 それは、美空にとっては大きな進歩だった。家族と、ちょっとだけ歩み寄れた気がした。きちんと話ができれば、お互いに歩み寄ることができれば、家族は味方になってくれる。それを知って、美空は心臓がぎうぎうと締めつけられるような切なさと愛しさと、苦しさを感じたのだった。


 早朝に出て行くことに関しては、父親には陸上部のマネージャーの手伝いに参加すると話をするといいよと母親にいたずらっぽく言われて、恐る恐るそう伝えるとすんなりと話が通った。


 何の魔法かと思ったのだが、朝練に父親が思い入れがあるということらしく、美空はそれが嘘になってしまうのも嫌だったので、実際に陸上部の顧問の先生に、マネージャーのさらに補助になれないかと話をつけた。


 父親の思い入れがあることを利用して、嘘をつくのは良くないと感じたのだ。どうせ死んでしまうのだから気にしなくても良いことかもしれないが、しこりが残ったまま、後悔となってしまうのが怖かった。


 陸上部の顧問はもちろん美空の参加を歓迎してくれ、実際に、朝練の手伝いは、バイトに参加しない時に参加した。意外にも運動はこれっぽっちも得意ではない美空だったのだが、マネージャーとしての素質はあるようで、陸上競技の本を図書室で借りて来ては、競技内容をしっかりと理解することに努めた。


 他のマネージャーや先生と相談しながら、選手のフォームの改善やタイムの測定、片付けなどに参加することが、苦ではなく楽しかった。


 陸上部の生徒とも仲良くなることができて、美空は一石二鳥を味わうことができた。朝早く起きるのも苦ではないため、楽しく部活に参加できた。帰りが遅いことは渋る父も、朝早くに出て行くことに関しては全くと言っていいほどに怒らなかった。


 美空の毎日は、日々充実度を増していく。それと同時に、夕への感謝の気持ちも増していった。放課後やお昼休みなど、会える時に二人は会って話をたくさんした。


「先輩。なんだか先輩のおかげで、部活の思い出もできて、さらにアルバイト先でも仲良くできていて……すごい、生きているって感じします」


 放課後、ゆっくりと夕と話をするのも、美空にとっては素晴らしい習慣であり、大事な時間となっていた。雨の日以外は屋上で話をしたり、できる限り夕と一緒に手を繋いで帰った。


 今日は、陸上部のマネージャーに正式にならないかという話をされたことを話すと、夕はまるで自分のことのように喜んでくれた。その笑顔を見られたことで、美空は胸がいっぱいになる。


「じゃあ美空くん、部活の朝練の日は、一緒に朝早く登校しよう?」


「え……?」


 美空はドキッとした。それは、美空がしたいなと思っていたことであり、言い出せなくて迷っていたことでもあった。


「バイトの日は、駅から一緒に登校しよう?」


「いいんですか?」

 美空のしたくても迷って言い出せなかったことを、夕はあっという間に引っ張り出してしまう。すごいな、と美空はいつもびっくりしっぱなしだ。


「うん。だって、恋をしようっていうお願いだもん。恋人に遠慮はいらないし、恋人なら一緒に登下校してもおかしくない。ああ、言い方が変だなあ」


 夕は言葉を切って、そして深呼吸をしてから真っ黒な瞳を美空へと向ける。


「恋をしているんだ、美空くん。僕は君のことを真剣に考えているから……お願いだからじゃなくて、僕も美空くんに恋をしているんだよ」


 美空は声が出なくなってしまって、その場で固まった。こんなにも美しい台詞を、芝居がからないで言える人間がいるだろうか。夕の言葉は、いつも美空の胸をこそばゆくさせる。


「変かな?」


「い、いえ……そんなことは無くて……なんて言っていいか分からないんですけど……」


 すごく嬉しいです、と美空が伝えると、良かったと夕がほほ笑んだ。そのまま手を引かれて、優しく抱きしめられる。


 夕の匂いがして、美空は何度この胸で泣いて、優しくしてもらって、助けられたのだろうと考えながら、心地よさに目を閉じた。


 恋をしているんだ、先輩も同じように。この気持ちが、決して一方通行ではないということが、美空としては何よりも嬉しい。そして、安心できることだった。人を信用することが、これほどまでに心地良く、そして前へ進む勇気となることだとは、美空は知らなかった。


 夕はいつも、美空に新しいことを教えてくれる。美空はぎゅっと夕の背中を掴んだ。屋上に涼しい風が吹き抜けて行った。

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