第10話

 すっかり暗くなって帰宅したのは、初めてに近い。どうしても学校行事などで残らなければならない時以外で、美空が帰宅を遅らせたことは無かった。


 やっぱり両親い嫌な顔をされるのは恐ろしい。怒られるのは嫌だったし、しかもさぼったり、遊んだりしていたなどということがばれてしまったら、否応なく雷が落ちるはずだった。


 楽しい時間の後に、そんなことになるのだけは避けたい。平静を装って、いつも通りと心の中で呟きながら美空は玄関の扉を開けた。本当は心臓は飛び出そうだったのだが、それを隠した。


「――ただいま」


 息を殺すように玄関に入ると、ひょっこりと妹が顔を出してきた。それに、美空はどことなく安堵する。いきなり怒り顔の父親が出て来るという、最悪のしなりをは回避できたらしい。


「お帰り、お姉ちゃん。珍しいね、こんなに遅いの」


 一学年下の妹の美海みうは、目をまん丸くして美空を見つめた。それはアフリカでペンギンでも見つけてしまったかのような、そんな珍しいものを発見したときの目をしていた。


 そんな顔をされるほどに、珍しいことだったかと美空は困ったようにほほ笑む。高校生なのだ、放課後の帰りが遅いことがあったって、普通だと思える方が一般的なはずだった。


 そういう美海も、こんな時間に帰ることはあまりないけれど、部活やら友達と遊ぶやらで、帰りが遅いことは多々あるのだ。


「うん、ちょっと用事があって」


「もしかして……!」


 その後にだいぶ声を小さくして美空に近寄り、彼氏?と小さく聞いてきたのは、両親が近くのリビングにいたからだった。それに美空は首を横に振る。


「何だ、違うの。美海はね、この間彼氏できたんだよ」


 聞いてもいないのに美海はにこにこと話しかけてきて、美空はため息を吐いた。そのまま美空の後をついてくるようにして、学校のことや彼氏の話をする。その間に手洗いうがいを済ませてキッチンへ行くと、遅くなった夕飯が机の上にラップをして置いてあった。


「お帰り。委員長の仕事はちゃんとできたの?」


「うん」


 なぜか、途端に罪悪感が跳ねあがってくる。悪いことをしているわけではない、そんなに遅くに帰ったわけでもない上に、映画を観てきただけのことだ。誰でも、普通の高校生ならやっていることにすぎない。


 しかし、両親に黙っていたということが、美空としてはほんの少しの罪悪感となった。


「そう。美海も少しはお姉ちゃんを見習いなさい」


 母親に言われて、美海はふてくされたように口を尖らせた。


「えー。だって美海はそんなに頭よくないし」


 それに母はため息を吐いてリビングへと向かい、父親も不機嫌そうに新聞を読んでいた。何ともいえない雰囲気を気にする様子もなく、美海は美空の前に座って、楽しそうにクラスの出来事などを話している。


 未海は、美空と違っておしゃべりであっけらかんとしていて、今どきという感じの女子高生だ。見た目も美空とは違って、華がある。顔はどことなく似ているのに、雰囲気が違いすぎて終いには見えない。


 何気ない日常を切り取った家族だったが、どこまで心は繋がっているのだろう、と美空はふとそんなことを思いながら食事を口へと運んだ。


「美海、先にお風呂入っちゃってよ」


 ずっとしゃべっている美海に、ふと美空が話しかける。


「え、やだやだ。これから彼氏と夜に電話するんだもん、すっぴんじゃ無理だし」


「たいして変わらないって。画面オフにすればいいじゃない?」


「あーもー。お姉ちゃんは乙女心分かってないなあ」


 眉根を寄せた美海に、父親がソファからごほんと咳ばらいを入れる。それに美海は、おっと、と言いながら目を瞬かせた。


「美海。学生が化粧なんかして、はしたないと思わないのか」


 始まった、と美空が美海をにらんだ時にはもう遅く、美海はごめん、と顔の前で手を合わせてすまなそうにした。


「だいいち、学生の本分は学業だろう。そんなくだらないことに時間をかけるんじゃない」


 美海は父親の言葉にむっとしたのか、見えないようにあかんべーをして立ち上がった。


「お父さんはお化粧しないから分かんないかもだけど、美海は可愛くなりたいんだもーん。ちょっとくらいいじゃんね」


 美海は昔から、自分のやりたいことには素直に行動する。そして、はっきりと物事を言うタイプの妹だった。そんな妹に、両親は手を焼いている。


「美海、化粧なんてこれから先嫌でもするんだ。今すべきことは別だろう。そんなにスカートも短くして、男に勘違いされたらどうするんだ。少しはお姉ちゃんを見習いなさい。女の子は清楚なのが一番だ」


 激怒する手前になった父を、母がまあまあとなだめ、何か言いたそうな美海に向かって美空が「今の内だから部屋行きなよ」と催促する。


 それに美海は納得がいかないという顔をしたのだが、父は娘が突っかかったところで、がんとして言うことをきかないことの方が多い。喧嘩になるだけ、体力が消耗するし、雰囲気が悪くなってしまう。


「お姉ちゃん、先お風呂入ってね」


 そう小さく美空に伝えてから、美海は父に見えないようにあっかんベーと舌を出して、そしてさっさとリビングを出て行ってしまった。


 美空もそそくさと晩御飯を食べ終えて、片づけを済ますとすぐさま自室へと避難した。とばっちりを食らうのはごめんだった。


 何しろ、楽しい一日を夕と過ごした後なのだから。

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