第11話 宇宙外の瞳

「は、はは。あっしの幻覚でいいようにされてると思ってたんすがね……」


「最初は本気で騙されてた。けど、起きることがあまりにも俺に“都合が悪すぎる”」


 王都のスラム街。風の吹きつける馬車の御者台の上で、アベルは確かにニバスの首に指を這わせていた。

 力を籠めれば、折れるかはともかく酸欠に陥らせることぐらいはできる。ニバスが次の行動を起こすよりも早く、だ。


「幻覚の魔法使いは大きく分けて二種類だ。自分が設定した幻を見せるもの。それか、対象の記憶を読み取って効果的な幻を見せるもの」


「……へぇ、随分と博識なもんで」


「あんたは明らかに後者だろう。俺が嫌いなものを嫌と言うほどに見せてきた。おかげで最悪な気分だ。けどな……いくら俺が弱くても、あんな一方的に叩きのめされるつもりはない」


 余分な力が加わり、ニバスが苦痛に表情を歪める。


「──俺が負けたのは、天才や英雄たちだ。あんたみたいな小悪党に苦戦するつもりはないんだよ……っ!」


「気持ち良く話してるところ悪いでやすけど。この光景があっしの幻覚じゃないとでも? また“都合の良い”夢を見てるんじゃないっすか?」


「例えそうだとしても、掴んだ瞬間は現実だった。なら、俺は何が起きようとも力を緩めない。幻の中で殺されようが」


 言葉の売り買いを繰り返しながら、アベルは確信した。恐らくニバスの幻覚魔法は相手にとって“都合が良いこと”、或いは“都合が悪いこと”を幻として見せつけるものだ。

 だから先ほどまで、アベルは奴隷商程度にさえ手も足も出せずに、何者も救えない己を幻視させられていた。自身の醜さと弱さを直視させられるほど、都合の悪いことはありはしない。


「あんたの負けだ。今度こそ馬車を止めろ。兵団には引き渡すが、命まで取るつもりはない」


「……ええ、確かにあっしの負けっすね。今から魔法を使ったところで意味はないでしょうよ。せっかく大漁だったのに商品を手放さないといけねえなんて」


「長話の相手は兵士にしてもらえ」


「けどっすね」


 手綱を握るニバスの指が、強張る。注意深く様子を窺っていたアベルはすぐに見抜くことができた。湧き上がる疑念と経験が発する警告。それらを理性が処理するよりも早く──


「あっしはここまで商売を大きくするために、努力してきたんすよ!! それを小悪党呼ばわりとは、許せねえ!」


「っ!! やめ──」


「豚箱送りにされて堪るかってんだッ!」


 間に合わない。ニバスが滅茶苦茶に馬を暴れさせると同時に、アベルは咄嗟に御者台から飛び降りた。受け身の補助に風の魔法を放ち、高速で走っていた馬車からどうにか無傷で脱出する。

 それでも何度か地面を転がることは避けられず──顔を上げた先で、馬車が慣性に引きずられて横転しかかっていた。


「きゃあぁ!?」


「おおぉぉぉおぉっ!!」


 十人以上の人間に加えて馬車そのものの重量。発動地点は十メートル単位で離れている。出力も精度も高位なものを要求される。

 それでも女性たちの悲鳴を耳にして諦めるつもりはなかった。全身の魔力を漲らせ、魂が削れるような錯覚を覚えながらも風を操る。


 横倒しになりかけた馬車に下方向からの強風が叩きつけられて。


「ぅっ、がぁ……ッ」


 それがアベルの限界だ。鋭い頭痛によって魔法が途切れ、風もまた止む。眼前でゆっくりと馬車が倒れた。横転を防ぐことはできなかったが、クッション程度にはなったはずだ。予め警告していたことも合わさって、中の女性たちに怪我はないと願いたい。

 どうなっているにせよ、状況を把握しなくては。痛む頭に鞭を打って立ち上がると、急いで馬車へと駆け寄った。


 現場は酷い有様だった。近くに偶然存在したボロ小屋の壁には風穴が開き、すぐ傍に頭から血を流した馬が倒れている。外側からの視界を遮る馬車の荷台の中からは、すすり泣く複数の声が響き渡っていた。

 周囲の住民たちも早朝からの騒ぎを聞きつけ、何事かと顔を出し始めている。そんな野次馬たちの視線を無視して、アベルは馬車の幕を切り裂いた。


「乱暴なことになって済まない。怪我をした人はいますか?」


 自らの人相があまり穏やかなものでないことは重々承知だ。可能な限り柔らかい声色で転げ回っている女性たちの無事を確かめる。

 手足を拘束された状態で馬車ごと横転した以上、骨折の一つや二つ、それ以上の緊急性のある怪我だってあり得るだろう。しかし女性たちは恐怖で涙を流すことはあれど、痛みに苦しんでいる様子は見受けられなかった。


「だ、大丈夫だと思います」


「わかりました。何かあったら叫んで伝えてほしい。すぐに兵団も来るはずだから、もう少しだけ我慢しててください」


 比較的に平静さを保っている女性が答える。アベルが注意深く観察しても、意識を失っている人物もいない。今すぐに対処しなくてはならない事柄はないだろう。


「アベル……」


 だから優先すべきことは他にある。背を向けてそちらに向かおうとした時、見知った声がアベルの意識を掴んだ。肩越しに振り返る。今にも泣きそうな顔のルミと目が合った。


「本当に、ごめん……また僕のせいで……。怪我だって」


「……気にしなくていい。大した傷じゃない」


 短く言い残し視線を外す。言いたいことも、聞きたいこともたくさんあったが、ゆっくりと言葉を交わしている余裕はまだない。

 それ以上に、恐怖と嫌悪に塗れた顔を見ていられなかった。


 ルミから逃げるように視線をさ迷わせる。アベルが探しているものは、すぐに発見できた。


「ち、くしょ……っ、あっしは……死なない……。やっと、やっと、ここま、で……き、たのに……」


「……酷いな」


 今回の事件の主犯。奴隷商のニバス。横転の際に巻き込まれたのだろう。彼の右足は無残にも潰れ、左足首もあらぬ方向に曲がっている。それでも必死に前に進もうと地面を這いつくばる彼の背後には、紅い線が残されていた。

 とんでもない執念だ。脂汗をかきながらも必死に腕を動かす姿には狂気さえ感じられる。


 だが、同情の余地はない。ニバスは多くの人間を不幸にし、生きる限りそれを続けるだろう。命を取るかはともかく、兵士に突き出すことに抵抗など微塵もない。

 それにアベルは聖人ではないのだ。トラウマを抉られて、少なからず苛立っていた。


 だからニバスの背中を乱雑に踏みつけ、無理やりに地面へ縫い付ける。


「もう止せ。痛みでショック死してもおかしくない」


「は、ひはあ……! 死ぬわけ、ないっすよ……だってあっしは、これからでやすから……」


「これからなんてない。牢の中で一生を過ごすんだ」


「黙れ……奴隷として、こき……使われて。何度も、死にかけて……それでも死に物狂いで、ここまで商売を……成功させやした……。やっと人間らしく、生きれるように……」


 思わず眉をひそめる。小悪党の身の上話ほどつまらないものはない。嫌悪感を隠しもせずにニバスを見下ろした。


「奴隷商が何を言ってるんだ。国が認定してる職業安定所としての奴隷ならともかく。人道に反する人売りをしておいて、人間らしさを願うのか?」


「しかた、ねえじゃないすかぁ……あっしはこれ以外知らねえ……堅気の商売なんて、誰にも信用されねえんすからできやしねえっすよ。できるのは、後ろ暗いことだけで──」


「もう、黙れ。生まれを犯罪の言い訳に使うな。スラム出身の浮浪児でも、騎士にだってなれるんだ。あんたの罪はあんたに原因がある」


 本当に癪に障る男だった。また幻覚をかけられているのかと疑ってしまうが、魔力を集中させても外部から干渉されている気配はない。ニバスにはもう、魔法を操る余力さえ残っていないのだろう。


「そんなバカなこと……」


「あるんだよ。俺は、目の前で見てきた」


「ぐ、ぇ……っ」


 体重を更にかけて黙らせた。

 やや遠方から無数の靴音が響いてくる。恐らくは兵団のものだ。アジトの制圧作戦と同時刻に全く別の地点で騒ぎが起こり、慌てて駆け付けたのだろう。

 アベル一人で混乱する女性たちを纏めて、安全な場所にまで連れていくのは骨が折れるどころではない。救助は兵団に任せ、アベルは主犯格を──ニバスを見張っておく。


 これが正解のはずだ。ニバスの逃亡。彼の仲間が現れて場をかき乱すこと。そのどちらにも警戒を怠らないように意識を巡らせて。


「こんな……捕まらねえ……っ! 死にたくねえ……! あっしは、あっしは……」


「……なんだ?」


 何処からか、視線を感じた。背筋に冷たいものが走り、ごわごわと全身の毛が逆立つような感覚。それは生き物が本能的に発する警鐘だった。


 ただ原因がわからない。剣の柄を掴んで周囲を見渡すが、特段おかしなものは見当たらなかった。残党が銃口を向けているわけでも、ニバスが自爆でも試みているわけでもない。

 未知とは、恐怖だ。わからないからこそ恐ろしい。何もわからないのに、恐ろしいということだけが理解できてしまう。


「ニバス、あんたか!? 魔力を放つのをやめろ!」


「だ、れっすか……? 契約……?」


「おい、一体何を言って……?」


 大気中の魔力が高まり、場を支配していく。奴隷商はおろか、天才と謳われるカインですら、瞬間的には操れないほどの圧倒的な魔力の嵐が吹き荒れ始める。

 魔力とは現実であり、魔法とは願望だ。あまりに出力の高い無色の魔力は時に現実を塗りつぶし、白紙にしてしまう。アベルも魔力を漲らせて抵抗するが、これほどまでの濃度に晒され続ければ存在ごと抹消されかねなかった。


「あんたじゃないのか!? どうなってる!? 知ってることを全部話せッ!!」


「ええ、死にたくねえ……わかっていやす、もうあっしじゃどうしようも……なら……」


「ああ、くそっ!」


 魂がかき消される悪寒に耐えられず、ニバスから跳ぶように距離を取った。剣を構えて、いつでも戦えるように戦意を研ぎ澄ませる。けれど、やはり何もわからない。

 間違いなく何者かの干渉を受けている。だが、姿がない。加えて規模が個人で完結できるレベルを遥かに凌駕していた。


 ニバスに向けて風が吹き荒れ、小さな竜巻を形成していくのは見間違いではない。彼の周辺の現実が塗り潰されることで大気が消失し、急激に低下した気圧に周囲のものが吸い寄せられているのだ。


「なんなんだ、これ……っ」


 身体の震えが止まらない。怖くて怖くて堪らない。眼前の現象を呼び起こしているのは、指向性のない魔力だけで物質を消失させられるほどのナニカだ。

 圧倒的に巨大な竜でも、世界の元素を司ると呼ばれる精霊でも、まだ可愛いものだろう。


 直感的に理解する。目に映らず、声も聞こえないが。今、この場に降臨しているのは──世界を滅ぼせるナニカだ。


「あっしは死にたくねえ! あっしを“オレ”に捧げやす! だから、“オレ”をあっしに分けてやるよ」


「これ、は……」


「だから、最高の人生を最高の脚本を────ッ!」


 無秩序にまき散らされていた魔力が収束し、ニバスの中へ吸い込まれていく。彼の魂をナニカが上書きする。その最中で叫ぶ彼の声は断末魔とも、歓声とも取れる奇妙で理解しがたい雄たけびで。

 唯一つ確かなのは、事態が再び最悪まで転げ落ちたということだ。


「ああ……呼ばれちゃいないが着ちまったぜぇい。良い匂いだ。最高な物語の気配がプンプンしてる!」


「……っ」

 

 ニバスが立ち上がる。とても機能しないはずの足を酷使して。そのまま狂ったように高笑いを響かせながら、楽しげに周囲の惨劇を見渡す。


「人道に反した奴隷商人っ! 彼に攫われた麗しい少女たちっ! そして、彼女らを助けるために命を賭ける青年っ! ああ、イイッ! とてもイイッ!! もっと見せてくれ! 最高の! アングルで! 人間の美しさを“オレ”に見せてくれよッ!?」


「あんた、誰だ……!?」


 どう考えても彼はもう、ニバスではない。あの時、平原で遭遇した殺人鬼──“プレイヤー”。彼らと同じだ。一つの肉体に無理やり二つの魂を詰め込んだかのような違和感。何より、

 憑依とでも言うべきなのだろうか。明らかに目の前の存在は、ニバスの皮だけを被ったナニカだった。


 投げかけられた問いにニバスが笑いを止める。急激に彼の中の熱が冷めていくのは、目を見れば容易に理解できた。


「あの、な。そういうメタ発言はやめてくれね? 冷めるんだわ」


「めた……?」


「“オレ”は小悪党の奴隷商人で! お前は未来の英雄ってわけで! なら、やることは一つだろ!?」


 狂ったように叫び、アベルの言葉に冷め切った視線を向け、またすぐにテンションが極限まで高まっていく。とても正常な人間の情緒とは思えない。

 

 ──“プレイヤー”とは、一体何なのだろうか。


 それ以上の考察を巡らせる余裕はなかった。吹き荒れる魔力が収束し、ニバスの拳に纏わりついていく。最早、あれは幻覚のような小手先で生き延びてきた奴隷商人ではない。先日の“プレイヤー”よりももっと魔力が濃い。明らかにアベルよりも格上な人型の怪物だ。

 油断なく剣を構えながらも周囲の喧騒に耳を傾ける。まだ、遠い。すぐに兵団が合流してくれることはないだろう。アベル一人で、あれを抑え込まなくてはならない。


 できるのか。心も身体も弱々しいアベルに。


「違う、やるんだ……! 俺が、絶対に……!」


 弱音を吐きたくなる口はしかし、白髪の少女の泣き顔によって、決意を紡ぎ出す。それに成否なんて関係ない。闇雲であろうが、余計なお世話であろうが、目につく者を救いたいと願ったのならば。

 勝ち目がない敵であろうとも、命惜しさに引くわけにはいかない。


「いいなァ! やっぱりお前はいいよッ!! アバターに登録して良かったッ! さあ、英雄さんよ! “オレ”を……あっしを殺して、大事な人々を助けてくれよッ!!」


 怖気づいてしまうそうになる身体に鞭を打って、アベルは剣を片手に斬りかかった。

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