第9話 雷鳴

 早朝四時。あと少しで太陽が昇り始める時刻に。王都内でも治安の悪い一角を兵士の集団と、騎士の少年が闊歩していた。言葉を交わしつつも彼らの歩みには一切の迷いがない。

 既に決まり切った目標に向けて、ひたむきに進み続けている。


「にしても目立ってますねー。遠巻きにですけど滅茶苦茶に見られてますよ」


「そりゃあ、こんなスラム染みた地域の住民からしたら、俺たちは目の上のたん瘤だろうよ。変に警戒される前にさっさと待機場所に着くぞ」


 唯一の女性兵士が目を細めて、それにベテランらしき中年の兵士が答える。

 そんな二人の会話を聞き流しながら──救出作戦に加わっている少年騎士のカインは誰よりも早く先頭を歩いていた。


「カイン君、随分と張り切ってるじゃん。やっぱり被害者の安否が気になる?」


「……え? ええ、まあ、そんな感じです」


「やる気があるのは結構だが、空回りはするなよ」


「肝に銘じておきます」


 彼らの推測は間違ってはいないのだが、正確でもない。カインが上機嫌で職務へのやる気に満ちているのはただ少し、“良いこと”があったからだ。

 尤も、カインにとっては良いことでも、同行している兵士にとっては違うかもしれない。何しろ守秘義務のある情報を個人に流しているのだから。何なら懲罰房送りになっても文句は言えないだろう。


「でも……己が正しいと信じたことは躊躇わない。そうですよね、兄貴」


 要は最終的にハッピーエンドを迎えられれば良いのだ。少なくともカインはアベルの介入によって状況が善い方向に転がると信じて疑わない。結果的に人質は助かり、兵士たちにも被害は出ず、犯人グループを全員捕らえられるはず。

 だから、カインに罪悪感など微塵も湧いていなかった。


「ここが待機場所だ。全員、何時でも動ける準備を。目標の建造物も確認しておけ」


 人目につかない脇道。ただでさえ人気のないスラムの、更に薄暗い空間でカインたちは立ち止まった。作戦開始時刻まであと二十分ほど。定められた時刻に、カインたちは複数のアジト候補を一斉に叩く。

 本来ならば被害者の居場所を確定させてから救出に動くべきだったが、何しろ犯人グループも兵団の動きに敏感になっていた。あまり手をこまねいていては、どのような行動に出られるのか予想がつかない。


 故に複数の部隊に戦力を分散した、一斉制圧だ。犯人グループが対抗策を練る前に、速攻で片を付ける。


 肝心なのは速度だ。決行までの僅かな時間で、カインは全身の関節を軽く解きほぐす。身体の状態は上々、精神は最高潮。何も問題はない。目標地点を睨みつけて──


「時間だ! 全員、所定の位置につけ! アジト候補を制圧する!!」


 部隊長の号令と共に、カインたちは一斉に散開した。それぞれが建物を包囲するようにばらけ、手早く扉や窓を抑えていく。カインの立ち位置は裏口だ。全員が準備を終えたのを確認して、部隊長は正面入り口の扉を乱暴に叩いた。


「兵団だ! ここで違法な取引が行われている疑いがある! 捜査にきょうりょ……」


「……っ!? 下がってください!!」


 嫌な予感。それを裏付ける内部からの敵対心。それを察知して、カインは真っ先に警告の叫びをあげた。同時に腰の剣を自己判断で引き抜く。

 きっと兵士たちの誰しもが、その予兆を感じ取っていた。なのにカインだけが反応できたのは、予兆から発生までがあまりにも素早かったから。


 魔力の収束。それが魔法として形を成し、熱エネルギーへと変換される気配。その工程があまりにも早い。


「ごうぉおお──!?」


 カインから見て、建物の反対側。爆音が鳴り響き、恐らくは扉が内側から吹き飛ばされた。部隊長の心配はしない。間抜けな悲鳴こそ聞こえたが、決して弱くはない彼は警告がなくとも自力で回避していただろう。

 だからカインは裏口に向けて脚を振り上げる。相手が暴力に訴えてくるということは、こちらも遠慮はいらない。


「──わかりやすくて結構です」


 そして、暴力になればカインの得意とするところ。最近は良いことばかりだ。上機嫌なカインはニヤリと笑いながら扉を蹴破った。


☆ ☆


 ──英雄とは、人格破綻者である。


 どこかの学者が著書で書き記したこの言葉は、酷く侮蔑的な意味を孕んでいながらも多くの人々が認めている。そうでなくとは、有名なフレーズとして市井に広まっているわけがない。

 実際に英雄と呼ばれるような一騎当千の強者たちは皆、あまりにも独善的で自己本位な性格をしていた。


 何故、強者たちは自己本位なのか。高みに登り詰めるためには確固たる自己が必要だから。それも理由の一つだろうが、もっと具体的な原因が魔法学会では通説となっている。


 まず大前提として、魔法による身体能力の向上や奇跡の顕現は戦いにおいて重要な要因となる。そして魔法とは願いだ。

 曇りなき純粋な願望と、自覚さえ持てていない曖昧な願い。どちらがより強固に現実を塗り替えられるのか。討論するまでもない。


 ──つまり強者とは己の信念に疑いを抱かない人間のことなのだ。


 それが正しいのか、間違えているのか。関係ない。善行であろうと悪事であろうと、その願いを自覚し、一切躊躇わず、真っすぐに突き進むものだけが強者足り得る。


 故に英雄とは。人格破綻者であり、頑固者であり、時に殺戮者となり、己を一切省みない狂人である。


 そして、ここでも英雄の卵が一人、剣を引き抜いた。


☆ ☆


 砂埃が舞い散る中、裏口から建物に侵入したカインは煙幕の向こう側から無数の視線を感じていた。爆発によって視界が悪化しても、状況を把握できる装備を整えていたのだろう。

 兵団の制圧作戦に対して迷いのない反撃。その後の展開も対策済み。あまりに準備が良い。明らかにこちらの動きは犯人グループに察知されていた。


「隊長ッ! 裏口のカインくんが先走って……!」


「なに!? ああ、くそっ。全員、プランBだ!」


「……うるさいですね。相手に先手を取らせる方が問題でしょうに。皆さんもそう思いませんか?」


 冗談交じりな問いの返答か、煙幕を切り裂いて何かが飛来する。音と風の動きでそれをはっきりと知覚していたカインは──その弓矢を左手で掴み取った。


「ハッ! 乱暴ですねぇ──!!」


 あと一歩で脳天を貫いていた矢を投げ捨て、獰猛に笑って見せる。敵の数はさほど多くない。まずは爆発でこちらを動揺させ、煙幕に紛れたゲリラ戦法で戦力差を覆そうとしているのだろう。

 悪くない作戦だ。実に堅実で荒くれ者の人売りとは思えない戦い方だ。けれど、一歩足りない。圧倒的な個に対する対策を、怠っている。


 被害者女性の気配はない。このアジトは囮で、チンピラがいるだけだろう。ならば、民間人を巻き込む心配はなかった。


「悪人は、死んでも文句は言えませんよね」


 小さな宣言。カインは体内の膨大な魔力を練り上げ──雷となった。文字通り、カインの姿がブレて、人から電撃と言うエネルギー体に移り変わる。そのカインだったはずの雷が、一気に建物を覆い尽くすほどに広がった。


「────うが」


 悲鳴さえ上がらない。そこら中から人体が焦げる嫌な臭いが漂い、次々と倒れる音が響く。だが、腕に自信のある数人は雷撃に耐え抜いていた。全身を土で覆い隠して。或いは単純に魔力を纏うことで魔法による現実の塗り替えを拒絶して。

 圧倒的な範囲制圧を掻い潜る。けれども。


「──見つけました」


「……っ!? 後ろだ!」


 その雷はカインそのものだ。故に雷撃が通った全てを認識でき、電撃の通った全ての箇所にカインは存在している。

 拡散した雷がどうにか立ち続けていた男の背後に収束し、再び人の形へ。カインの姿へと回帰する。他の男が叫んでも遅い。土塊を纏って電撃をやり過ごしていた男が即座に対応できるはずもなく、カインは無遠慮に背中を袈裟斬りにした。


「ば、化け物かよ……ッ。そんな滅茶苦茶な魔法の使い方、怖くねえのか!?」


「化け物呼ばわりは心外ですね。慣れれば平気なもんですよ」


「何が慣れれば、だ。全身を純粋なエネルギー体への変換なんて、一歩間違えれば二度と元の姿には戻れねえ!!」


「その分、魂を……魔力の根源をそのまま攻撃に落とし込めますから。威力は折り紙付きでお気に入りなんです」


 適当に言葉の応酬を繰り広げながら、カインは眼前の男性を慎重に観察した。髪色はくすんだ青。筋肉質な身体つきで、歳は三十に届くかどうかと言った風貌だ。そして、強い。

 幅広のサーベルを二本。両手に構える姿には油断も隙も伺えない。見様見真似で振るう我流の剣技ではなく、確かに築き上げられた技術が根底にあるように感じられた。


 何より、カインの雷撃を魔法ではなく、純粋な魔力で防いだ辺り、明らかに戦い慣れている。

 魔法とは現実の書き換え。魂から溢れ出す魔力を持って、世界と言うキャンパスを身勝手に改変する奇跡である。故に書き換える傍から別の魔力絵の具を流し込めば、上手く現実を改変できずに魔法は不発する。意味のない絵となり、ただの魔力のまま終わってしまうのだ。


 しかし、だ。人間の心理として、無色透明な薄っぺらい盾と明らかに重厚な鋼の盾。どちらを構えたくなるだろうか。実際には耐えられるとしても、肉薄する死を前に冷静に魔力を纏う選択をできる人間が、どれほどいるのだろうか。

 それができる青髪の男はかなりの修羅場を乗り越えてきたはずだ。


「ったく、割に合わねえ。ちょっと地球人を回収するだけだったのによ」


「……ちきゅうじん、ですか。色々と聞きたいので、まずは気絶してもらいます」


「手荒だな、おい!?」


 再び雷となり男の背後へ回り込むと、魔法を解除して剣を振りかざす。直接の電撃が効かないのならば斬るだけだ。ちょっと血が吹き出すかもしれないが、殺さなければ問題ない。

 魔力を纏わせ存在強度が高まった剣が男に迫り、だがギリギリでサーベルに受け止められる。


「硬いっ! 刃ごと叩き切るつもりだったんですがねッ!」


「早すぎるだろ! ちくしょう、反応しきれねえ俺が嫌になる……!」


「しっかり防御……してるじゃないですか!!」


 剣を振りかざしたまま、雷となったカインはもう一度、男の死角へ。だが男は対応して見せる。一度目と同じように騎士剣とサーベルが火花を散らし、一瞬の拮抗を得てカインが消える。


「そんな手軽に使える魔法じゃねえだろ!?」


 カインの得意の戦法は、電撃化と斬撃による一撃離脱だ。敵の死角から切りつけ、防がれれば雷になることで隙をかき消す。弱者ならば最初の奇襲で、それでなくとも対抗策がなければ一方的に封殺できる。

 肉体の全てを一瞬とはいえ消失するのは、確かに恐ろしいことだ。きっとカイン以外に同じ芸当はできないだろう。だが、カインは自分が魔法の制御を失敗するとは夢にも思っていない。

 そんな傲慢なほどの自負が、魔法をより強固に、強力に、仕立て上げてていた。


「はあぁぁッ──!」


「ぐっぅ!? くそったれ!!」


「──!?」


 けれども。男もまた、弱者ではなかった。出現と同時、何度目かわからない斬撃を右のサーベルで受け止めると同時に、左のサーベルがカインに迫る。ギリギリで雷化が間に合うが危うく手傷を負うところだった。


 防戦一方ながらも、確実にカインの動きに順応し始めている。長引かせない方が良い。即決し、カインは雷化を解きながら男へと真正面から肉薄した。


「保有魔力までたっぷりかよ……! 嫌になるぜ!!」


 実力差は明白。ならば小細工などは不要。魔力の全てを剣へと集中させる。一時的に存在としての格が膨れ上がった刃を上段に構える。踏み込みは大地を割るほどに。振り下ろす一撃は雷よりも早く。

 それでも男は回避を試みた。サーベルごときでは防げないと判断し、必死に射程外から逃れようとした。しかし。


「カイン! 殺すなぁ!!」


 兵士たちが遅れて二人の戦場に乱入してくる。更なる戦力に気を取られ、男の動きが鈍った。それが、致命的だ。

 放たれた斬撃が男へ肉薄する。最早、回避は叶わない。咄嗟に差し込まれたら右のサーベルがチーズのようにあっさりと斬り落とされる。更にもう一本のサーベルもまた、容易く切断され──


「な──」


「悪いな。凡人は凡人なりに工夫するんだ」


 その直前。両断されたサーベルが眩い光を放ち、弾け飛んだ。金属の破片が飛び散り、カインは目元を庇いながら後退せざるを得ない。

 やられた。これは魔術だ。魂の願いを具現化する奇跡が魔法ならば、体系化された技術こそが魔術の本質。実現可能な現象は魔法とは比べ物にならないほど少ないが、その代わり誰が使用しても効果が変わらず、何より道具に予め仕込んでおくことができる。


 恐らくトリガーは得物の破損。戦闘において、圧倒的な不利が決定づいた瞬間に発動する。つまり──逃走用の術式だ。


「くっ……カイン! 敵はどうした!?」


「逃げられました! まだ近くにいるはずです!」


「わかった! 半数はここに残って気絶した連中を縛り上げる! 残りは逃げた男を追え! 青髪の男だ!!」


 隊長の号令に従い、すぐさま職務を遂行し始める兵士たち。そんな彼らを一瞥し、カインは男が最後に立っていた床を調べる。靴底の形で木の床がへこんでいた。

 魔力で強化した身体能力で、一気に駆け出したのだろう。ある程度の方向を予測し、再び全身に魔力を漲らせる。


「俺が一番足が速いッ! 追います!」


「待て! お前はここに……おい! 独断専行が過ぎるぞ!!」


 指揮下にこそいるが、カインは彼の部下ではない。だから、正しいと思う行動を突き通すだけだ。背中にかけられる命令を無視して、カインは走り出した。

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