第5話 裏切り者と裏切り者
これでもかと立ち込める紙の匂い。それに包まれながらルミはぐっと背中を伸ばした。周囲を見渡せば本と本と本と、たまに利用客が見える程度。
ルミは公共図書館で、自身の異世界転移について何かしら手がかりがないかと調べていた。
腰かける机の上に置かれたのは大量の本だ。けれど、一つ一つを確かめていっても、目的の情報は手に入らない。
元より時間がかかることは理解していたが、成果が乏しいと徐々にモチベーションは下がってくる。
「……はあ。やっぱり公共の図書館なんかじゃ大した情報はないよねぇ」
調べていたのは主に魔法と魔術、加えて小宇宙についての資料だ。世界を行き来する手段があるとすれば、魔法や魔術が真っ先に思い浮かぶ。
そして別の世界と言えば、この世界で度々出現する小宇宙が連想されるだろう。
世界の各地に次元の狭間として時折現れ、自然と消滅していく箱庭世界。内部の環境は様々で、過ごしやすい平原や海岸であれば、魔術で消滅を阻止しながら貴族の別荘に。希少な金属などを含むのであれば、同じく魔術で存在を維持しながら採掘場に。
そのような形で人間に利用されている。
だが、それらを異世界と呼ぶのは少し難しいだろう。小宇宙は本当に箱庭でしかない。さほど広くはなく、正に“小さな宇宙”でしかないのだ。
だからルミの異世界転移とはあまり関連がない気がする。
「魔術と魔法の本に絞ってみるかな……」
気晴らしのように独り言を零して。ふと視界の端に見知った顔が入り込んだ。この世界での知人など数える程度しかない。
未だ幼さが残る顔立ち。ややくせっ毛な金髪。近衛騎士団の若手騎士カインだった。
「……あなたは」
「やば」
視線を向けたのは一瞬だというのに、すぐさま振り返ってきたカインと目が合う。戦う者の勘だろうか。もう誤魔化すことはできず、ルミは小声で悪態を付いた。
正直、カインへの印象は良くない。アベルとの間に何があったのかは知らないが、恩人に明確な悪意をぶつけるのを見せられて好印象を向ける方が難しいだろう。
「奇遇ですね。何か調べ物ですか?」
「うん、まあ……そんなところ」
だが、ルミの内心などお構いなしに、カインはこちらに歩み寄ってくると声をかけてきた。
何故こんな場所にいるのだろうか。騎士なら治安維持にでも勤しんでいれば良いのに。
「ルミさんが仰っていた異世界の話なら……今、城の禁書庫の閲覧申請をしているところです。何か進展があったら連絡しますよ」
「え、禁書庫?」
意外な人物からの助け舟にルミは驚きの声を上げる。禁書庫とやらがどれほどの知識を蓄えているかは知らないが、公共図書館よりも重要な情報は眠っている可能性が高いだろう。
「というか、僕の言ってたこと信じてくれたの?」
「あの場ではあまり信用していませんでしたよ。ただ……状況が変わりました」
カインは事情聴取の際、あからさまにルミの発言を疑ってかかっていた。頭のおかしな女の虚言だと言わんばかりに。
だが、それが本来は正しい反応だ。遭難していた女性の本当は男で異世界の出身ですという発言を、そのまま信じてくれるアベルが良くも悪くも異常なのだろう。
強いストレスで精神が壊れてしまったと推測されても不思議ではない。
ならば、そんな常識的な受け取り方をしたカインが、今更になって信用した理由とは何なのか。
「別に箝口令が出ているわけではありませんが、あまり言い触らさないでくださいね」
「まあ、言い触らす友達もこの街にほとんどいないし」
「……ならいいです。あなたと同じ異世界から来たと主張する難民を、王国は大勢確認しています」
「え!?」
思わず立ち上がる。そのままカインに詰め寄ろうとして。ここが静寂がルールの図書館だと思い出した。席に座り直し、声のトーンを抑える。
長くなりそうだと判断したのか、カインも隣の椅子に腰を下ろした。
「そ、それで確認した人たちは……?」
「初めは身分証も持たない、頭のおかしな連中だと門前払いにしていたんですがね。昨日あたりからあまりに数が多く、難民キャンプを設立することが決まりました。身分証を持たない人間は現在、武装を解除したうえで王都の一角に収容しています」
「じゃあ無事なんだよね!?」
「少なくとも王都を訪れた人間は保護していますよ」
ほんの少しだけ、気が楽になる。この世界の国が、転移者を認知したうえで最低限の生活を保障してくれているのだ。もしかしたらライアンやルーシーたちもそこにいるのかもしれない。
そして、転移者について王都で噂になっていない理由がようやく理解できた。
ルミのように幸運にも現地民に保護してもらい、王都に踏み入れる転移者はほとんどいないのだ。大抵が入り口で追い払われ、保護が始まった後も民間人とは関わることなく隔離される。
通りで噂にならないわけだ。
「会いに行ったりすることは……」
「それは残念ながら許可できません。出所不明の難民を王都に招くこと自体、少し危険なんです。隣国の工作員の可能性もありますからね。外部との接触は完全に断たれています」
「そ、そっか……でも王国が動いてくれたってことは」
「少なくとも個人での調査よりも確度のある情報が集まるでしょうね。ルミさんが置かれた状況に関しても、何かしらわかることがあるかもしれません」
すぐに何かが解決することはない。だが、いずれは何かしらの手がかりが発見されるだろう。先行き不安だったところに光明が差した気分だった。
二度と元の世界に帰れないのではないか。元の身体に戻れないのではないか。友人たちと根性の別れになってしまったのではないか。静かに心を蝕んでいた不安が、ほんの少し解消される。
「良かったぁ……っ。でも、それなら僕一人が調べても無駄足かな」
「そうかもしれませんが、当事者のルミさんだからこそ発見できる何かがあるかもしれない。それにこの世界の人間じゃないのなら、帰るまでの間の生活のために勉強しておくことも大切では? 文化の違いなども大きいでしょうし」
「うっ……確かに」
真面目腐った顔で正論を叩きつけられ、ルミは苦笑しながら肯定する。明らかに年下──現在の少女の身体から見ても尚、年下である──の少年に諭されるとは。
再三繰り返すが、カインの第一印象は最悪だった。けれどこうして二人で話してみれば、彼が悪人でないのは明白だ。
何処か不愛想な口調。わざわざ騎士団の情報をルミに話してくれる気遣い。その二つはどこかルミの知る青年に似ているような気がする。
「わざわざ教えてくれてありがとう。おかげで少しは安心できるよ」
「どういたしまして。まあ騎士足る者、困っている方には手を差し伸べるように教えられてきたので」
「……それを教えてくれた人は立派な人間だったんだろうね」
カインの眉がピクリと動くのを、ルミは見逃さなかった。想像が確信に変化していく。
今から口にしようとしていることは、お節介なのかもしれない。余計に彼らを傷つけるだけで終わるかもしれない。それでも、本来ならば優しいはずの二人が険悪な関係を築いているのを、黙って見てはいられなかった。
口の中が乾燥するのを自覚しつつも、言葉を紡ぐ。
「だったらさ、他に困ってる人もいたよね」
「どこにですか? 少なくとも手の届く範囲には……」
「──アベルだよ。カインくんにあんなこと言われて、凄い困ってたよ」
「…………」
黙り込む少年騎士。彼の瞳に明確な拒絶と憤怒が宿る。はっきり言って、少し怖い。ずけずけと言葉を発するカインには年の差に関係なく、気圧されそうになる迫力があった。
それでも、歯を食いしばって視線だけは逸らさない。
「兄貴だけは、例外ですよ。……先に困らせたのはあっちです。俺の言葉で困って、少しでも自分の行いを悔めばいいんじゃないですかね」
「でも……」
「でも、何ですか?」
有無を言わさぬ怒気。静かで短い言葉なのに、ルミの口を強制的に閉ざさせる。
「優しいあの人が俺を困らせるわけがないと? ええ、そうでしょうね。そう思うでしょうねッ。兄貴は優しくて、困ってる人間を見たら助けずにはいられなくて……!」
心の奥底に眠らせていた激情が僅かに溢れ出す。ルミに刺激されたことで言葉となって形作られる。
「──だったらどうして、騎士にならない? 少なくとも開拓者なんかより、よっぽど人助けができる仕事のはずです」
「それ、は……」
「一緒に騎士になろうって約束したのに、どうして……?」
確かに不思議だった。
人の盾となり剣となる騎士は、誰かを守るための戦士だ。寡黙ながらも心優しいアベルにはぴったりの職業だ。実際、カインの口振りからして、一度は目指したのだろう。
なのに、どうして騎士にならないのか。目指すことをやめてしまったのか。
「……理由があるんじゃ」
「だったら話してくれればいい。俺だって説明してくれれば納得します。でも、兄貴にどうして王国試験を受けないのか聞いても、何回聞いても……誤魔化されるだけだった……!」
それもまた正論だった。正直に話せば良いのだ。ただそれだけでカインは納得しただろう。少なくとも当時ならば。
「でも、君がそんなんじゃアベルだって話しにくいでしょ……? もう少しだけ……」
「知りませんよッ! 兄貴が俺に頭を下げてきたら考えないこともありませんがね」
子供の癇癪。そうとしかルミには思えなかった。大人びているカインの唯一、年相応な我儘がそこにはあった。
「大体、何なんですか? 部外者がわざわざそんなことを聞いて?」
「部外者でも、あんな喧嘩を見てたら放っておけないじゃん!」
「はっ。ずいぶんなお人好しですね。どうしてわざわざ、他人の人間関係を治そうとするんですか?」
「どうしてって……」
何か言葉を発しようとして、ルミの小さな口は何も話してはくれなかった。だって自分でも回答が見つからない。どうして、ルミは彼らの関係性に口を出そうと思ったのだろう。
何となく見過ごせなかったから。
恩人へ少しでも恩返しをしたかったから。
誰もが笑っている世界を見たいから。
どれも違う。思いつかない。思えば、悪魔と戦った時もそうだ。どうしてルミは誰かを助けようと──
「兄貴なら」
「アベル……?」
「兄貴なら、どうして人助けをするのか即答しますよ」
彼に向ける憎悪とは正反対な、全幅の信頼に後押しされた発言だった。
次に紡ぐべき言葉が見つからないルミの前でカインは立ち上がり、背を向ける。
「二度と兄貴について聞かないでください。余計なお世話です」
「そ、そんな言い方……!」
「──自分の行動の理由すらわからない人間に。自分の理想すら自覚できない人間に。説教なんてされたくありません」
もうルミの声は届かない。頑なな少年騎士を呼び止める方法なんて知らない。
「異世界について何かわかったら連絡するので、それだけはご安心を」
「…………」
「では」
業務連絡のように言い残し、カインは図書室を後にしていった。酷く重たい心と体だけが置いてけぼりにされて、ルミは静かに己の手のひらを見つめる。
「自分の行動の理由、か」
そんなこと、初めて言われた。ルミの──真雪の人生と言えば、幼稚園に通い、小学校に通い、中学校に通い、何となく自分に見合った高校に合格して、何となく少し頑張れば入れる大学へ進学してきた。
そこに何か理由を探したことなんてない。ただ“それが当たり前だったから”やってきただけだ。
考え出せばキリがない。現在だって、どうして元の世界に帰ろうとしているのだろうか。内定が取り消しにされてしまうから、友人や家族を心配させたくないから。いくらでも後付けの動機は作れる。
けれど、はっきり帰りたいと願う大きな理由は、思い浮かばない。
もしかしたら元の世界に帰ろうとしているのだって、ただ何となくでしか──
「いや、やめよう……」
これ以上は深みに嵌りすぎる。頭を振って、意識から追い出した。とにかく調査を続けるべきだ。次の本を開いて目を通していく。
カインとアベルの関係が少しでも改善すれば良いと思ったのに、逆に新たな悩みを抱えることになってしまって。
結局、その日の調査では、何も手がかりを得ることはできなかった。
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