第8話 “プレイヤー”
現代日本人にとって、殺し合いとは遠い世界の話だ。
だからこそ娯楽として、フィクションのそれを求める。命の奪い合い。それに伴う信念のぶつかり合い。お互いがお互いの人間性を剥き出しにして吠える、喜劇や悲劇。
実に面白い見世物だ。それが作り物であればの話だが。
「が、頑張れ……」
街道から少し逸れた草むらの中。ルミは目立たないように地面に伏せながら、遠巻きにアベルとハゲ頭を見つめていた。付近には壊れた馬車と、血に沈みピクリとも動かない人々が倒れており、ハゲ頭の凶悪さを静かに示している。
そんな凄惨な光景の中心で、彼らは剣だけでなく腕を、脚を、全身を余すなく使って相手の命を奪ってやろうと戦いに身を投じていた。
これが映画のワンシーンであれば、固唾を呑みながらも興奮と共に結末を見届けただろう。しかし、これは作り物ではない。本当に生きている人間と人間が、本気で行う殺し合い。そこに苦痛はあっても、熱狂などありはしなかった。
「よしっ!」
だが、思わず声をあげてしまう。アベルのアッパーカットが殺人鬼に突き刺さり、大きく頭部を揺らして見せたからだ。気絶まではしなくても、意識を朦朧とさせられるはず。
なのに、ハゲ頭の男は平然と動き続けていた。まるでアベルの攻撃など、全く効いていないと言わんばかりに。
「なんで……? 確かに顎を打ったのに」
ルミにとって、脳震盪の話はあくまで聞きかじりの知識だ。実際には顎を殴ったところで意識が朦朧とすることはないのか。それとも本当に効いていないのか。考えても答えは出ない。
できることは彼の迷惑にならないように息を潜めることだけで──
「カワイ子ちゃん発見~」
「……え?」
生理的な嫌悪感を抱かせる、醜い男の声。茫然と振り返ると、骨と皮しかないようなガリガリの男性が舌なめずりをしていた。
「ひっはぁ!!」
「いぁっ!?」
横腹に鋭い痛み。何が何だかわからないままに平原を転がる。呼吸が上手くいかない。苦痛に涙が溢れてくる。
悪魔との死闘を経験したとはいえ、ルミの精神面は現代日本人のままだ。喧嘩さえ慣れていないルミには、蹴り飛ばされた痛みだけでも冷静さを失うには事足りてしまった。
「ひっひっひっ。そうだよなぁ。このマップにしてはレベルが高い中ボスなんだ。正攻法じゃない攻略法があるよなぁ」
「ひぃ……!? あ、アベル、たすけ……!」
「例えば、人質作戦なんてどうだぁ?」
うつ伏せのまま起き上がることもできずに、背中を踏みつけられる。身動きができない。ちょっと運動神経が優秀なだけで、技術も何もないルミに脱出は困難だった。
まずい。本当にまずい。アベルとハゲ頭が戦う音は今も届いている。つまりルミに牙を剥いているのは別の殺人鬼だ。助けは来ない。
「動くんじゃねぇぞぉ?」
「わ、わかったっ。言うとおりにするから……!」
「良い子だねぇ。まずは手首を縛って」
自由を奪われても尚、抵抗できるほどルミは豪胆ではない。震える声で絶対服従を宣言する。
満足げに笑うガリガリの男。彼はルミの細い手首に触れた。これもまた魔法の一種なのだろうか。初めからそうであったかのように縄が現れ、ルミの両手首を背中側で縛る。
「あらぁ? 現実改変が妙に遅いなぁ」
「……っ」
「ん~? なんでだぁ? 少しだけど抵抗されてる?」
何が気に触れるかわからない。ルミは悲鳴だけは出すまいと、縮こまることしかできない。
わかるのは、視界の外で男が唸り声をあげて悩んでいることだけだ。長く長く、ずっと彼は思考を巡らし続けているようで。
「あれぇ? ──もしかして君、プレイヤー?」
「ぇ……?」
一つの回答を確かめるように投げかけられた疑問は、若い少年のような声だった。音の発生地点からして、ガリガリの男が話していることには違いない。なのに先ほどとは全く異なる声と口調が聞こえてくる。
「NPCじゃないよね? 妙に存在強度が高いし……」
「君は一体……?」
「“ボク”はプレイヤーさ。二重操作でレベリングしてたんだよ。いやごめんね。まさかNPCと一緒に行動してるとは思わなくてさ」
まるでゲーム上のチャットような気安さで。少年の声はルミに語り掛けてくる。
「本当にごめんよ。一緒に行動してた黒髪の剣士はペットか何か?」
「あ、アベルのこと? ペットって……違う。命の恩人だよ」
訳がわからない。未知とは恐怖だ。痛みや死とは異なる恐怖を必死に抑え込みながら、ルミは振り返った。手首の拘束はいつの間にか外れている。
立ち上がり周囲を見渡しても、いるのはガリガリの男だけ。少年らしき姿は見当たらない。
「命の、恩人?」
「そ、そうだけど……何か変だった?」
明らかに男の口元の動きと、少年の声が発せられるタイミングが一致していない。吹き替え版の映画のような喋り方だ。気味が悪くて、一歩後退してしまう。
「ふーん」
「あ、あの……」
お世辞にも整っているとは言い難い、それどころか清潔感の欠片もない三十路の顔面が間近に迫る。表情を歪めても尚、彼はじっとルミを細い瞳で見つめ続けていた。
逃げる、べきだろうか。大声をあげてアベルに状況を知らせ、とにかく捕まらないように逃げる。下手に友好的な態度を取ってきたせいで、どう対応すればよいのかわからなくなってしまっていた。
「君、さ」
「は、はい?」
「NPCじゃないのは間違ってないね。やっぱり魂とアバターが完全に同調してない。でも、遠隔操作じゃなくて、魂が癒着してる。それに……NPCほどじゃないけど、プレイヤーにしては存在強度が低い」
「何を言って……」
「わからない? ああ、そうだね。何を言っているのかわからないのなら、それが答えだ」
瞳の色が変わる。ガリガリの男の意思が舞い戻ってくる。表に出ている気配が、彼の背後にいる何かから、見た目そのままの魂に切り替わって。
瞬間、ルミは踵を返した。全速力で逃走を狙う。ここ以外に、チャンスはないという判断。しかし──
「あべ……」
「逃げるんじゃないよぉ、お嬢ちゃん。人質作戦、再開と行こうかぁ!」
それを男は許してくれなかった。ルミが逃げ出すことも想定済みだったのか。手首を掴まれると男の元へ引き戻され、そのまま口元を叫べないように押さえつけられた。
「んー!? うぅっ……ひ……っ」
「大人しくしろよな? じゃないと、こんな細い首なんて簡単に切り裂けちまうぜぇ」
冷たい金属の感触。首筋に鋭利なナイフが添えられていた。死ぬ。殺される。男が少し刃を引くだけで、ルミは殺されてしまう。
あまりの恐怖に奥歯は噛み合わず、がくがくと震え出した。足腰が覚束なくなり、とてもではないが抵抗する選択肢が思い浮かばなくなる。
「よし歩くぜい。あっちの“ボク”の元に行かないとなぁ」
「ぅっ……うぅ……」
促されるがままに歩き始める。恐ろしい。だが、それ以上に情けない。
アベルの足だけは引っ張らないと心に決めていたのに。まんまと殺人鬼に捕まってこのざまだ。一体どのような顔をして彼の元に赴けば良いのだろうか。
頬を伝わる涙に気づいた。情けなさが重なっていく。男の癖にただただ足を引っ張り、泣くことしかできない自分が情けない。
本当の本当に、情けなかった。
☆ ☆
「……っ」
アベルがハゲ頭の男を地面に叩き伏せ、何やら尋問している。一体どのような会話があったのだろうか。必死の形相になったアベルが短剣を振り上げた、その瞬間。
「やめときなぁ! この嬢ちゃんがどうなってもいいのかぁい?」
ルミを押さえつけるガリガリの男が、喜悦を隠しもせずに叫んだ。
短剣を振り上げた姿勢のまま、アベルがゆっくりと視線をこちらに向ける。首元にナイフを突きつけられ、身柄を拘束されたルミと視線が絡む。彼の瞳に後悔と絶望が浮かぶのが、はっきりとわかった。
「……!! しまっ、た」
「ご、ごめん。足手纏いにはならないって、言ったのに……っ」
ルミのせいだ。ルミのせいで状況が悪化した。それなのに、ただ涙を流して謝ることしかできない。
「その子から手を離──ッ!?」
「俺のことを忘れるなよッ! 寂しいじゃねえか」
義憤に満ちた表情で叫ぶと同時。押さえつけられていたハゲ頭の男が、一瞬の隙を突いてアベルに肘鉄を喰らわせた。体勢が崩れ、押さえが効かなくなったチャンスを男が逃すはずがない。
すぐさまアベルを蹴り飛ばし立ち上がる。地面を転がった彼を、そのまま逆に拘束しようとして──
「な、めるなぁ!!」
けれど、ただ許すアベルではなかった。体幹と足の力だけで起き上がり、勢いのままに頭突きを叩きつける。ハゲ頭とアベル、双方の額がぶつかり合い、双方の顔に苦痛が浮かぶ。
だが仕掛けたアベルの方が復帰は早い。追撃はしかけずに、手にした短剣を構えたまま距離を取るように飛び下がった。
ちょうどアベルを挟んで、ハゲ頭とルミたちが向かい合うような状況だ。血生臭さに塗れた中で、殺人鬼の二人は笑い、アベルは苦しげに歯をかみしめ、ルミは恐怖と情けなさに涙を流す。
「助かったぜ、“ボク”。これで形勢逆転だ」
「ひっひっ、任せろよ。“ボク”と契約したよしみだろぉう? それに、ゲームはクリアを目指すものだからなぁ」
「なん、なんだ……? あんたらは」
「NPCには理解できねえよ。お前らは玩具でしかないんだからな」
単語の意味は理解できるのに、文章として上手く認識できない。得体の知れない不気味さにアベルは顔を顰めていた。
ルミだって同様だ。プレイヤーと名乗り、アベルをNPC呼ばわりする様子だけ見れば、『Drain Universe Online』の世界に転移してしまった日本人のようにも思われる。だが、彼らからは困惑を感じられない。自分の意思でここに立ち、無差別な虐殺を行っているのは間違いないだろう。
だから理解できない。プレイヤー。NPC。二重操作。殺人を“レベリング”と宣う異常性。
まるで画面の向こうからゲームを楽しんでいるような振舞いにもかかわらず、彼らは確かにこの世界が生きていることを認識している。そうでなければ、ルミはともかくアベルと会話するはずがない。
設定されたメッセージしか話さないNPCだと本当に思っているのならば、言葉を投げかけるはずがないのだ。
彼らはアベルも、血の海に沈む人々も、皆が自分の意思をもって生きていることを知っている。その上で、ゲームに興じるかのように殺していた。
「さぁて、どうするかねぇ」
「さっさと要求を言え。その代わりにルミを、その子を解放しろ!」
「へへっ、女の子想いの素晴らしい人格者だなぁ。でも、どうしようかなぁ?」
「ひぃっ……!」
「──ッ! これ以上彼女に何かしたらあんたの首を跳ね飛ばしてやるぞ!?」
切られた。皮一枚を切られただけだ。けれど、自分の首元から鮮血が滲んでくるのを確認してしまった。このガリガリの男の気分次第でルミの命はない。
動けなかった。何もできなかった。どんな行動でも彼の気分を害し、死に繋がるようにしか思えない。その恐怖がルミの身体をこれ以上なく麻痺させていた。
奥歯が割れるのではないかと、本気でそう思わされるほどに、アベルの表情に怒りが湧き上がっていく。
「良い顔だ。最高のエンタメだぜぇ……! だったら──抵抗するなよぉ?」
「くっはははははぁっ!」
「ぐぁ……っ」
ハゲ頭の男が、アベルを大振りでぶん殴る。咄嗟に反撃しようと短剣を構えるアベルだが、人質に取られたルミを一瞥して──無防備に再び拳を受け入れた。
「コンボ練習にちょうどいいぜ! おらおら、ちゃんと立ってろよ!? 倒れるんじゃねえぞ!!」
「ぐ、ぉそ……っ、たれ……!」
「あ、アベルっ!!」
殴られる。顔も腹も、全身のあらゆる場所を。アベルは一切の抵抗なく殴られ続ける。残虐な光景を前に息を呑むルミと対照的に、ガリガリの男は気味の悪い笑い声をあげて見せていた。
「けひひっ。悪役ムーブってのも楽しいなぁ! なあ、嬢ちゃんのせいだぜぇ? 嬢ちゃんがまんまと俺なんかに捕まるから、あのNPCはボコボコにされてるんだぁ……!」
「……っ! や、やめてくれよ! どうして、こんなこと!?」
「レベリングって言っただろぉ。経験値をだな」
「痛めつける理由にはなってないッ! 経験値が欲しいなら……そもそもこれはゲームでもなんでもないけどっ、魔物とか動物を狩ればいいだろ!? なんでわざわざ人を……」
「…………」
激情が僅かに恐怖を上塗り、ルミは怒りのままに吠えた。そんな少女の言葉を受けて──再び別の何かがガリガリの男の表層に現れる。彼の姿のまま、別の誰かが会話を引き継ぐ。
「君、どういう立場? ゲームが何かを理解してるよね」
「僕だって知りたいよ……! ネトゲで遊んでたら急にこの世界に飛ばされただけで、何もわかっちゃいないっ!」
「へぇ。偶発的な事故、にしてはおかしいな。本人に自覚がないってことは……この世界に原因があるか。全く、ただ第四の壁を壊せば面白いってわけでもないのに」
やはり言葉の意味をはっきりと咀嚼することは叶わない。この世界をゲームとして扱う姿勢はともすればルミと同じ立場にも思えるのに、致命的なところで差異がある。
何よりも、見た目通りの男の人格と、裏側で話す少年の人格。二つの意思が共存している姿は歪で悍ましいものだった。
「ゲームマスターにでも確かめないと君の状況はわからないかな。まあ、安心してよ。あっちの中ボスを倒したら君は解放するから。PKは趣味じゃなくてね」
「僕のことなんかいいっ……! すぐにあっちのハゲ頭にアベルを殴るのをやめさせて!」
「うーん。なんであのNPCに固執するの? 別にいいじゃん。中ボスだったとしても、所詮は低次元的存在だよ」
「NPCなんかじゃない! 君たちに殺されたあの人たちも、アベルも、確かに生きてるだろ……! ゲーム扱いなんてするな! この世界はもう現実なんだ!」
恐怖を噛み殺しながら主張する。どんなに情けなく涙を流しても、これだけは譲れない。
ルミを助けてくれたアベルも、集落の宿で接した住民たちも、今感じる命の危機も。何もかもが本物だ。この世界とルミたちが遊んでいたゲームに酷似していようと関係ない。
──“真雪”が“ルミ”になって立っているこの世界は、確かに生きている。
「だから、もうこんなことはやめてよっ! 遊びたいなら誰の迷惑にもならないようにしてくれ!」
「……おかしい、ね」
「何が……?」
「“ボク”にとっては、この世界なんてただの遊び場だ。ろくな知性もない生き物を狩ったり、世界を壊して遊んでるだけだよ。君たちと同じさ」
違う。同じわけがない。少なくともルミは無用な虐殺など好まない。
「どこが同じなんだよ!? 僕はこんなこと……」
「同じだよ。だって君、動物なら殺していいと思ってるでしょ?」
言葉に詰まる。迷いながら紡ぎ出された意思では、恐怖に打ち勝ち音にすることは叶わない。だって、動物でも狩っていろとは、ルミ自身が発した言葉なのだから。
「考えたことないの? この世界の魔物や動物には、人間みたいな知性があるかもって。“ボク”は……考えたことなかったな。この世界のNPCにまともな知性があるなんて」
「そんな詭弁で正当化を……っ」
「確かに詭弁かもね。でも、“ボク”はNPCなんかに人権があるとは思い付きもしなかった。だから倒して遊んでた。君だって、動物に人権があるとは思わなくて、代わりに倒されても良い存在だと思ってたんだよね」
吐き気がする。この男を、少年を、決して肯定してはならない。それは彼が邪悪だからではなかった。彼の主張に、同意できてしまう部分があるからだ。
ゲームで遊ぶプレイヤーの中で、敵を倒すことに疑問を抱く人間がどれほどいるのか。多くのプレイヤーは当たり前のように敵NPCを虐殺し、レベルを上げて、ボスを倒す。ただ娯楽のためだけに。まさか電子データに知性があるとは考えもせず。
彼も同じだ。話のスケールが違うだけで、口にしていることは同じだ。ルミにとっては生きているように見える世界でも、少年にとってはゲームのために用意された箱庭でしかない。そこで敵を倒すことに、疑問が介入する余地は一切存在しない。
彼は遊ぶように人を殺して回っている。
「正直、君のセリフなんかも“ボク”にはそういう演出に思えて仕方がないんだ。アバターとしてロールプレイするならともかく、こうやって自分の言葉で会話するのは奇妙な感覚だよ」
「君は、何なんだよ……っ!?」
悍ましい。恐ろしい。ルミが間違っていた。中途半端に同じゲーマーのような単語を操るせいで錯覚を起こしていた。
彼は何も誤認していない。この世界がゲームだと思い込んでいるから虐殺しているわけではない。生きていると理解したうえで、虐殺を決行する異常者でもない。少年にとっては──この程度の世界は生きているとは言わないのだ。
ただ人の形をした玩具が、高度なAIで会話のような何かをしているだけ。それに応じるのは、全力で世界観に没入し遊ぼうとしているから。少年にとって、それだけのことだ。
その価値観に基づけば、“ルミ”さえもこのゲームを面白おかしくするための演出の一つでしかない。
「さっきも言ったでしょ」
ガリガリの男が笑う。歯を剥き出しにして、屈託のない表情を作り出す。その姿に無邪気な少年の姿が透けて見えた気がして。
「──“ボク”はプレイヤーの一人さ」
実に楽しげに、そう名乗った。
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