第45話 雷迅と屈狸

 エペ使いは斃れた。マルーシャたちは逃れた。


 ライニック達ゴジャール軍の前には、ねる子たち三人しかいない。


「そうか。お前たちが、耶律唯忠理やりつゆたり様が言っていた者たちか」

 ライニックがめつける。

「ならばあのような雑魚ども、取り逃したとてなんてことはない。我々の目的は、お前らを討つことだ」

 横道を押さえていた別働隊も戦場に近づき、ねる子たちを圧迫した。

「後ろにだけ退路を与えてやる。怖ければ逃げろ」

 挑発のつもりだろうか。ブラフなのか。

 しかしもとより、ねる子たちにはただの一片も逃れる気はなかった。

「私とねる子ちゃん、そして若返ったおばあさまを相手では」

 ヨシルは腰を落とし、弓の如くを右腕を引いた。

「あなたたちでは力不足です!」

 そして勢いよく拳を突き出す。

 拳が生んだ衝撃波が突風を呼び、さらなる衝撃波を生んでゴジャール兵たちの前で爆ぜた。一瞬にしてゴジャール軍の陣が吹き飛ばされた。

 並の兵なら、これで全滅していただろう。

 だが、ゴジャール兵は違った。

 戦闘不能になったのはせいぜい数人で、多くの兵は爆風を受け流して倒れもしなかった。

「ふふ、そうでなくては、面白くありませんからね」

 精鋭中の精鋭だ。前哨を任されるだけはある。

「ヨシルさん、チェルシーさん。兵士は任せます。私はあのライニックという将と戦います」

「嬢ちゃん、思いっきりやっておいで!」

 チェルシーの魔法が戦場に火炎を呼び出したのを見届けると、ねる子はふたたびライニックの方に向き直った。


「こんなところで日本じっぽんのシノビに会うとはな」


 ライニックは口角を歪め、油断ない視線でねる子を射る。

「シノビを知っているのですか?」

「私は二百年前、大元だいげんが日本を攻めた軍にいたのだよ」

「まさか、元寇に…?」

 ライニックは不敵な表情のまま頷いた。


 元寇とは約二百五十年前、ゴジャール帝国こと大元帝国が日本に襲来した戦いのことである。


 当時の大元帝国は、中国南部を支配する南宋攻略を東アジア統一の最終事業として位置づけ、執拗に攻撃を続けていた。

 だが南宋の抵抗は粘り強く、大元の猛攻をしのいでいた。


 そこで大元は南宋と結ぶ日本を服従させ、南宋を孤立させる策を考えた。

 大元は日本が南宋を支援しているから、南宋が屈服しないと考えたのだ。


 大元は「通商」という名目で日本とコンタクトを取った。

 だが、大元のいう「通商」は、臣従を求めていると南宋から聞いて知っていた日本は、早々に大元との交渉を打ち切り、迎撃の用意をはじめた。

 大元は日本をたかが極東の小国と侮っていた。

 だが、日本は南宋から得られた情報を元に策を講じ、さらには死を恐れない鎌倉武士の決死の活躍によって二度にわたる攻撃をはねのけ、大元の大軍をほぼ全滅に追い込むことすら成功した。


 元寇は、日本の大勝であった。


 元寇は日本人のアイデンティティーに様々な影響を与えた。特に外交的に強気な傾向となり、同時に神風信仰による新たな国家観が生まれるきっかけにもなった。


 ともあれ元寇という出来事は、ねる子にとっては歴史絵巻の出来事だった。


 だが、目の前にいるライニックは、その伝説的な戦いに参加したという。

 ライニックが東方由来の装備をしていたのは、このような理由があったのか。


「大元にいたあなたが、なぜこの地に?」

「ムステラ・ハン国に嫁ぐ大元の姫君の護衛のためだ。護衛を終えた私は、耶律唯忠理様に乞われザナドゥに定住することになった。嬉しい誘いだ。また

 ライニックは、意味ありげにニヤリと笑う。

「!? それはどういうことですか!」

「さあな。おしゃべりはここまでだ。私は、勝つためには手段を選ばん日本人が苦手だ。そして恐怖する。シノビよ、私はお前が少女だろうと容赦しないぞ」

 ライニックは、バイドゥが入った鉄かごを床に落とした。かごには鎖がついており、その端はライニックの左手に握られていた。


「望むところです!」


 ライニックは、右手の諸葛弩をねる子に向ける。

 ねる子も手刀を構えた。


 衝撃波と魔法の爆発音。そしてゴジャール兵の怒号と鬨の声。

 戦場は轟音のるつぼにあったが、ねる子とライニックの間だけは、ひたすらに静謐せいひつであった。


「行くぞっ! シノビ!」


 気合いを吐いて先に動いたのはライニックであった。


 射撃は先制攻撃にこそ価値がある。

 間合いを詰められる前に、相手を仕留めるか、戦力をそぐことこそ意味がある。


 ならば。


 ねる子は床を蹴り、真横に飛んだ。


 ライニックが放ったボルトがねる子をかすめる。


 射撃は横の動きに弱い。弓兵に狙われた時は、ジグザグに動くのが定石だ。


 ねる子は壁を蹴ってライニックとの間合いを詰める。


 だが。


 ライニックは読んでいた。ねる子の飛んだ先にボルトを放って牽制すると同時に、その背後に鉄かごを投げていた。


(予測射撃!!)

 

 鉄かごの中の百度バイドゥは触手を伸ばし、ねる子に電撃を放ってくる。


 右にも左にも避けられない。壁を蹴った勢いで、伏せることもできなかった。


 ならば。


 ボルトを手刀でたたき落として床に転がり、その勢いを借りて雷撃もかわした。

 そして再度床を蹴り、ライニックに向かって飛び込んだ。


 しかし。


 ライニックは後ろに飛び退き。諸葛弓の下に隠されていた暗器を放った。


 それは、反射革リフレクトレザーと呼ばれる、小さな円柱状の革袋だ。


 リフレクトレザーは、壁や床に当たると革袋内に仕込まれたバネが作動し、文字通り跳ね返る。

 その際、バネの作用で両刃の刃が飛び出て、敵や獲物を仕留める。


 ライニックが放ったリフレクトレザーは三発。

 バネの反発力で勢いを増したリフレクトレザーが、異なる方向からねる子を襲う!


(こんな武器までっ!)


 全てを避けきることはできなかった。

 リフレクトレザーの一つが、ねる子の左腕を深く切り裂いた。


「ツッ!」


 ねる子は痛みで失速し、ライニックには届かなかった。

 痛みでうめくねる子に向けて、再度ボルトが撃たれた。


 いくらなんでも、射撃間隔が短すぎる。

 ライニックの諸葛弩は魔法的な強化が行われているのかもしれない。


 とっさに背中の刀を抜き、ライニックの方に投げた。


 当てるつもりはなかった。

 こんな早さで弩を撃たれては、どうやっても近寄れない。おまけにバイドゥまでいるのだ。


 一瞬でもいい。ライニックの射撃を止めたかった。刀を投げられれば、ライニックも避けるしかない。


 その、一瞬の隙が勝負だ。


 猛禽のようなねる子の目は、その時のために、その一点だけに向けられていた。


 不意に投げられた刀に驚き、ライニックが射撃を止めた。


 今だ!


 ねる子は這うほど態勢を低くすると、低空飛行でライニックに迫る!

 高揚したが、左腕の痛みを感じなくさせていた。


「シノビなら、それくらいはやるだろうよ!」


 ライニックは鉄かごのバイドゥをねる子に叩きつける。


クーチ!」


 クーチと名付けられたバイドゥは、触手を伸ばして電撃を乱射した。


 すさまじい弾幕だった。もう、避ける隙さえない。


 被弾は甘んじて受けた。体中に雷撃がもたらすしびれが襲う。

 だが、ここで怯んでは、


「ヤアアアアアア!!」

 

 電撃がねる子の黒衣を引き裂いていく。ねる子は雄叫びをあげて、痛みに耐えた。


 ライニックがダンジョンで使うにふさわしくない諸葛弩を携え、前線で戦える理由は、まさにこのバイドゥにある。


 接近された場合、バイドゥに前衛を任せ、その後ろから諸葛弩を撃つ。

 これは、チェルシーを護衛するヨシルと同じ関係だ。


 だから、かごの中がバイドゥと分かった時、ねる子はライニックの戦術が読めたのだ。


 しかし予想外の事もあった。

 おそらく幼体固定されたであろうこのバイドゥは、成体以上に攻撃的であり、敵の存在に気づくとすさまじい速度で雷の弾幕を張る。


 ライニックが長い年月をかけて、そう調教したのだろう。


 クーチ、すなわちフォースと呼ばれるバイドゥの力を、ねる子は甘く見積もっていた。


 だが、それもこれまでだ。


 ねる子は懐から紙包みの炮烙玉ほうろくだまを取り出した。

 そしてこれを、バイドゥにぶつける。


 ドーンと派手な爆発音が発生し、その一瞬だけクーチの弾幕が途切れた。


 その隙を狙い、右の手刀で鉄かごを繋ぐ鉄鎖を切り飛ばした。


 制御不能となったバイドゥの鉄かごは、慣性を伴って宙を飛び、やがて床に転がった。


 ねる子の目が光る。


 ライニックに肉薄すると、左手で手刀を落とす。ライニックは咄嗟に諸葛弩をかざし、その手刀を防がんとする。


 しかし、ねる子の手刀は軽々と諸葛弩を真っ二つにした。


 ライニックは、何かを言おうと口を開いた。


 しかしそれは、言葉にならなかった。


「その首、頂きます!」


 ねる子はすかさず、右手を水平に薙いだ。


 だが、ねる子の手刀は、むなしく空を切った。


 ねる子の手刀が首筋に届く直前、ライニックの姿は光を放つと消えてしまった。




 将の敗北を知ったゴジャール軍は、各隊の指揮官が兵をまとめ、撤退を開始した。

「追う必要はあるまいて。ワシらの勝ちじゃ」

 チェルシーが言ったので、戦いはここまでとなった。


 戦場に残ったのは幾多の戦士の死体。そこにはライニックのバイドゥと、オデンの仲間のエペ使いのものもあった。


 鉄かごのバイドゥは幼体固定を解かれ、膨らみながら液体と化し、ぶくぶくと泡をたてながら蒸発した。


 敵将ライニック。強敵であった。


 首を取れなかったのは残念だが、バイドゥと諸葛弩を壊した以上、彼がこれ以上の脅威にはならないと信じたい。

「私、背嚢を取ってきます」

 というと、ヨシルはあの部屋に走っていった。

「よっこいしょ。あー、疲れたわい」

 ヨシルが走り去るのと同時に、チェルシーは床にあぐらをかいた。

 床は溢れた水と血で染まっていたが、「どうせ時間がに戻れば、いつものローブに戻る。この服が汚れても構わん」と気にしない様子だった。

「嬢ちゃんが戦ったヤツ、最後に転移してたな」

「はい」

「呪文詠唱した形跡がないとすれば、それこそがワシらの求めた、この迷宮を自在に移動する手段かもしれんな」

「そう考えれば、なおさら首を取れなかったのは残念です…」

「そう、落ち込むこともあるまい。勝負は嬢ちゃんの勝ちじゃ。どれ、傷を塞ぐから、こちらに来てごらん」

 この若く美しい容姿で、艶と張りのある声で、いつもの物言いをするチェルシー。見た目としゃべり方のギャップが激しい。


 ねる子はリフレクトレザーに切られた左腕をはじめ、バイドゥの雷に打たれ全身にやけどが広がっていた。

「女の子にここまでするとは。ひどいヤツじゃのぅ」

 ブラン大主教にもらった傷を治す魔法がかけられた指輪を使うと、ねる子の傷が少しずつ癒えていく。

「どうじゃ。若い頃のワシは美人であろう?」

「ええ。とてもキレイです」

 堂々と自慢するだけのことはある美貌だった。

「そうじゃろう? 若い頃はメンズの求婚断るのに必死じゃったわい!」

 顔が整って美しいこともあるが、若きチェルシーはスタイルがよかった。それを黒い肌が妖艶に際立たせている。

「どうして、結婚断ったんですか」

「耐えられなかったんじゃよ。愛した男が、自分を残して死んでしまうことに」

「え」

「エルフは世界一美しい。そして永遠に老いない。死にもしない。じゃが、ワシにはその血が半分しか入ってなかったでなぁ。老いるし、死にもする。今じゃ弱々しくも汚いババァになってしもうた」

「そんな言い方しないでくださいよ」

 恩人の自嘲は、聞いていられなかった。

 チェルシーの指の中で指輪が砕けた。魔力が尽きたのだろう。ねる子の傷は、ほぼ塞がっていた。

「ワシはな。魔法の才能に溢れたダークエルフのハーフであることに不満はなかった。でも、人間であれば幸せだったのかもしれないと思うことは、何度もあったよ」

「それはどういう…」

 チェルシーは小さく笑うと、それ以上は教えてくれなかった。


 そんな最中だった。


「死体が消えていく…」

 周囲に転がる死体が、まるで蟻地獄に吸い込まれるように床の中に沈んでいく。

「ふむ。このダンジョンザナドゥは、死人を食うらしいな」

「死人を食う…?」

「ザナドゥのどこかに、操屍術師ネクロマンサーがいるということじゃろう」

 ならば、倒されたゴジャール兵やエペ使いも、やがてそのネクロマンサーの手駒になるのだろうか。あまり気分のいい話ではない。

 などと考えていると、ねる子はある事に気づいた。


(そうだ。ネクロマンサーと言えば…)


 ねる子が考えはじめた時、ちょうど背嚢を抱えたヨシルが戻ってきた。

「おばあさま、お待たせしました」

 ヨシルはニコニコとしながら、背嚢の中のクッションを広げた。

 クッションはふわっと浮き、チェルシーが座る。

 直後、チェルシーがいつもの姿に戻った。

 腰が曲がった、見慣れたハーフダークエルフの老婆。

 若いチェルシーは美しい。だが、容姿が完璧すぎて、近寄りがたいものすらあった。女のねる子ですら、見惚れて、圧倒されるほどだった。

 でも、今のチェルシーは、口の悪いが気の良い老婆という彼女のキャラクターを体現し、とても親しみやすい。

 中身は同じ人格でも、姿が変わればこれほど印象が変わる。そしてねる子は、この老婆姿のチェルシーの方が好きだった。

「今回もマルーシャ様とお会いできなかったが、お役に立ててよかった」

「そうですね、おばあさま」

「さて、帰ろうかのう…。今日は本当に、疲れ…」

 そう言いかけて、チェルシーはクッションから転げ落ちた。

「おばあさま!?」

 ヨシルが素早く抱き上げる。

「チェルシーさん!! チェルシーさん!」

 抱きかかえられたチェルシーは息を荒らげていた。

 額には大量の汗をかき、うめき声すらあげる。


 そしてチェルシーは、微動だにしなくなった。


(つづく)

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