Ⅳ.白亜のディストピア~忍者ねる子の章Ⅱ~

牧場の日々

第33話 魔法使いの弟子

 ねる子が目覚めたのは、倉庫の戦いの五日後だった。

 五日間、覚醒と入眠を繰り返していたが、思ったより疲労の蓄積が多く、ベッドから起き上がれなかった。

 グレーターデーモンの大群、そして"法典の大悪魔"リュクルゴスの来襲は、幾多の迷宮を攻略してきたねる子にも過酷だった。

 いくら鍛えても人間なのだ。限界はある。その限界を超えた戦いが、ねる子の小さな体を痛めつけていた。

 「やっぱり、回復役ヒーラーがほしいところだねぇ」

 チェルシーがため息をつく。ヨシルはかいがいしく、ねる子の体に貼られた湿布を交換している。罨法あんぽうという治療法だそうだ。

 罨法は布に体を冷やしたり、温めたりする効果のある薬剤を塗りつけ、患部に貼り付ける。この時に貼る布を湿布という。

 湿布で体の疲れを取り、体力の回復を促す。主に西方で見られる治療法で、日本じっぽんみんをはじめとした東方ではあまり見られない。

 とはいえ、明には漢方がある。湿布とは相性が良さそうな気がした。


 しかし、罨法は効果的な治療法とはいえ、回復までに時間がかかる。

 また、重傷を負わされた時には、湿布だけでは治しようがない。

 「ヒーラーの件、大聖堂に相談してこようかのぅ」

 チェルシーは顎を撫でて、考え込んでいる。

 「すいません、街には…」

 「なにか事情でもあるのかな?」

 「私を探している人達がいます」

 「そうか。なら、仕方ない」

 チェルシーはねる子の心中を察し、それ以上は聞かなかった。

 そしてヨシルに、チェルシーの研究室の中から、ある薬を持ってくるように告げた。

 まもなく、ヨシルは麻袋を持ってきた。中には乾燥させた薬草やハーブ、薬効のある木の実などが入っている。これを乳鉢ですりあわせ、水に溶いて湿布に塗ることで、絶大な効果のある回復薬ができるという。

 ヨシルは乳鉢と乳棒を取り出し、薬草を粉砕していく。

「これは以前、ブラン大主教からいただいたものでな。あのノームのジジィ、私も老いたのだから体に気をつけろだのと余計なお世話を焼いていたが、今回はありがたく使わせてもらおう」

「いいんですか」

「嬢ちゃん以外に使う者がいないんでな」

「でも、ヨシルさんは」

「私なら大丈夫ですから」

 ヨシルはニッコリと笑う。大丈夫とは、自信なのか、それ以外のことなのか。よく分からなかったが、ヨシルの明るい笑顔を見ると、改めて問いただす気もなくなった。

「この薬使えば、明日にはもう一度ザナドゥに行けるんですよね?」

「嬢ちゃんの体は治るし、ザナドゥに行けないこともない。じゃが、ここはババァのわがままとして、何日か羊の世話をしてみんか?」

「羊の世話…ですか?」

「そろそろ、羊をお肉にしないといけないんですよ」

 ヨシルはペタリとねる子の背中に湿布を貼った。

「羊には悪いが、ワシらにも生活がかかっているんでね」

 ねる子は不承不承、チェルシーの言葉に同意した。


 翌日は、夏らしい日だった。雲のない青空に、太陽がいつも以上に主張していた。

 チェルシーの言うとおり、ブランの薬は絶大な回復効果を発揮した。

 昨日まで感じていた疲れや気だるさが、筋肉の痛みが完全に吹き飛んでいた。


 しかし、ねる子の表情は浮かなかった。


 ねる子はチェルシーに与えられた、風通しのよい綿制の白い貫頭衣ワンピースを着ていた。

 袖のない服だが、スリーブという肘まである手袋をつける。ワンピースは腰紐で縛るだけの簡易なものだったが、作業するには十分だった。

 ねる子はヨシルと一緒に、羊の見回りをしていた。牧羊犬はよく仕事をし、羊の群れを管理している。

 ねる子たちは、それを遠くから見ているだけだった。

「はやく、ザナドゥに行きたいですか?」

 不意に、ヨシルが尋ねてきた。

「もちろんです。一族の命運がかかってるんですから」

 ねる子の小さな苛立ちに気づいたのだろう。

 ヨシルは一度目を伏せ、そして語り始めた。

「私には、一族の命運なるものが分かりません。私には生まれた時から、と呼べるものはおばあさましかいませんでしたから」

 ヨシルは長身だった。ねる子は自然と、にっこり笑う彼女の顔をみあげる。

「ねる子ちゃん」

 ヨシルは、言葉を続けた。

「おばあさまは、一族の命運に執着し、命を落とすことさえ厭わないねる子ちゃんを危うく感じたのだと思います」

「でも、そうしないと父上たちが…」

 わかっています、と、ヨシルは静かに何かを言いかけたねる子の言葉を遮った。 

「あの日の事を思い出してください。ザナドゥの中の人たちは、ねる子ちゃんを警戒するあまり、地獄の底から悪魔を呼び出してきました」

「はい…」

「前日、ザナドゥの人達を恐れさせるようななにかをしたのではないですか?」

 ヨシルの言葉に、ねる子はハッとなった。

 ねる子は手当たり次第に、迷宮に巣食うモンスターを殺しまくった。

 焦りがあった。焦りが、耶律唯忠理やりつゆたりへの敗北感を助長し、冷静ではいられなくなっていた。そして暴れた結果、唯忠理のさらなる警戒感を煽ったのだろう。

 その結果が悪魔の群れ…。ヨシルの推察は、正鵠を射ているような気がする。

「おばあさまが羊の世話をしろと言ったのは、ザナドゥや一族のこと以外にも目を向けてほしいと思ったからですよ。落ち着いて考えれば、このままザナドゥに挑み続けることがどんなに危険か、分からないねる子ちゃんではないでしょう?」

 ヨシルの言う通りだ。明らかにねる子は、冷静さを欠いていた。

 大きく、息をすいこんだ。

 空気は、高原の味がした。

「ヨシルさんは、まるでお姉さんみたいです」

「ふふ。ねる子ちゃんも、私の家族になりますか?」

 牧羊犬たちが帰ってきた。そろそろ犬たちのご飯の時間だった。



 昼過ぎのこと。街の方から荷馬車がやってきた。

「いやー、今日も暑いねぇ」

 乗っていたのは、例のチェルシーの弟子だった。彼は太っているせいなのか、頭から滝のように汗をかいている。

「ベレゼンさん、こんにちは」

「おお、ヨシルちゃん。今日も美人だね。師匠はいるかな?」

「小屋の中にいますよ」

 魔法使いの弟子、ベレゼンは荷馬車を降りた。

 今日は先日のように、牧羊犬たちは駆け寄ってこなかった。犬たちは、羊の世話で手一杯だった。それがベレゼンには、少し寂しかったらしい。


 ベレゼンが小屋に入ると、ヨシルは納戸ストレージルームから飼葉の入った桶を持ってきた。

 ベレゼンがチェルシーと話している間、彼の馬に食事させるのはヨシルの仕事であった。

「ねる子ちゃんもあげてみますか?」

 ヨシルは飼葉桶を、ねる子の方に差し出した。

 ねる子は飼葉を与えながら、馬の鼻梁や頬を撫でた。ベレゼンの馬は大柄な輓馬ばんばなため、小柄なねる子はつま先立ちしながら馬を撫でていた。

 馬は気持ちよさそうに、鼻を鳴らしていた。

「馬の扱い、慣れてるんですね?」

「私の名字ファミリーネームは馬小屋ですから」

「ウマゴヤ?」

「厩舎という意味です」

日本じっぽんには、面白い名字があるのですね!」

 飼葉をあげていると、なんとなくオデンの事を思い出した。

 彼は今も、ザナドゥで自分を探しているのだろうか。

 オデンの力量を認めていないわけではない。彼の腕なら、地下二階程度の敵ならなんなく倒せるだろう。

 彼はどんなメンバーでザナドゥに挑んでいるのだろう。少し興味があった。

「私も一度、ねる子ちゃんが生まれ育った日本に行ってみたいです」

「遠いですよ? 東の地の果ての、さらに海を渡った先の島国ですから」

 しかし、それがますますヨシルの興味を沸き立たせたようだ。

「おばあさまからも、世界を広く見聞してこいと、常々言われてますので」

 しかし、その間チェルシーの世話は誰が見るのだろうか?

「さあ? また、新しいメイドをのかもしれませんね?」

「作る?」

 ヨシルはたまに、不思議な言い方をする。言葉のあやなのか。ともかく、真意が分からない。

 飼葉を与え終わった頃、ベレゼンが荷馬車に戻ってきた。

「今日の商品を積んでいくよ、ヨシルちゃんと…ねる子ちゃんも、手伝ってくれないかな?」

 はい!と答えて、ヨシルは納戸へと向かった。ねる子は、ベレゼンがなぜ自分の名前知っているのかと思いつつ、その後をついていった。



 ベレゼンの手伝いが終わり、小屋に戻った。

 時間はちょうど、夕飯時だった。

 ヨシルはすぐさま厨房に向かう。

「ちょっと、そこにお座り」

 チェルシーは手にした魔法のスティックで、チョイチョイと対面の椅子を指した。

 言われた通り、ねる子は椅子に腰掛けた。

「バカ弟子から聞いたんだけど、今、デルピュネーには各地から多くの冒険者が集まってきているらしいねぇ」

「前から冒険者はいたと思いますが…」

 ねる子やオデンだって、そういった冒険者の一人だ。

 しかし、チェルシーは首を横に振る。

「あいつがわざわざ報告してきたのだから、以前よりますます増えた、ってことじゃろう」

「確かに…」

「で、そいつらは口々に、”伝説のザナドゥが見つかった”と言ってたそうじゃ」

「え…」

 ねる子は思わず息をのんだ。

 ねる子が石像を倒し、ザナドゥの入口を開けたのは七日前のことだった。

 知っているのは、ねる子を含めてあの場にいた四人だけだ。

 その誰かが広めているのだろうか。いや、それだけで、各地から冒険者が集まるほど広まるだろうか?

「ワシには、誰かが意図的にザナドゥ発見の報を広めているようにしか思えないんじゃ。どんな手段を使っているかまでは、分からんがな」

「…」

 デルピュネーの冒険者といえば、ゲオルギウスの酒場にたむろし、同じ目的を持つ相手を見つけてつるむ印象がある。

 これは、どの街でも変わらない。老魔道士が潜む迷宮のあった街でも、呪われた穴側の街でもそうだ。酒場はならず者や根無し草が集まり、仲間を集う場所である。

 ならば…。

 「明日、ゲオルギウスの酒場に行ってきます」

 「街には行きたくなかったのではないか?」

 その通りだが、ザナドゥを巡る動向は気がかりだった。

 すると、「フッフッフ」と、チェルシーが意味ありげに笑った。

 「大丈夫。嬢ちゃんが行かなくても、バカ弟子はゲオ坊と仲が良い。嬢ちゃんが知りたそうな話は、聞いてくれるように頼んであるよ」

 さすがチェルシーだ。ねる子の考えるような事は、先の先まで考えていた。

 その後、チェルシーはねる子が寝ていた時に起きた様々なことを教えてくれた。ほとんどは世間話だったが、ベレゼンがもたらした街の情報は興味深かった。

 あの街を出て、たった七日しかたっていないのに、なぜか遠い昔の事のように思えた。

 「お食事、できましたよ」

 ヨシルが鍋を運んできた。今夜はそばの粥だ。削った山羊のチーズがたっぷり入った、お腹によくたまる一品だ。

 「ワシはこの、そばの粥が好きでのぅ。でも、若い嬢ちゃんには、ちょっと質素すぎるかのぅ?」

 「そんなことありませんよ」

 粥に添えられているのは、ゲオルギウスの酒場の名物であ、羊の腸詰めだ。それをゆでてある。

 「この腸詰めの羊肉は、うちのもんなんじゃよ。美味いにきまっとる」

 チェルシーは、自慢げだった。


(つづく)

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