第65話 引っ越し
朝早くに家をでた。
太陽はついさっき顔を見せたばかりで、まだ幾時も経ってはいない。この時間なら早朝と呼んでもさしつかえはないだろう。
ひとの姿はまだ見えなかった。今日が日曜日だということもあるのだろう。まだまだ街は眠っているのだ。シンと静まり返った街並みは、なんだか物悲しくもあった。
パーカーのポケットに手を突っ込んで、白い息を吐きながらトボトボと歩く。あくびを噛み殺しながら、ゆっくりと踏みしめていく。向かう先は琴音ちゃんの家だ。
琴音ちゃんは今日、この街を去る。
約束をしていた。最後はきちんと見送ってあげるからと。ひょんな事からぼくらは出会って、お互いを利用する形で下校をともにしていた。ちょっといびつな関係だ。
実際は共犯者に近いのかもしれない。
でもそれは、ぼくだけが知っている事実で彼女にも詳しく話してはいなかった。
「ぼくにも、利があるんだ」
とだけは伝えていたけれど。
さて、琴音ちゃんの目にぼくはどう映っていたのだろうか。頼りになるお兄ちゃんだといいけれど。──ないかな。ハハハ。
兄弟かあと、トボトボと道を歩きながら思い出すのは鬼柳兄弟のことだった。中原先輩が犯人だとぼくが名推理を披露している所に、鬼柳一也くんは追加の謎を届けてくれた。話を聞くと、松永結愛の卒業証書も白紙になっていたと言うじゃないか。
はて、これは同一犯によるものなのか。
中原先輩は卒業式のあと、ずっと告白されつづけていたというアリバイがある。自分の証書ならともかく、松永先輩の証書をすり替える時間はないように思える。
詳しく事情を聞こうと松永先輩に話しかけてはみたけれど、頑なな態度はくずれない。返事もあったりなかったりで、えらく嫌われてしまったものである。
ぼくがスマホを誤操作してしまったことを、まだ根に持っているのかも知れない。
しかたなく鬼柳ちゃんに代わってもらった所で、ポツポツと事情を話してくれた。鬼柳ちゃんと松永先輩の確執はいつのまにか解決されていたみたいで、驚いた。
きっと一也くんの苦労の賜物だろうな。大変だね、同情するよ。ちらと同情の目を向けると、爽やかな笑顔で返してくれた。
鬼柳ちゃんが聞き出してくれた内容をまとめると、松永先輩の証書も似たような話だった。カバンと共に置いていたら、白紙とすり替えられていたということらしい。
彼女は水泳部の部室にカバンを置いて、記念写真を撮りにでかけていたそうだ。部室には監視の目がない。犯行はだれにでも行える状況だったとのだと言える。
思い出しながらトボトボ歩いていると、目の前で信号が赤色に変わってしまった。周囲には車もひとも見当たらないけれど、交通ルールは守っておくことにしようか。
そっと信号を見あげたままにつぶやく。
「容疑者は生徒全員、か」
と自分で吐いた言葉に絶望してしまう。
ちょっと多すぎやしないか、容疑者。
一方で中原先輩の方は、彼女自身にしか犯行が無理そうに思えてしまう。
容疑者は片や全員、片や一人。いったいどうなっているのだろうか。たまたま似た事件が、似た時刻に起こったとでもいうのだろうか。いやいや。そんなことがあるとはさすがに思えやしなかった。
ふたつの事件にはきっと関わりがある。卒業式の練習中に紛れたものも含めると、三件の連続怪盗事件になるのだから。
気付けば、信号は青色に変わっていた。急いで横断歩道を渡ってふたたび歩きはじめる。しばらく行くと琴音ちゃんの家が見えた。その手前にちいさな人影が見える。
その人影はなにやら不審な動きをしていた。電柱の影に隠れては、コソコソと琴音ちゃんの家を窺っているようにも見える。ゆっくりと近付いてみる。なんだ、彼か。見知った男子小学生の姿がそこにあった。
「やあ、佐々木くん。琴音ちゃんの見送りかい?」
ぼくの顔を見るなり、彼は驚愕の表情で駆け出していく。
「わー! わー!」
あれ、悪いことをしてしまったかな。去っていく後ろ姿に向け声をかける。
「おーい。今日、引っ越しちゃうよー」
ぼくの声は彼に届いたかな。
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