11「どんな存在になった?」(1)


 部屋の扉をノックもせずに開けると、ベッドに腰掛けたエドワードがエイトを出迎えてくれた。

 思い詰めたような表情で俯いていたように見えたが、エイトと目が合ったその時には、既に穏やかな笑顔が貼り付けられていた。

 作ったような笑顔が、機械的に貼り付いていた。先程まで無機質な瞳を見過ぎていたからだろうか。目の前の老人の動きすらも、機械的に見えてしまう。

「おかえりなさい。エイトさん」

「ただいま……」

 イースのことは自然に名前を呼んでいたのに、この老人のことだけはすんなり呼ぶことが出来ない。曖昧な態度で挨拶を返したせいか、エドワードがベッドの隣をエイトに勧めてくる。べつに反発したいわけではないので、素直にその隣に腰を下ろす。

「どうされました? 特務部隊に何かされましたか?」

 一気に瞳が鋭くなるエドワードに、エイトは「何もされてねえよ」と反射的に答える。いろいろされはしたが、なんだかこの老人には伝えたくない。

「本当ですか? 特務部隊の匂いがエイトさんに染み付いていますね」

「……イースな」

「そうでした。失礼致しました。イースさんの匂いが、染み付いていますが……」

「それは……あいつの瞳を覗き込んだから……」

 エイトは心の揺らぎを誤魔化しつつ、エドワードにイースから聞いた特務部隊の作戦のことを伝えた。彼の瞳に取り付けられた非人道的な記録媒体の話をしても、エドワードは特に取り乱すようなこともなかった。いつもと同じく、ただ静かにエイトの言葉を聞いている。

「……こんなの、軍の中じゃ当たり前だってのか?」

 その沈黙に恐怖を感じて、エイトは思わず問い掛けていた。

 まるでタチの悪い冗談のような話が、この数日は溢れかえっていた。人間の悪意を煮詰めて煮詰めて、真っ黒く焦げ付いた邪悪な塊。そんなどろりとしたモノに手を突っ込むような感覚だ。

 エドワードは少し目を伏せると、言葉を選ぶようにゆっくりと、エイトに仄暗い世界の真実を伝える。

「そういった暗がりの技術は、特務部隊の中の方が濃厚ですが、それでも一般的な軍部にもないことはないと言えましょう。もちろん大っぴらには誰もそんなことは言いません。ですが――」

 老人はそこで言葉を切り、エイトの目を覗き込みながら続ける。

「――軍の内部は、そこまで優しくもなく、綺麗なものでもないのですよ。軍人を目指しているエイトさんには、少々酷な話にはなりますが」

「そう……なのか」

 薄々勘づいては、いた。イースが語るその前から。老人が語るその前から。この街の――いや、おそらく大陸全土の、と言っても間違いはないだろう――軍隊は、どうにもきな臭いと。そうでなければ軍人であるその二人から、こうも血生臭い醜悪な匂いがたつわけがないのだから。

「ですが、それは極一部の話です。ほとんどの者達には知られない、正しく暗部のことなのです。まだ若いエイトさんにはどうか、その闇には触れて欲しくなかったのですが……」

 苦笑の形で取り繕われたその笑みから、エイトは思わず目を逸らしていた。同じ真実を突き付けるにしても、老人の口から聞かされるのは、自身で思い至るよりもよっぽど大きな波紋を心に広げる。

「……オレは……」

 果たして何を言おうとしたのか、エイトは自分でもわからなかった。だが、何かを言わなければならないと、エドワードの瞳を見ていると無性にそう思ったのだ。エイトが言葉を探していると、エドワードが控えめに口を開く。

「エイトさん……」

 その真剣な瞳に、エイトも目が離せなくなる。イースの瞳に見た囚われるような四角とは違う、どこまでも真摯で嘘偽りのないその瞳から、目を逸らすようなことは出来るはずがない。

「エイトさんは、もし……自らに強大な力が手に入るならば、己の人間として大事なものを全て投げ打ってでもその力が欲しいと、そう思ったことはありますか?」

 こちらの心を見透かすかのような鋭い瞳だった。それはただの世間話や架空の話ではない。現実としての問い掛けだった。

「……オレは……」

 先程と同じ言葉を発して、エイトはそこに続けるべき言葉を探す。

 強大な力があれば、オレは軍に入ることが出来るのだろうか? ――いや、入れない。オレには入るための頭が足りない。

 強大な力があれば、オレはデミを助けることが出来るだろうか? ――いや、いらない。そもそも、助けるために戦闘をするつもりはないのだから。

 強大な力があれば、オレは……オレは……

 いや、やっぱり――

「……オレは、いらない」

 いらない。エイトには力はもういらないのだ。エイトにとって大事な存在であるデミは、きっとこの老人と一緒に救い出すことが出来る。そしてその後のことなんて、どうにでもなるとエイトには思えた。

 それは傍から見れば楽観的な発想かもしれない。だが、この老人と共に過ごしてわかったことが、エイトを少し大人にしていた。

 生きる場所というものは、何もこの街だけではないのだと。

 どうせ一から何もないところからのスタートならば、この街に固執する必要もないのだ。

 そりゃもちろん、デミの家族もエイトの家族もいるこの街で生きることが一番だ。だが、この邸宅での騒動が思いの他大きくなったなら……特務部隊も出てきている。その可能性の方が遥かに高いだろう。

 それこそデザキアのことは一度捨てて、デザートローズなりに二人で移住した方が、エイトにとってもデミにとっても最善の策のように思えてくるのだった。

 そこに必要なものは強大な力なんてものではない。そこに必要なものは……

「それを聞いて安心しました」

 穏やかな表情で微笑む老人に、エイトはたった今思いついた『この作戦が終わった後のこと』を相談することにした。

「強大な力なんてものはいらねえけどよ……オレ……デザートローズの軍人になりたい」

 エイトにとってエドワードは、『強い憧れの軍人』となっていた。そこにある感情は、尊敬も愛情もなんともごちゃごちゃとしたものだったが、憧れの軍人であることには間違いなかった。

 そんな彼が所属していたデザートローズの陸軍に入れば、エイトももしかしたら少しくらいは、その憧れの背中に追いつくことが出来るかもしれない。

 そして何より、デザートローズの軍属となれば首都に住むことが出来る。そこには年齢や出身、身分の差別はなく、皆が皆、軍部に程近い今よりよっぽど環境の良い場所へと移住することが出来るのだ。

「……なるほど。この任務が成功すれば、私から陸軍に掛け合ってみましょう。もちろんエイトさんだけでなく、デミさんとお二人のご家族も一緒に、というのが理想でしょうが……出来る限りはしてみましょう」

 エドワードが渋るのも仕方のないことだった。エイトだけならばおそらく問題はない口ぶりには、砂漠の国が抱える慢性的な物資不足が関係している。

 物資の輸送手段が陸路に限られる大陸南部は、どうしても物流の量が制限される。元より整備された街道を進むわけでもない砂漠の行軍が、完全に積み荷を守り切れることは少ない。砂漠を徘徊するモンスターや機械兵器達に襲われて、その積み荷を犠牲に逃げ切ったという話なんて、本当にしょっちゅう耳にする話である。

 物資の守りを軍隊に任せるという案も何度か出てはいるが、それを善しとしないのは他でもない商人達の方であった。商人達は軍が下手に介入することで、己の取り分――隠すところを見るにおそらく、軍部に申請している以上に儲けているのだろう――が減らされることを恐れたのだ。命よりも金にこそ価値がある。商人というのはそういう人種だった。

 商人達は己の身は己で守ると、自らの財により私兵を雇い入れるようになった。そこには他国の元軍人や、逃亡中の罪人といった後ろ暗い連中も紛れ込んでくる。不穏なるその闇は、首都や主要な街の治安を悪化させ、そしてそのしわ寄せは全て、弱い民衆へと落ちていくのだ。この国で潤っているような奴等なんて、一部の上流階級だけの話だ。

 さすがに街の治安が悪くなるのはいただけないのか、私兵達には自らの邸宅からの外出を禁止する商人達も増えたが、それでも一度淀んだ空気はなかなか浄化されないものだ。貧困からの政治不信も手伝い、首都の夜は人っ子一人見ない寂しい夜と化しているらしい。

 国内外の警戒、治安維持と、軍人の負担はどんどん増している。入隊する者達がいつまでも“軍人”でいられる保証はどこにもない。そもそも五体満足の保証もない、果てには命すらも吹き飛ばされる過酷な戦場へと向かうのだ。軍人とはエイトからすれば狭き門ではあるが、慢性的に人員が不足している職業でもあった。

 いくら陸軍に顔が利くのであろうエドワードといっても、軍人志望の男だけならともかく、非戦闘員の家族達までをも引き込める程の余裕は、首都にもないと思えた。だが、老人は約束してくれた。出来る限りのことはしてくれるのだと。

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