第25話 触手4本、断ち切って
一匹だった時よりも圧倒的に太くなった触手が、力強くうねりながら、にじり寄ってくる。
明らかに戦闘力が向上している。もはや先程と同じやり方では対処できないだろう。
僕たちはすぐに部屋から抜け出し、情けなくも再度の敗走を喫した。
「信じらんない! 確かにスライムと言ったら合体だが、それは8匹揃ったらの話だろう⁉ そもそも
「言ってる意味がわかりませんよカオルさん!」
「いいから走って! 足を止めちゃダメだ!」
懲りずに程度の低い野次を飛ばすカオルと一緒に、「やばいやばい」と喚きながら3人で逃げる。その間も懸命にスライムを倒す方法を探ったけど、今の装備では歯が立たないという結論に至るだけだった。
「こういう時こそ魔法の出番のはずだ! 頼む魔導書、何か攻撃する術を……こんなデカい蛍みたいなのを飛ばすだけじゃ太刀打ちできない!」
あろうことか、道を照らし、僕たちの命を繋いでくれている光の球を虫扱いしながら彼女は懇願する。
けれど、魔導書は応えなかった。さっきはまるで生き物のような動きを見せてくれたのに、それが今や、ただの屍と化している。
(いや、魔法に文句を言われて拗ねている? だとしたら、ますます生物じみてくるな……どうなってるんだ)
僕は、不確定要素に囲まれる中を一目散に駆け抜けた。一歩間違えれば死ぬかもしれないという、じっとりした脅威が、背後から僕の肩に手をかけようとしている。その感覚は、僕の中に少なからず焦りを生んだ。
だから、普段なら絶対に見落とさないような小石に気づけなかった。
「あっ……」
足の爪先が引っかかり、重心が上半身に偏る。
けれど問題は無い。僕にはかつての、訓練で培った分の記憶が残っている。
たとえ体が幼くなろうと、瞬時に受け身を取るくらいのことはできる――はずだった。
腕を構え、近づいてくる地面に備えて体を丸める。ほんの一瞬の後に、細かく尖った岩地の感触が肌に伝わってくるだろうと予測していた。
けれど、体は地面にぶつからず、むしろ宙に浮くようにして離れていく。
(捕まった……ッ!)
それを認識した時には、僕の手足はスライムが出す
「「ユウくん!」」
二人の声が下から聞こえる。拘束と同時に、僕はカオルがされたのと同じように持ち上げられていた。
いつも見上げている2人の姿が眼下にある。とても不思議な感覚。
(――なんて呑気に考えてるヒマは無いんだった!)
改めて状況を把握する。僕は宙吊りになって、四肢をそれぞれ一本ずつの触手で押さえられている。道の高さ、幅は十分な余裕があり、こいつが本気で触手を振り回さなければ、おそらく致命傷を負うことはない。
(なら、今は)
「ユウくんを離して!」
「マルカ、待て!」
静寂を振り払い、マルカが斬りかかる。だけどそれはカオルの張り詰めた声によって止められた。
「どうしてですかっ!」
彼女は六道と対峙した時のような強い剣幕でカオルを問い詰める。
「落ち着くんだマルカ。このまま行っても、ユウくんを余計な危険に晒すだけだ。……触手を引きつけてもらっている間に、確実な手を考えよう」
そう言って、カオルは苦悶の表情を僕に向けた。それを見たマルカも我に返り、心配そうに僕へ視線を飛ばす。
「大丈夫」
僕はそれだけを短く伝え、考えることに集中するよう促した。
そう、これは勝機だ。スライムの触手は、2本でも大人を持ち上げられるだけの力がある。その触手を、今は僕ひとりで全て封じているんだ。
(まあ、出せる数が変わってなければの話だけど! 2匹分なら、きっと4本……!)
それともう一つ、幸運なこと、いや、気にかかることがあった。
――あまりにも、慎重だ。
スライムは僕を捕まえたきり、それ以上の動きを見せていない。銃も剣も向けられておらず、戦闘能力的にも優位に立っているはずなのに。
(何をしようとしている?)
そう思った途端、四肢に絡みつく触手たちの先端が動き、あの紋章がある場所――僕の下腹部に迫ってきた。
「あ、あの触手の色は⁉」
様子を見ていたマルカが、触手の根元辺りを見て悲鳴のような声を出す。つられてそこを見ると、青かったはずの根本部分が暗い紫色に変わり、そしてその紫が先端へ登っていくのが目に入った。
(まさか、毒⁉)
「ユウくん、気をつけて!」
カオルがリュックを投げ置き、臨戦態勢を取りながらスライム本体の近くまで来る。さすがにこれ以上は観察している余裕が無いという心情の表れだ。
(だけど、この状態じゃ……)
できる限りもがいてみたけれど、拘束が解けるわけでもなく、触手の動きも止まらない。
そして
ジュッ――
毒が先端に達するや否や、煙を上げて下腹部周りの服が溶け出した。
(これはっ、さすがにマズいか!)
こいつがここを優先的に攻撃する理由はわからない。ただとにかく、このままじゃ溶かされる
(……あれ? 痛みも、熱もない?)
拷問のような苦痛を覚悟していたのに、毒は服を溶かしていくだけで、僕自身には何事も起こらなかった。
(……どういう成分なんだ)
安堵感と共に息を吐き、繊維にまとわり付く粘液を見ようとしたその時、仲間2人の勇ましい声が聞こえた。
「ユウくん、今助けます!」
「私のユウくんを、お前なんかにくれてやるわけにはいかないんだよ!」
「い、いや僕は」
もう一度”大丈夫”と言おうとしたけれど間に合わず、マルカが僕の足に巻かれた触手を切り、カオルは飛び上がって、僕の腕を押さえていた触手を尻尾で薙ぎ払う。
自由の身となった僕はようやく、つまずいた時に予測していた地面の質感と触れ合った。
(よし、体に異常は無い。――それより2人が!)
触手を切ったことで、その中に溜まっていた毒が一気に放出される。
スライムの目と鼻の先にいた2人は、服を溶かす粘液をまともに被ってしまった。
「きゃあああああ! 見ないで! 見ないでください!」
マルカの体は鎧で守られ、大きな被害は無い。それでも、腰部から覗くスカートの丈は極端に短くなり、純情な少女を赤面させるには十分すぎるほどになっていた。
そしてもうひとり。
「うわわわわわわ! ダメージ加工にも程があるって! 水玉コラみたいになっちゃったよ!」
カオルは翼や尻尾でうまく弾いていたけど、そのせいで細かい飛沫をたくさん浴びてしまったようだ。鎧も無いのに白衣まで脱がされて、しかもこんな痴女みたいな姿になるなんてお気の毒に……でも、思ったより余裕そうだ。
「油断しないで、まだ終わってない!」
全員の安全を確認した後、触手を再生しようとしているスライムに向き直る。奴に目は付いていないけど、気のせいか僕の紋章を見ているように感じた。
「全く……衣服だけを溶かす技術は褒めてやるが、ファッションセンスは壊滅的だな! こんなダッサい格好にしてくれた罪、どう償ってもらおうか!」
カオルも僕の隣に立ち、スライムのコアを睨みつける。格好がそうなったのは彼女自身が原因だと思ったけど、口には出さないことにした。
「わ、私のスカートも、どうしてくれるんですか! お気に入りだったのに!」
さらにマルカも怒りを表明して後押しする。お気に入りならダンジョンに着て来ない方が良いのではないかと思ったけど、口には出さないことにした。
「さあ今度こそ! 新技カモン!」
「私からもお願いします、魔導書さん! 力を貸して!」
マルカの誠実な請願が功を奏したのか、後ろに置いてあったリュックの中から、再び光る本が飛び出してくる。
「よしッ!、次はこれだな……"
詠唱に合わせ、彼女にマナを送る。すると、照明代わりだった光の球の周りに、バチバチと放電現象のようなものが現れた。
魔法が完成すると、ほんの少しだけ下腹部が熱くなり、それを待っていたかのようにスライムが触手を伸ばす。
(マナが狙いだったのか……?)
その答えを知る前に、電撃となった光の球が、スライムめがけて勢いよく射出された。
バシュウッ……ウン……
「マルカ!」
「はい!」
新たな技を喰らったスライムの体は弾けるように蒸発し、むき出しになったコアを、マルカの剣が叩き切った。
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