第9話 女剣士マルカ
「グギィィィィィッッ!」
緑の肌に尖った耳、子どものような体格だけど筋肉の発達した手足。この世界におけるゴブリンという言葉がこの生物を指すのかは分からない。それでも僕の知識と照らし合わせるならば、目の前の獣は間違いなくゴブリンだった。
視認すると同時に銃を構える。今度は、最初から弾をこめてある。
「……」
でもすぐには発砲しない。なぜなら、こいつは手負いだったから。よく見ると脇腹に傷があり、そこから血を流している。
何かに襲われ逃げてきたのか。だとすれば迂闊に銃声を響かせるのはまずい、あの傷を付けたさらなる強者に位置がバレてしまう。
「ギ……」
相手もこっちの出方を伺っているようだ。銃口と僕の指を見つめ、渋い顔をしている。
「! ……グギ、グギ」
不意に、ゴブリンがその大きな鼻をスンスンと鳴らし、匂いを嗅ぐような素振りを見せた。僕からは目を離し、さっきカオルが置いたリュックを見ている。
「ギッギッギ……グガアアアア!」
醜く歪んだ口元を更に歪ませ笑みを作る。そして、リュックの方……ではなく、カオルが隠れているはずの木へ走り出した。
「えっ⁉ わっ、ちょっと……」
突如眼前に迫ってきた怪物に目を見開き、体を強張らせたまま後ろへ倒れようとする彼女。
「⁉ カオルッ!」
意識するまでもなく、撃っていた。
ダァンッ……
木々のざわめきを掻き消し、鳴らしてはいけない音が響く。
命を奪い去る香りと共に、空を切り裂く9mm弾(パラベラム)。
銃弾は迷いなく対象へ向かい、緑の頭部を朱に染めた。
「カオル! ケガはない⁉」
飛びかかろうとした姿勢のまま崩れ落ちる死体には目もやらず、カオルの元へ駆ける。動きが予測できなかった。僕だけを狙うと勘違い油断していた。いやそもそも、ここが文明の発達した世界だと思い込んで気を抜いていた。ここは異世界、何があってもおかしくないのに。
「う、うん……大丈夫……。ありがとう、ユウくん……」
ヨロヨロと立ち上がるカオル。元々色白の顔がさらに白くなったように見える。
「大丈夫⁉ 立てる⁉ すぐここから離れよう、もっと強い化け物が近くにいるかもしれない!」
ガザガザガザッッッ!!
カオルを起こし、リュックを拾いに行こうとした僕の背を再び音が襲った。
(さっきよりも大きくて、速い!)
咄嗟に茂みを振り返りもう一度銃を構える。音の距離からして逃げ切ることは不可能だ。戦闘は避けられない。
「すみませーん! ここにゴブリンが逃げてきませんでしたか―⁉」
──聞こえてきたのは人語、それも僕たちが使うものと同じ。
その主は、銀色の鎧に見を包み、長い剣を構えた剣士だった。兜は付けていなくて、長い黒髪と少し赤みの差す頬が目立つ。顔立ちからして女性のようだ。
僕は安堵と共に銃を仕舞った。
「こ、今度は女の子⁉ えーっと、その……」
カオルも状況に追いつけず困惑して、目の前の相手にさっきのことを話そうとするけど口がうまく動いていない。けど人に会えたことで少しは調子を取り戻したみたいだ。
「……それは、あなたたちが?」
剣士はゴブリンの骸と僕たちを交互に見て、申し訳無さそうに聞いてくる。
「うん、事故みたいなものだったけど……」
やったのは間違いない。でもあれは本当に突発的な出来事だった。相手が初めて見る『モンスター』だったこともあって、撃った感触はあるのに殺した感覚がない。
「ご、ご迷惑をおかけしました。私が未熟なばかりに仕留めきれず……」
彼女は礼儀正しくぺこりと頭を下げてくる。あどけなさの残る佇まいと、身を包む鎧がひどく不釣り合いだ。
「少し頭を冷やそう……ふぅ。ねえ君、あの脇腹の傷は君が付けたものなのかい?」
意外にもすぐ落ち着きを取り戻したカオルが、転がった死体を見て分析するように問う。さすがに250年生きてきた人は想定外の状況への対応が早いらしい。
「ええ、他は倒せたんですけど、あの一匹だけ逃してしまって」
『より強い相手』はどうやら彼女だったようだ。華奢にも思える見かけに反して、力は強いのかもしれない。
「それより、あなたたちはどうしてここに? ……あ! もしかして2人も依頼を受けてきたんですか?」
「へ? 依頼?」
あっちは仲間を見つけたかのように目を輝かせているけど、僕らからすれば何が何やらといった状態だ。カオルもつい素っ頓狂な声を漏らしている。
「違うんですか? てっきりあなたたちも冒険者かと……」
「ねえカオル……僕たち、転移失敗した?」
薄々感づいていたことを小声で尋ねてみる。聞いた話と現状がまるで違う、現代社会の匂いが全く漂ってこないぞ。
「い、いや、転移自体は成功しているはずなんだ。こうして言葉も通じていることだし…私が目指した世界へ来れたことは間違いないはずだよ……」
妙に引きつった笑顔で、言い聞かせるように囁かれた。確かに、日本語で話せる以上はカオルの先祖がいたという世界に来れたと考えるのが正しいかもしれない。でもこれは……
「あのー……?」
2人でワタワタやっていると、剣士が怪しむような視線を向けてきた。
「ああ、すまない。期待に添えず恐縮だが、私たちはただの旅人なんだ。それで君は、えーと……」
「あ! 申し遅れました。私はマルカ=リムネット。この辺りでゴブリンが出たとの情報があったので、ギルドで依頼を受注して来たんです」
彼女が自己紹介と共に経緯を話す。その中から、こっちの世界にはギルドが存在するという情報を得た。
「ご丁寧にどうもマルカ。私はカオル、カオル=サキヤだ。それでこっちが……」
「ユウ=サキヤ。弟だよ。」
こう言っておいた方が都合良さそうだったので、自分からそう名乗る。カオルが驚愕しながらこっちを見て、すごく興奮した様子で鼻息を吹いた。
「カオルさんと、ユウくんですね。旅をしているということは……まさかクレイオス山の向こうから? 地震には遭われませんでしたか?」
「地震って、なんのこと?」
ここに来てそう時間は経っていないから詳しいことは知らないけど、何かしら災害があったみたいだ。
「つい先日、大きな地震があったんです。町ではクレイオス山が噴火でもするんじゃないかって噂が広まって……」
クレイオス山、たぶん僕たちの拠点がある山のことだ。
「その後、森の近辺でゴブリンが出始めて、念の為にとギルドが調査と討伐の依頼を出したんです」
そういえば、やっぱりアレはゴブリンという認識でよかったみたいだ。他にもこんなモンスターがいるのだろうか。
「はぁ~そんなことが。私もさっきガッツリ襲われたところだよ、ユウくんがやっつけてくれなかったらどうなっていたか……」
ゴブリンとの遭遇を振り返るようにしてカオルが言う。本当に、あのときは肝を冷やした。
「ゴブリンは女性を優先して襲う習性がありますから……って、倒したのはユウくんなんですか⁉ 武器も無しにどうやって⁉」
信じられないものを見る目で僕を見下ろすマルカ。まあ普通はこんな子どもがやったとは思わないはずだ。
「武器ならちゃんと持ってるよ、ほら」
足に巻いたホルスターからまだ硝煙の香りがするそれを取り出し、マルカに見せる。彼女は不思議そうに僕の銃を眺めた。
「これは……銃、で良いんですよね? こんな小さなものは初めて見ます。いやそれより、どうして君のような幼い子が武器を?」
当然の疑問を向けられた。たとえ冒険者がいる世界であっても、子どもが武器を手にするのは珍しいのが普通だ。僕が読んできたファンタジー小説にも、自分ほど幼い冒険者はいなかった。
「えっと……」
「ちょっと特別な事情があってね。それはそうと、ゴブリンは女性を狙うと言ったね? マルカはそれを理解した上で、一人で依頼を受けたのかい?」
カオルが助け舟を出してくれた。そして彼女の言う通り、一人で討伐依頼を受けたのだとしたらマルカは相当な命知らずだ。あっちにも何か事情があるのかな。
「私も正直怖かったんですけど…協力してくれるアテは無いし、ゴブリン程度でわざわざ出向く冒険者なんて、私みたいな駆け出しくらいのもので……」
肩を落としながらつぶやくマルカ。うん、一人の辛さはよく分かる。なんだか一気に親近感が湧いてきた。
「ゴブリン程度で、とは? 人を襲うモンスターなんだから、もっと騒ぎ立ててもいいだろうに」
襲われた張本人が並々ならぬ説得力を持って言う。
「人を襲うといっても、普段町には滅多に近寄らないんですよ。ゴブリンは基本的に山奥に住んでますから。比較的臆病で危険度も低いし、だから他の冒険者たちはもっと大変で報酬の良い依頼ばかり狙うんです」
「なるほど、それで一人森に入ったのか……。そうだ、マルカはこれからギルドへ依頼達成の報告でもしに行くのかい? もしよければ案内してほしいんだが。私たちも早いところ町へ着きたくてね」
カオルもギルドのことを聞き逃していなかったらしく、ちゃっかりマルカに自分たちのお守りを任せようとした。
「いいですよー、それじゃ行きましょう!森が深くて分かりづらいかもしれませんが、町まではけっこう近いですよ!」
ありがたいことに彼女は快く引き受けてくれた。予想を外れに外れて科学とは程遠い展開に出くわしてしまったけど、彼女のようないい人に巡り合うことができた。
思ったより、僕たちの旅は幸先がいいかもしれない。
「よしっ! こいつはいいスタートが切れそうだ。行こう、ユウくん!」
カオルも今の状況を楽しんでいるみたいだし、あまり不安に思うことはない気がする。
「お姉さん2人に挟まれながら歩くとは、両手に花ってやつだね。ユウくんは小さいのにやり手だなぁ」
期待に胸を踊らせかけていたところ、カオルがニヤニヤしながら僕だけに聞こえるように言ってきた。
「あー、うん。そうだね……」
襲われたばっかりでこの調子なんて、この人のメンタルはどうなっているんだろう。兵士として見習いたいくらいだよ。
僕だけ妙に気まずいまま、2人のお姉さんに付き添われながら森の中を進んだ。
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