やり直し悪役令嬢は、幼い弟(天使)を溺愛します【漫画連載中】
軽井広💞キミの理想のメイドになる!12\
第1話 聖女と悪役令嬢と
「クレア・ロス・リアレス……今、この瞬間をもって、貴様との婚約を破棄する!」
美しい低音の声が響きわたった。
ここはカロリスタ王国の王立学園の講堂だった。
緋色の絨毯が敷かれ、豪華なシャンデリアが輝いている。
そして、声の主は王太子アルフォンソ・エル・アストゥリアス殿下その人だった。
アルフォンソ殿下は金髪碧眼の美男子で、誰もが見惚れるような、気品のある顔立ちをしている。
17歳でありながら、王族らしい威厳も兼ね備えていた。王太子であることを示す緋色の衣服を見事に着こなしている。
周りには多くの近習の少年がいた。いずれも容姿に優れているが、その中にたった一人小柄な美少女がいた。
彼女は聖女シア。
銀色のつややかな髪と真紅の瞳が印象的だ。簡素な白いワンピースが、かえってどこか神秘的な雰囲気すら感じさせる。
そして、彼女こそが王太子の最愛の人であった。
不安そうに、聖女シアは王太子アルフォンソの服の裾を握っていた。
一方、王太子の瞳は怒りに燃えている。
もしわたしが他人なら、「まあまあ、何をそんなに怒っているんですか?」と聞くところだ。
ところが、王太子が怒りを向けているのは、婚約破棄を言い渡した相手、元婚約者のクレア・ロス・リアレス公爵令嬢。
……つまり、わたしだった。
わたしは王太子の従者たちに取り押さえられ、鎖で拘束され、床に組み敷かれていた。
わたしはぐるりと周囲を見回した。
王太子たち以外にも、騒ぎを聞きつけた学園の生徒たちが集まってきている。
誰か一人ぐらい、わたしの味方をしてくれる人がいるはず……。いや、いないようだった。
王太子の怒りの理由は、想像はついていた。そして、それは自業自得の結果でもあった。
「クレア、貴様がシアに行った仕打ち、すべて露見しているぞ。あまりに陰湿な嫌がらせの数々、聞くだけでもおぞましい」
わたしは言い返せずに黙った。
わたしも王太子殿下も、そしてシアも、王立学園の同級生だ。
で、わたしとわたしの取り巻きはシアをいじめた。それはもう、徹底的に。
……いじめなんて、わたしだってやるやつのことを軽蔑していた。
わたしは「品行方正」な公爵令嬢で、誰からも後ろ指をさされるようなことをしたこともなかった。
王太子の婚約者として、未来の王妃として、わたしは幼い頃から努力して、それにふさわしい女性となろうと決意していた。
だから、わたしはいじめなんて卑劣な真似をしないし、する必要もなかったはずだった。
けれど、わたしはシアに嫌がらせを行い、そして殺そうとすらした。
わたしがシアの敵になったのは、最初からじゃない。
二年前、最初に出会ったときは違ったのだ。
☆
シアは学園でたった一人の平民出身の入学者だった。
他は王国や外国の貴族の子女ばかりだったから、「下賤な生まれの」シアに敵意を持つ生徒は大勢いた。
そもそも貴族の作法を知らないシアは、それだけでも人間関係を作るのが不利で、いつも孤立しがちだった。
彼女がいじめられるのは、ある意味では当然の結果だった。
たった一人、シアの味方をしたのは……わたしだった。
シアは心優しい少女で、なにより、とても優秀だった。さすがは平民で唯一学園に入学しただけのことはある。
天才といってもいい。
わたしはそんなシアを目にかけた。将来、わたしが王妃となったとき、彼女の才は有用になる可能性がある。
そんな打算から、わたしは彼女に近づいた。
しかも、平民出身のシアは、話してみると、なかなか面白い子でもあった。貴族社会のことしか知らず、貴族の友人しかいないわたしにとって、シアは新鮮な存在だった。
わたしはシアを友人として認めた。わたしは、国内有数の名門公爵の令嬢であり、王太子殿下の婚約者だった。
だから、わたしがシアの味方をすれば、表立って彼女にいじめをする者もいなくなる。
そして、わたしはシアを婚約者の王太子アルフォンソたちにも紹介した。
ここまではすべてが順調に見えた。
同時に、わたしは愚かで、傲慢だった。
シアに目をかけてやった、友人にしてやった、いじめをやめさせてやった。
すべてが上から目線だった。
そう。
わたしとシアの力関係は、常にわたしのほうが上だと信じて疑わなかったのだ。
だけど……。
王太子アルフォンソは、一瞬でシアの虜になった。わたしという婚約者がいるのにも関わらず。
理解はできる。
わたしがシアよりも優れていたのは、身分だけだった。
頭の良さも、魅力的な話術も、庇護欲をそそるような可愛らしい態度の見せ方も、わたしにはなかった。
わたしは自分の美しさに自信があったが、シアはそれを上回った。シアの持つカリスマ的な華やかさも、可憐さも、わたしにはなかった。
わたしは王太子のことが好きだった。王太子はかっこよくて、なんでもできて、紳士的で、そしてわたしを理想の婚約者だと呼んでくれていた。
王太子はわたしのことを愛してくれていると信じていた。
王太子の心が離れたことを知ったとき、わたしは衝撃を受けた。
友人のシアに、婚約者を奪われるなんて。
それでも、正式な婚約者はわたしだった。シアも王太子の告白を受け入れなかった。
このとき、わたしにはまだ余裕があった。シアの友人でいられた。
ところが、シアは教会の聖女に選ばれた。奇跡を起こす、神聖な存在。それは、ただの公爵令嬢よりも、ずっと立場が上だった。
学園の生徒も教師も、手のひらを返したように、シアをちやほやしはじめた。
以前はわたしに媚を売ってきた女子生徒も、わたしに言い寄ろうとした男たちも、みんなシアの歓心を買おうとした。
少女たちはシアの才と容姿を褒め称え、少年たちはシアに魅了されていた。生徒だけでなく、わたしの従者の少年すら、シアに言い寄ろうとしたという。
そして、反対に、わたしからは人が離れていった。王太子がわたしとの婚約を破棄し、聖女シアと結婚しようとしているという噂が流れたからだ。
わたしは追い詰められていった。これでは、まるで、わたしがシアの引き立て役ではないか。
そう気づいたとき、わたしのシアへの友情は、憎悪へと反転した。
ある日、学生寮のわたしの部屋に、シアがやってきた。
シアは寝間着姿の可愛らしい姿で、わたしを真紅の瞳で上目遣いに見つめた。
わたしはその姿を見るだけでも、嫉妬と憎しみに狂いそうで、でもシアは友人だから、快く部屋に迎え入れた。
シアは相談があるという。困ったように、シアは頬を赤くしていた。
シアは、わたしの弟のフィルから告白を受けた、と言った。
わたしにはまったく懐かなかったあの弟が、シアのことを好き?
信じられなかった。
「私……フィル様のお気持ちを受け入れようと思うんです」
「でも、アルフォンソ殿下もあなたのことが好きなのよ? 告白されたんでしょう?」
「それは……一度お断りしています」
「けど、殿下は今でもわたしとの婚約を破棄して、あなたのことを婚約者にしようと思っているわ。殿下より、フィルのほうがいいってこと?」
「……殿下はクレア様の婚約者ですから。あの……私がフィル様の恋人になれば、私のことを諦めてくださると思うんです。殿下もクレア様との婚約を破棄しようなんて、きっと言わなくなります」
ああ、つまり。
シアはわたしに遠慮しているのだ。
だから、王太子の想いを受けれない。
いいえ、きっと……わたしのことを哀れんでいる。
だから、わたしの弟の恋人になるといった。惨めなわたしを王太子の婚約者でいさせるために。
わたしは……感謝すれば良かったのかもしれない。
シアは友人としてわたしのことを想ってくれていた。
けれど……
そのとき、わたしはシアに平手打ちをした。
シアは呆然とした顔をしていて、わたしも引き返しがつかなくなった。
こうして、わたしたちの友情は終わった。
わたしはシアと一緒にいることに耐えられない。すべてを手に入れたシアに、哀れまれながら学園生活を送るなんて、できない。シアへの憎しみを押さえることもできない。
そして、わたしは、少なくなった取り巻きたちと公爵家の家名を利用して、シアに様々な嫌がらせを行った。
シアの大事な時計を盗んだり、部屋をめちゃくちゃにしたり、物置に閉じ込めたり……。でも、シアは一切、弱った様子を見せなかった。わたしが犯人だとわかっても、王太子に言いつけることもしなかった。
そうしているあいだに、シアの名声はますます上がっていき、反対にわたしはますます惨めになっていった。
あの子さえいなければ。聖女シアさえいなければ。
わたしは幸せだったはずだった。王太子の婚約者として、完璧な公爵令嬢でいられるはずだった。そのための努力もしてきた。
なのに……すべてを奪われた。
そして、わたしは最後の手段に出た。
シアの飲み物に神経毒を混ぜ、男たちを差し向けたのだ。
手はず通りにいけば、シアは男たちに襲われ、その直後に殺されるはずだった。
でも、駄目だった。シアの聖女としての力は、神経毒を浄化した。男たちはシアに手をかけようとしたものの、駆けつけた王太子たちによってすべて捕らえられた。
そして、男たちの口からわたしの名前が出て、現在は罪人として講堂に引き出されて、捕らえられている。
☆
王太子も、近習の少年たちも、他の生徒たちも、わたしをまるで汚物かのように蔑んだ目で見ている。
たった一人、シアだけが、わたしを悲しそうに、哀れむように、美しい瞳で見つめていた。
わたしが口を開こうとすると、誰かがわたしにコップの水をかけた。
びしょぬれになったわたしの髪を、誰かがつかむ。
そして、頬を強く張られた。さらに別の人間に腹を蹴られ、さらに殴られ……。
わたしは声を上げることもできなかった。
シアだけが「やめてください!」と叫んでいたが、誰も止まらなかった。
王太子の命令なんだろう。
もう、わたしはおしまいだ。
聖女を殺そうとした。王太子の不興を買った。罪は重く、許される余地はない。
やがて、一人の少年が、わたしの前に立った。
黒髪黒目のほっそりとした男の子だ。
肌は色白で、まつげは長く、女の子といってもとおるような、可愛らしい顔立ちをしている。
だが……その瞳には憎悪がこもっていた。
「フィル……」
わたしは弟の名を呼んだ。
フィルはわたしを見下ろし、薄ら笑いを浮かべた。
「姉上は愚かですね。どうしようもない人だ。僕らのシアを……殺そうとするなんて」
フィルの手には短剣が握られていた。
まさか……わたしを殺すつもり?
王太子は何も言わず、フィルにうなずいてみせた。
……死にたくない。
何もかも、わたしが悪い。わかってる。
でも……!
わたしはフィルの前にひざまずき、そして、すがった。
「た、助けて……。わたし、あなたの姉でしょう? か、家族でしょう?」
「姉上を……あんたを姉だと思ったことなんて、一度もありませんでしたよ」
次の瞬間、胸に焼けるような痛みが走った。
フィルの短剣が、わたしの胸を貫いていたのだ。
激痛と流れる鮮血に、わたしは死を覚悟した。
だんだんと意識が薄れていく。フィルの冷たい瞳が、わたしを見つめていた。
誰もわたしが死んでも悲しまない。
王太子の婚約者でなくなったどころか、家名に泥をぬったわたしは、両親にとっても切り捨てるべき存在のはずだ。
取り巻きの少女たちも、誰一人、わたしに手を差し伸べようとはしなかった。彼女たちも、わたしを友人だなんて思っていなかったんだ。
かつて好きだった王太子は、わたしを蔑んだ目で見たままだった。
そのとき、ただ一人、わたしの前に駆け寄った女の子がいた。
シアだった。
シアは美しい銀色の髪を振り乱し、泣きそうな表情で、わたしの手を握った。
「クレア様……いま助けますから」
「どうして……わたしはあなたに……ひどいことをしたのに」
「クレア様は私の大切な友達です。たとえ、クレア様が私のことを憎んでいたとしても。……ごめんなさい、クレア様」
わたしは微笑んだ。
ああ……。
シアはやっぱり優しい子だ。聖女と呼ばれるにふさわしい。
わたしはシアの手を握った。
「シア……最後にお願い。わたしのことを……許してくれる?」
シアは真紅の瞳から涙をぽろぽろとこぼし、うなずいた。
わたしは、ありがとう、と言おうとして、でも、その言葉は声にならなかった。
こうして、わたしは命を落とした。……はずだった。
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