第2話 聖女様との出会い②

服や身体が濡れているのは鍵を探し回ったからなのだろう。


「お願いします……」


頭を下げて頼み込む遥花を断るつもりはない。

音絃は黙って背を向けてバスタオルを取りに行き、投げ渡すと遥花の頭の上に無事に着地した。


「散らかっているがそれでもいいなら上がっていいぞ。それが嫌なら玄関で我慢してくれ」


そしてまた黙って中に戻った。

初対面の女子とのこの状況での話し方が分からないが、そのまま放置する訳にもいかない。

遥花の顔や姿は見えないがそのまま必要事項だけを淡々と話す。


「すぐ左のドアを入ったら浴室がある。着替えはジャージを用意するからとりあえずシャワー浴びて来いよ。鍵はかかるから安心しろ」


音絃はキッチンに向かい再度、電気ポットに水を貯めてから電源を押す。

風邪をひく前にシャワーを浴びてくれるか心配だったが、その必要はなかったらしい。

そう思っていた直後に浴室のドアが閉まる音が聞こえた。

遥花が浴室に入ったのを確認すると、ジャージを用意しようと寝室に向かいドアを開ける。

そして音絃は目の前に広がっていたその光景に思わず絶句した。

足の踏み場もない程に散らかったこの部屋はまさに地獄絵図。

その現状を目の当たりにして音絃はもう手遅れだと悟り、歩ける道だけ作っておいた。

サイズの事も配慮して大きめの中学時代に使っていたジャージをタンスから取り出す。


「ドアの前にジャージを置いとくぞ」


そしてその場から立ち去ろうとすると遥花の声が浴室から聞こえてきた。

内容は至ってシンプルだが、重大な問題だった。


「あの……下着も濡れてて……」


不覚だった。

さすがに女性下着を集める趣味など持ち合わせてはいないので勿論もちろんこの家にはない。

今の音絃が考えられる手段は三つある。


其の壱、俺が人目を恥じながら女性下着を買いに行く。

其の弐、遥花が俺が買ってくるのを嫌がるのであれば、少し我慢して買いに行って貰う。

勿論、そんな格好をした女性を一人で夜道に出す訳にはいかないので付いて行く。

其の参、そもそも下着を買いに行かずに過ごしてもらう。


其の参はおそらく選ばないだろうが、そのくらいしか思い付かない。

この家に来たということは何らかの理由でここに来ざるを得なかったのだろう。

だが、今はその何らかの理由を聞くべきではない。

そして音絃は三つの選択肢のうちどれがいいかを聞いた。


「……ちょっと考えさせてもらえませんか」

「いいよ。もっといい案があるならそっちにしてくれてもいいからさ。とりあえず決め終わるまで待つよ」


遥花は少しだけ考えて結論を出した。


「えっと……三つ目にしてもいいですか?」


遥花は驚く事に其の参の下着を付けない選択をし、正直これはないと思っていただけに驚いた。

ジャージなので下着を付けているのか、いないのかは分からないが恥ずかしくはないのだろうか。


「分かった。じゃあリビングに行くけど夕食は何がいい?ラーメンと焼きそばしかないけど……」

「ラーメンは何があるんですか?」

「えっと……豚骨と醤油と塩があるけど」

「醤油でお願いします!」

「お、おう……」


やけに食い気味だったがまさかカップ麺食べるのが初めてとかそんなはずはないだろう。

注文通り醤油ラーメンにお湯を注いで、音絃は塩ラーメンにお湯を注ぐ。

出来るまでは三分間の時間がある。

この時間は短くて長い不思議な時だと小さい頃から思っていたが、今日は違ったらしい。


「あの……」

「ああ、上がったか……寒くない……か?」


別に遥花に好意を抱いている訳では無いが、中学時代のジャージとはいえ自分の名前をつけている物を同級生の女子が身に付けているのは思春期男子にとってはくるものがある。


ドライヤーで乾かしたばかりの髪は授業中に見た時よりもずっとさらさらとした印象を持たせる。

それに綺麗な二重ふたえまぶたの下から見えるパッチリとした青い瞳はどこまでも深く美しい。

その上に下着を付けていないなんて状況が揃えば理性が揺らぐ者も少なくはないだろう。


「どうしたんですか?」


キョトンとした顔で遥花は聞いてくる。

純粋無垢じゅんすいむくな女性とは遥花の事を言う言葉かもしれない。

そうとまで思える程にあどけないのだ。


「いや……なんでもない。冷める前に食べろよ」

「本当に頂いてもいいのですか?」

「いいよ……逆にこれくらいしか出せなくてごめんな」

「いえいえ……貰えるだけでもありがたいです」


遥花は目を今まで以上にキラキラさせながら時間が経つのを待っているようだ。

それが出してくれた人を安心させるための演技には到底見えない。


「なあ、白瀬ってカップ麺を食べるの初めてだったりする?」


遥花はそれを聞くとこちらを見て驚いた表情を見せた。

まさかとは思ったが勘は当たっていたらしい。


「どうして知ってるんですか?!」


「どうして?」とこちらに聞きながら、つんいの状態でどんどん近付いて来る。

純粋無垢、それ故に相手が同級生の思春期男子ということを忘れてしまう。

遥花は鼻先が当たる距離まで近付く。


「白瀬……その……顔が近いんだが……」

「え……?」


今更遥花は顔の距離が近い事に気付いたようだ。

音絃の目の前で顔が真っ赤になっていく。


「す……すいませんーー!わ、わ、私……気になることがあるとすぐに我を忘れてしまうんです……」

「なるほどな……まあ気を付けろよ……。下着つけてないんだろ……」

「はぅぅ……!そうでした……」


狼狽うろたえていた遥花は突然へにゃりと身体の力が抜けたように音絃の前に倒れ込んだ。


「すいません……」

「だ、大丈夫なのか……?」

「昔からこうなので……安心して下さい」

「とりあえず水持ってくる」


音絃はコップに水をそそいで渡すと遥花はそれを一気に飲み干した。

顔色も元に戻った様子で落ち着いている。


「ありがとうございます……。落ち着きました」


遥花の表情が玄関で話した時の表情に戻る。

またどこまでも一人だと言わんばかりのいつもの表情に。


「先程の話ですが、私はカップ麺を食べるのは今回で初めてです。前々から味は気になっていたのですが、なかなか食べる機会がなく今日に至ります」

「なるほどな……てかもう出来てるぞ」


あれから五分程経っているので伸びている可能性はあるが、初めて食べるなら黙ってても大丈夫だろう。


「そうなんですね。それじゃあ……いただきます」

「いただきます」


遥花が食べ始めてから音絃も追って食べることにした。

音絃は純粋に遥花が食べたらどんな反応をするのか気になった。


「美味しい……けどこれは身体に悪そうですね……」

「まあ……そうだな。だが美味しくて用意するのも簡単だからこれに頼ってしまうんだよ」


料理も家事もできないから頼ってしまうのは悪い癖だと音絃自身でも分かっている。

少し考えた顔をした遥花は手にあごを乗せている。

本当はお気に召さなかったのかもしれない。

それなら無理をして食べなくてもいいよと音絃が声をかけようとすると遥花が先に口を開いた。


「夕食……今度から私が作りましょうか?」

「え……?」


予想もしていなかった提案に音絃は戸惑いを隠せなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る