ファッション罪名

 混雑した電車は嫌いだ。


 おしくらまんじゅうをしているみたいに他人と肌を触れ合わせなければいけない環境を強いられるのだから。……毎日毎日、同じ時間に電車に乗るからこうなる。

 会社おとな学校こどもの時間をずらせば、混雑も解消される気もするけど……。どうして始業を朝に集中させるのかなあ……。

 昔からそれで社会が回ってきたからってのは分かっているんだけどね。


 しばらくして、乗り換えができる駅に着くと、降りる人が多いけど同時に乗ってくる人も多い。だから結局、この時間だとあまり変わらない……。


 押し寄せてきた人の波に、今の立ち位置を移動させられ、アタシは自動扉に押し付けられる。勢いあまって、額をガラス部分に打ち付けた。……がん、と視界の中で星が散る。

 その時に、握っていたスマホを落としてしまい……——っっ、ああもうっ、最悪っ!


 屈むことができないくらいに、ドアと大人に挟まれてしまっている。さすがに足が宙を浮くってことはないけど、伸ばした指も届かない。

 煌びやかな伸ばした爪が引っ掛かるかな、と試してみたけど、それも無理だ……、電車の揺れでスマホが移動しなきゃいいけど……。


 軽く、足のつま先でスマホをずれないように支える。人が空いた時に屈んで取ればいい……、けど、女子高生にとってのスマホは手鏡と同じくらいのキーアイテムだ。


 化粧を確認する手鏡は現在を。


 膨大な情報量を蓄えているスマホは過去の蓄積と他人の個人情報を。


 ……あとで回収すればいいや、と思っても、失くしたことを考えると、握りしめていないと不安になる……。


 ちらり、と後ろを見ると、サラリーマンの男の人がアタシに背中を預けている……、いや、この人も前の人に押されているのだろう……。


 背中で感じるけど、ぷるぷると小刻みに震えているのは、アタシに全体重をかけないように堪えてくれているからかな……?


 最低限のマナー、ではあるが、平気で体重を預けてくる大柄なおっさんもいるので、少しは優しいと感じてしまう。

 ただ、アタシに痴漢冤罪をかけられるかもしれないから、と怯えているだけとも言えるけど……、そんなことしないのに。


 それが相手に伝わることはないのだから、仕方がない自衛の方法かな。


「う、」


 電車が大きく揺れ、再び、がんっ、とドアの額を打ってしまう。思ったよりも大きな音が響いてしまい、少なくない視線がアタシに集まっていた……は、恥ずかしっ!?


 さっと視線を逸らして、体を縮こまらせる。


 すると、さっきよりもアタシが使える空間を空けてくれたのは、後ろにいるサラリーマンだった。……つり革を力強く握っているせいで、手の甲の血管が浮き出ている。


 ……ありがとうございます、と小さく呟き、アタシは足下のスマホへ視線を落として――あ。



 ない。


 スマホが、今の揺れで人の足下を縫って、どこかに消えてる!?



「うそ、うそうそうそ!?」


 小声で、声が漏れてしまっていた。

 だって、それだけヤバいってことだもん!


 さっきの揺れで移動したのなら、そこまで遠くへはいっていないはず……、だけど今の位置から視線を回しただけで見える場所にはない……。


 屈むか、寝転がって視線を下げて見てみないと、移動したスマホの居場所は分からない。


 だけどこんな混雑している車内でそんなことをすれば、アタシが疑われる……、というか確定されるだろう。痴漢でないにしても不審者だし、冤罪じゃなく現行犯で逮捕だ!


 どうしよう、どうしよう……っっ、あのスマホには疎遠になった中学時代の友達の個人情報だって入っているのに!

 画面ロックなんて今の時代、そこまで厳重なロックでもないだろう、回数制限を設定していない以上、時間をかければ解けるってことなのだから。


 四桁以上の番号ではなく、指の動きであっさりと解除できる設定だから……、あんなの、繰り返していれば数十分で解けてしまうのでは!?


 毎回、解くのが面倒だからって簡単なものにしなければよかったっ! ロック画面があるから一応は警戒しています、というポーズは、本気で解こうとしている人間には薄い壁でしかない。


 スマホを絶対に手離さない自信があるからこその手軽なロック画面だ……、だけど、どれだけ意識していても、落とすことは必ずある……。


 アクシデントはアタシの執念なんか、嘲笑してくるのだから。


 あぁああああ…………、今頃、アタシのスマホは隣の車両に……、



「これ、君のかな?」


 と、後ろにいたサラリーマンの男性が、アタシのスマホをすっと差し出してくれた。


 拾ってくれたのだろうか……、え、混雑しているこの車内で?


 ――と思ったら、アタシが焦りで目の前が真っ白になっている間に、車内の人が降り、少しだけ空間ができていたらしい……、男の人が屈めるぐらいには。


 足下にあったアタシのスマホを拾って、届けてくれた……。


「あ、はい……」


「気を付けてね。じゃあ、俺はこれで……」


 扉が閉まる。

 ――電車が、アタシの背後で、次の駅に向かっていった。



「……君も、この駅だったの?」

「え。あ、そっか、次の駅だ」


「間違えたの? それとも俺になにか用?」


 まるでこの男性を追ってきてしまったかのような行動だ……、

 まあ、間違いではないのだろうけど。


 アタシは、「君の?」という質問に「はい」と答えただけだ。

 この人に、拾ってくれたことへのお礼は、まだ言えていない。


 それは……最低限のマナーもできていないことになる。


 見た目通りのギャルだけど、お礼はちゃんとする。

 ちゃんとしている人がギャルをしたっていいじゃないか。


「ありがとうございました、お兄さん」


「え、ああ……どういたしまして。……ちょっと怖かったよ、スマホを勝手に触って――それで『痴漢』だなんて言われたらどうしようって思ったから……」


「しませんよ、そんなこと……。というか痴漢になります?」


「痴漢でなくとも――セクハラとか? 女の人が使用していた『ぱん、』……衣服を触ったら、セクハラだって思わない?」


「確かにパンツの匂いを嗅がれたら、問答無用でセクハラですね。痴漢です」


「……そういうことだよ。だからスマホだって、同じことなのかなって思って」


 中身を覗かれたらセクハラとして訴えるけど、ただ触っただけならなんとも思わない……、ましてや、アタシが失くして困っていたものを拾って届けてくれたのだから、感謝をしても痴漢だなんて言うわけがない。


 でも、お兄さんはそんなことは分からないわけで……。


「やっぱり、警戒します……?」


「そりゃあね。たとえ冤罪でもさ、痴漢の容疑をかけられたってレッテルが、一度は貼られてしまうんだ。……会社、家族に、説明する時に嫌じゃない? 

 たとえその後、疑いが晴れたとしてもさ、そういう容疑をかけられる人間、というレッテルは剥がれないからね――」


「……サラリーマンなら、尚更……」


「うん、サラリーマンなら尚更。遅刻することを伝える時に、電話で説明しないといけないからね。痴漢冤罪です、って。その冤罪がかかった時点で、俺という人間の評価は大きく左右されてしまうから」


「……だから……本当は関わらないのが、安全ですよね?」


「そうだね。リスクを考えれば拾うべきじゃなかったかもしれない。でも、後ろの君が小声で助けを求めていたから、見て見ぬ振りはできなかった……。

 まあ、冤罪をかけられてもいいかなって思ったからこそできたことなんだけど……」


「え、アタシ、言ってました?」


「小声だから、俺にしか聞こえていないと思うよ」


 この人に聞かれているだけでも恥ずかしい……。

 スマホ一つで、他人に心配されるほどアタシは追い詰められていた、と思われる!


「ち、ちがっ、スマホに大事なデータがあってっ! それで焦って!!」


「俺だって失くしたらゾッとするから、別に変じゃないと思うけど……——おっと、噂をすれば、痴漢冤罪をかけられたサラリーマンが目の前に」


「え?」



 彼の言う通り、向かい側の車両で、痴漢冤罪をかけられているサラリーマンの人がいた。

 隣にいるお兄さんよりも年上で、体も大きい。


 あ、いや、冤罪って決めつけたけど、本当に痴漢なのかもしれないし……。



「――ふざけんなッ、痴漢なんかしてねえよ! 満員電車で少し動かした腕が――たまたま小指に、お前のスカートが引っ掛かっただけじゃねえか! 

 事故だ、事故ッ! 見てもいなければ触ってもいねえよ! スカートがめくれたくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐな、鬱陶しいっ!!」


「さ、最悪ね! アンタは見ていないかもしれないけど、遠くからわたしのパンツを見ていた人がいるかもしれないでしょ!?

 もしかしてアンタがスカートをめくる役割で、遠くから高画質カメラでわたしのパンツを撮影でもしているんじゃないの!?」


 ……勘違い、っぽいけど。

 女子高生の方も、意図的に痴漢冤罪をかけているってわけでもなさそう。


 どっちも悪くない、んだけど……。


 こういう場合はサラリーマンの方がダメージが大きいんだよね……?


「……ありゃわざとだな」


「え、なんで分かるの?」


「あの子、この前も同じやり方でサラリーマンをはめてたぞ。そういう遊びなのかもな。痴漢冤罪をかけることで、サラリーマンの社内での評価を落とそうとしているのかも……。

 見届けられないのによくやるぜ。それとも、見届けられる位置にいて、観察してきゃっきゃと笑っている、身内の子なのかもな……」


 被害者であるという立場を利用し、大人をはめて遊ぶ女子高生……。


 子供の言うことをまともに受け取ってはいけない――からと言って、全てを切り捨てていたら、回避できたはずの事故も回避できなくなる……。


 子供だからこそ気づけることだってあるのだ。


 振り回されることの方が多いが、それでも芯を突く子だっている……。


 そうなると今回のこれも、あの女子高生の『嘘』だと見破るまでは時間がかかるかな……。


「痴漢冤罪のレッテル、か……」


 拭うのが難しい、強いマイナスイメージだ。



「ま、手っ取り早くレッテルを上から貼り直すことはできる」


 と、お兄さんが言った。


 どうやって、と聞く前に、女子高生とサラリーマンに、動きがあった。



 ―—サラリーマンが、右の拳で女子高生の顔面を殴ったのだ。



「きゃっ!? え、えっ、なっ、殴った!? 女の子の顔を、グーで!?」


「なるほどな……。これであのサラリーマンは、『暴行罪』になる。だからこそ、痴漢冤罪なんてものはさっきよりも小さくなった――誰もそっちに目を向けなくなる」


「そうなの!? で、でも! 暴行罪の方が罪が重いし……、

 そもそも冤罪は無罪だけど、暴行罪は有罪で……ッ」


「そうだな。覚悟を決めたんだろ。他人に説明する時、痴漢冤罪だった、と言うよりも、暴行罪で逮捕されました、の方がまだ格好がつく。……主観の話だぞ?

 冤罪で痴漢より、有罪で暴行罪の方がまだマシだって話なんだよ」


「そんな、バカなこと……」


「バカだよな。だけど男ってのは、覚悟を決めれば女子供でも殴れるぞ? だからあんまり無茶なことをしてると、顔に傷ができて、お嫁にいけなくなるからな――気を付けろよ」


 もしも。


 アタシも、たとえば痴漢だのセクハラだの叫んでいたら……ああなっていた?


 男性を追い詰め過ぎれば、アタシもああなっていたかもしれない……。


 化粧を台無しにするほどの鼻血で顔を赤く染める、涙目の女子高生のように――。



「悪意を力でねじ伏せる。

 有罪を受け入れてしまえば、なんでもできるんだから」

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