謝罪会見

「二メートルもねえくらいの距離の横断歩道にある信号機に、意味なんてあるのか?」


「……あん? 部屋に入ってくるなり、なんの話だ?」


「おっと、手を止めるな、大した話じゃない。弁当を食いながらでいいぜ。

 ——ここに来る時にな『それ信号無視ですよー』なんて言われたんだよ……。まさか奥で警察が見てるとは思わなかったからさー、油断しちまった。

 しかも女子だ。正義感が強そうな【新人ちゃん】なんじゃねえかな」


「あー、このビルの近くにもそういう場所があったな……。

 もしかして、想像した場所のことを言ってるのか?」


「かもな。ほらあそこ、でけえ池と公園がある近くの、」


「あそこか、ならおれも知ってるぜ」



「じゃあ分かるだろ? あの距離の幅で、信号機があっても誰も止まったりしねえって。まあ子供は止まるが、サラリーマンや主婦なんかが止まってるところを見たことがねえ。

 信号機ってのは安全を確保するための目安だろ? 自分の目で安全を確保できてるなら、信号機に頼る必要もねえってことじゃねえか。

 見通しが良い砂漠に立ってる信号機を律儀に守る必要があるか?」


「言いたいことは分かるが、ここは砂漠じゃねえだろ」


「同じことを言われたぜ、小柄な新人ちゃんにもよ」


「新人かどうかも確定じゃねえだろ……、あと小柄なのか……。

 もしかして情報を小出しにして、おれにその子の容姿を想像させようとしてるか?」


「してねえよ。それはお前の方で勝手に楽しんでくれ……止めはしねえから」


「あっそ。……言われたってことは、お前、今の屁理屈を言ったのかよ」


「言った言った。『この信号機の目的は渡る人の安全なのか、それともルールを守ることを習慣化させることを目的としているのか、どっちなのか?』ってな」


「…………」


「命を守るためなら、信号機に頼るまでもなく自分の目で安全が確保できるなら、赤で渡っても無視にはならねえだろ。信号無視はつまり、危険無視だ。その『危険』がないのなら、無視でもなんでもねえ――赤から青に切り替わるタイミングを省略しただけだ。

 じゃあ信号の『青なら渡る』、『赤なら止まる』ってルールをただ守るだけを目的としているなら、別に道路を挟む必要はねえじゃねえか。

 歩道のど真ん中に、信号機をぽつんと置いておけば――『青なら進む』、『赤なら止まる』を学習できるだろ? わざわざ車道を挟む必要ってのは、なんだ?」


「まあ、両方を意識させるためだとは思うがな……」


「優先順位は?」

「知るか。その子に聞けよ」


「聞いたら顔を真っ赤にして、『いいから守ってくださいね!』って怒って思考停止だぜ。当然、こっちは命を守るためだと言うと思っていたんだがな……」


「命を守るためなら、信号無視に理由ができるしな」


「俺だって、でけえ交差点で信号無視はしねえよ。ただあの幅の道路に信号機があっても守る必要ねえじゃんっ、って言いたいだけなんだよなあ……」


「守らなくていいんじゃねえの? 万が一、事故に遭ったとしても誰のせいにもしねえなら、好きにすればいいじゃんって話だしな」


「安全を確保してるから渡ってるんだぜ? 車が通れば俺だって止まるわ!」



 狭い部屋だった。


 二十代後半の男二人は、ガッツリと昼食を終え、空の弁当箱を備え付けのゴミ箱へ放り込む。


 分別はしていなかった……だってゴミ箱は一つだったから。



「スーツ、持ってきたけどこれでいいのかよ……、普段、ラフな格好の社風だからこんな風にスーツをぴしっと着ることもねえからなあ……サイズ、大丈夫かな」


「確認してなかったのか? ピッチピチで表舞台に出ることになるかもな……くっく、」


「笑ってんじゃねえ。お前、本番で笑うなよ?

 ……やべ、意識するとこういうのって笑いたくなっちまうんだよな……」


「お前こそ、棒読みはやめてくれよ?

 だからって過剰な演技もされると……こっちが堪えられなくなりそうだから……っ」


「もう限界が近いじゃねえか」



 数年ぶりにスーツを着る。


 社交界などで着る機会はあったが、今よりももっと楽にしている……。


 粗が出ないように、細部まで徹底して締めるなんてことはしない……。


「う、慣れねえ……」


「俺もだ。まあ数十分の辛抱だろ。それとも数時間かかるか? ……そこまで語ることがあるとも思えねえし、大丈夫なんじゃねえの? 

 結局、言うべきことって一言だしなあ……。学生の頃に書かされた反省文みたいなものじゃんか。あれだって、言うべきことは二行で済むしな。

 原稿用紙、三枚分……なんて指示を出されても、どう文字数を稼ぐかに意識が向いて、『反省』なんか二の次になるし……。言葉って、重ねるほど目的から遠ざかるもんだよ。今回も一言で終わらせて、帰りに風俗でもいこうぜ」


「普通に居酒屋で飲みたい気分だ」


「今回の反省会でもする気かよ……焦る周りにあてられたか、弱いやつめ」


「違ぇわ。ま、反省会と言えばそうかもな……、今回のこれを体験しておけば――中身をパターン化させてしまえば、二回目、三回目も簡略化できるだろうし……。別におれらの言葉なんか聞いちゃいねえだろ。表に出てきて、決まった音を出しているかどうかじゃねえか?

 便利なもんだぜ。決まった音の羅列でできた『言葉』を吐き出せば、向こうは納得するんだからな。見えるポーズもそうだ。これまでの歴史の中で積み上げてきたものがそのまま使える。こっちに意志が宿っていなくても、それを見せれば最上級だって勝手に思い込んでくれるんだからな――先祖、様様だぜ」


「え、土下座しないといけないの?」


「場が収まらないならな。あ、だけどあんまりすぐにするなよ? すぐに出す『雑魚カード』だと思われたら価値が下がる。こっちの『切り札』を出した、と相手に思い込ませるんだ……そこまで価値を高めて、相手をスッキリさせてやる……——相手が納得するかどうかじゃねえ。こっちが相手をどう満足させるか、だ。だから誘導してやればいい……、簡単じゃねえけどな」


「サンドバッグになればいいのでは?」

「相手が調子に乗る可能性もあるからなあ……、手っ取り早いけど危険もある」


「じゃあどうする」


「無難なところで、定型文の羅列でいいんじゃねえの? 手元にカンペもあるからまあ大丈夫だろ……。あ、時間までまだ十五分あるのか……、どうする? 煙草、吸いにいくか?」


「喫煙所でばったり会っても嫌だし、屋上にいこうぜ――」



 ―――


 ――


 ―



 ……謝罪会見が始まり、矢面に立った二人が聞かされたのは、個室での自分たちの会話だった。……記者たち、そして同時にネット配信もされているので、彼らがなにを言ったところで誠意など伝わるわけがなかった。


 予定していた定型文の羅列も、これでは意味がない……というか、なにを言っても、相手に謝罪の気持ちが伝わるわけがなかった……。



「も、申し訳ございません……あの、土下座を、」


「……へえ、早速、切り札を切るつもりですか?」


 女性記者の鋭い切り込みに、切り札も切れなくなった男たちである。


「謝罪会見の直前に、まあ楽しくお喋りをしていましたね……、というか、ボイスレコーダーによる録音以前に、来るまでの通路でのお喋りが、ここまで伝わってきていましたので録音を流すまでもないと思いましたけどねえ……」


「え、意外と壁が薄……っ」


「この場にいる女性記者の『可愛い顔ランキング』なんて、大声ですることですか?」

「お、怒っていますね……あ、もしかしてあなたが七位だからですか?」


「この場に八人しかいないので……っ、喧嘩、売ってますよね?」


「そんなことはありません! ……でも、最下位じゃなくてほっとしてます?」


「っ、あのっ、謝罪会見だってこと忘れていないですよね!?

 謝る気がないことは重々承知で、やる意味なんてないでしょうけどっ、場を整えた以上は最後までやり切ってくださいよ!?」


「でも、謝る気がないことを理解しているんですよね?」


「ええもちろんね! ネット配信もしていますから、全世界の言葉の暴力に打たれ続けろ! これから一生、誹謗中傷のサンドバッグだ、あんたらはッッ!」

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