第4話 総大将襲撃事件と忍者一家

「鉄ちゃん、玉ちゃん、夜なべによう付き合うてくれたな。有難うよ、ボチボチ寝るとするか」

 時はそろそろ子の刻になろうとしていた。

「明日はな、一緒に此れを持って行こうな」

 行くと言う言葉に喜んで小屋の中を走り回っている。

「おい!寝る前に走るなや、埃が舞おうが」

 だがいくら叱っても嬉しいばかりで御構いなしである。

 与作は今夜も縄をなったり草鞋を作っていた。此の時代には、殆どの家庭で履くわら草履や下駄は自分の家族が作っている。わら草履は稲藁が材料で農家では幾らでも調達が出来るからだ。昼間に農作業を終え、囲炉裏を囲んで晩飯を家族で食べた後、親父やお袋が藁を叩いて縄をない、其れを手足に引っ掛けて器用に作っていく。与作もおばあさんの作るのを囲炉裏の側で見つめている。かき餅やあんころ餅、其れにスルメや小魚を火で炙りながら食べる一家団欒のひと時なのだ。

 与作やハナも見よう見まねで覚えて作っていた。

 更に雨の日やぬかるみで足が濡れないような下駄も、子供ながら面白半分で鋸で板を切り小さな足に合わせて作る、いわば工作みたいなものであった。

 何せ親父が大工で道具が揃っており、材料は山に行くと幾らでもあるのだ。

 然し、農家以外の町の人達には其れも叶わなくて履物屋から買わざるを得ず、此の費用だけでも馬鹿にならない。何せ材料が藁で有り即ぐに駄目になる。特に水に濡れると弱いのだ。

 その為に、与作は自分が履くのは無論だが、特に動きの激しい浅田屋の奉公人達の為には、藁の間に竹の皮や使い古したぼろ布切れを挟み込んで編んでいる。こうする事でダントツに持ちが良く履き易いのだ。

 そして遠くの田舎から出て来て浅田屋で薬を買って頂くお客様の為に、何時も店先の軒下にぶら下げていたのだ。勿論お持ち帰り無料であった。

 三次商店街に有る多くの商店ではこんな事をする処は何処も無く、更に店先には縁台を置いていたので必然的にお客様の呼び込みになっている。

 与作は浅田屋に入店して日も浅かったが、今迄にはこんな事をする奉公人は誰もおらず重宝がられていた。

「皆んながこうして飯が食えるのも浅田屋あっての物種だからな、感謝!感謝!よし、小便してから寝るか」

 鉄も玉も連れしょんで外に出て来た。外に出て見ると満月でかなり明るい夜であったが、ただ厚い雲がかかりそうになっている。

「雨は降らんじゃろうがラーちゃん寝とるかのう」

 と言いながら松の木を見上げると巣からこちらをキョロキョロ眺めているではないか。日中は騒々しいのだが夜中には鳴かない様だ。

 ラー助は鳥類であり、こいつは果たして鳥目なのかなと疑問に思ったが実際は分からなかった。玉が拾って来て家族の一員になってからラーちゃんは自由奔放でとても普通のカラスとはかけ離れていた。その上に人間の言葉を片言ながら喋り会話までする様になったので有る。元来、カラスは頭が良く人間の五、六歳並みの知能を有しているといわれる。特にラーちゃんは鉄、玉、与作と一緒に暮らしている為に本人は限りなく人間に近くなっているのだ。更々カラスとは思っていない。与作に言われた事に殆ど反応する様になっていた。

 与作はラー助に「寝ボケて落ちるなよ、おやすみ」を言うと小屋の中に入って来た。

 行燈を消すと何時もの様に川の字に並んで横になっていた。即ぐには寝付かれなかったが突如鉄の耳が立った。そして玉もガバッと立ち上がった。

「オイッ、どしたんじゃ!何かあるんか?」

 与作には何事か全く分からなかった。すると玄関の戸の前に鉄が駆け下りて行き耳をそば立てているではないか。

 一声も発しない。静寂の中、間道から小屋に向かって来る、何かの足音が与作にも微かに聞こえて来だした。

「こんな夜更けに何事なら・・」

 そして間を置いて更に複数の足音が聞こえて来るではないか。

「ウゥン、こりゃ山賊野郎が雨宿りでもするつもりか」

 と緊張が走った。

 やがて庭先に近かずくと玄関戸を小さく叩く音がした。

 鉄を見ると尻尾を大きく振っている。

「お師匠さんだ」

 鉄は即ぐに鼻先を使って小さく戸を押し開けた。

 素早くお師匠さんを招き入れ、音も無く閉めるとお師匠さんに飛びついている。玉も同様に足元に駆け寄った。

 だが気配を感じて一切鳴かない。

 喜びも束の間、鉄は身構え出し、玉も「フゥー」と声を発しながら背中を丸めて持ち上げだした。

「大将、来てしもうた!」

「十人はいますね」

「最初は町中から町人風の二人だけじゃったが、峠から一気に加勢が増えてな、完全武装をしとる」

「ワシも迂闊じゃった。遅うから無理矢理に志和地に行くと言うたもんで「駄目です」と言いやがってからに。ワシも酒を飲んどって気が大きゅうなって癇癪を起こして警護も付けずに来てしもうたんじゃ」

「間者二人くらいなら屁とも思わんかったが、これだけおりゃがるとワシ一人じゃ手に負えそうにない」

「ワシは潔う名乗って出てから討ち死にしようと思うとる。大将に迷惑は掛けられん」

「何をやけくそを起こして馬鹿な事を言うとるんですか」

「でもワシは厄病神みたいな男じゃ、巻き添えにして大将の命まで無駄にしたかぁない」

「ええぃ!事ここに至って何をごちゃごちゃ抜かしとる!ワシに付いて来んかい!」

 与作の凄い剣幕に

「分っ、分かった。大将の指示に従うから。其れにな、ワシは鳥目になった様で暗いとよう見えんのじゃ」

「分かりました。とに角、ワシから絶対に離れん様にして下さい」

 そうこうしているうちに、敵の間者どもは小屋のぐるりをバタバタと足音をたてながら取り囲み中の様子を窺っている。

 この小屋は、与作の父親が随分前に炭を焼き窯の火を維持管理するのに何日もかかる為、仮の住まいとして建てたものである。

 入り口は外開きで鍵なしであったが与作が住むようになってから留守の時の用心に取り付けていた。尤も取られる程のものは何も無かったが。

 窓は東西に二箇所有り半間程の戸板を取り付け、昼間いる時は支え棒でこじ開ける様にし明かりと空気を入れ夜は締め切っていた。

「国久はこの中へ逃げ込みましたが、奴の出入り口は此処しか有りません」

「よし、分かった。袋のネズミじゃな」

 敵の総大将を何とか自分で討ち取り手柄を立てようと連中は血気立っていた。

 満月の月夜とはいえ大きな木が生い茂った暗闇の中で突如、大将らしき奴が大声で叫んだ。

「コラッ!われが尼子国久であるのは分かっとるんど。潔ぎようにとっとと出て来んか。そして此処で腹を切らんかい。首はワシが刎ねちゃるから喜べ。其れとも火を放って丸焼きになりたいんか」

「返答をせんかい!」

 すると与作は

「何をぬかしゃがるワシの豪邸を焼くだと許さん!」

 外には漏れない様な小声で叫んだ。

 事ここに至っても冗談が飛び出す程の冷静さである。

 そして師匠に指図した。

「ええですか。先ずワシが一番前におる奴を遣っ付けます。そいから大物を垂れとる野郎を倒します」

「分かった」

「此れから飛び出しますが後は戦わなければいけません。絶対にワシから離れない様に」

「ワシャ、目がのう」

「気にしなさんな、凄い味方がついておる」

 間者供は段々と間合いを詰めて来ている。壁板の隙間から外の様子を窺っている与作は、今にも玄関戸に手を掛けようとしていた次の瞬間、

「プッ」

 と小さな音がした。すると此奴が前のめりに倒れた。

 其れを見ていた二重、三重にも取り囲んでいた奴等は暗闇の中で何が何やら分からず、起こそうと足元に駆け寄った。

 すると又、次の奴も「ウギャ」と小さな声を発し首筋を押さえながら仰向けにひっくり返ったではないか。

 完全武装をしているのにも関わらず、空いている首筋の隙間を狙われたのだ。

「オイ!何で倒れたんじゃ」

 すると背後から大声がした。

「おい!下がれ、吹き矢じゃ!」

「奴は吹き矢を使うぞ、後へ退がれ!」

「火を放って丸焼けにしろ!」

 与作は「何を抜かしゃがる!そんな事をされたら溜まったもんじゃないわい」

 と叫ぶと

「ワシから離れんといて下さい」

 転がっている二人の前の戸が「パァーン」といきなり開き与作と師匠が抜刀しながら飛び出した。

 国久以外に誰もいないと思われていたが、小屋の中から二人も飛び出すとは相手にとって全く予測も付かなかっのだ。

 なんと与作は着の身着のまま、前ははだけ褌が丸出しでおまけに裸足で飛び出した。

「なんじゃ此奴は!」「野郎はまるで餓鬼じゃないか!」

「取り囲め!串刺しにしろ!」

 其れまで小屋を取り囲んでいた敵の間者が急遽、前に回って来た。与作に二人、国久公には三人が取り囲込んだ。

「オラッ!どん百姓野郎め、子供の刀か!」

 と与作の短刀を見て完全に舐めてかかった。

「ワリャ、命は欲しゅうはないんかい。叩っ斬るぞ!逃げるなら今のうちじゃど」

 と怒鳴りながらいきなり脳天目掛けて上段から振り被ってきた。

 ところがどうだ、相手の振り下ろした一刀を躱すや、いきなり懐に飛び込まれると面食らってしまい、お手上げ状態になってしまった。

 暗闇の中では、大刀を振り回すより小刀の方がはるかに動き易く断然有利である。相討ち覚悟で切り込まれ、次の瞬間右脇腹を切られ、一刀のもとに切り倒されてしまった。

「おい!此奴は何もんなら、ただの百姓じゃないぞ」

 処が、今迄の月夜で明るい空が一気に曇りだし、何も周りが見え難くなったではないか。

 与作にとっては願っても無い状況だ。何せ夜目が利き、鉄、玉同様なのだ。

 だが間者供は其れでなくても足場が悪く、立ち回り難い場所の上に明かり一つ無く、戦況不利となって来た。

 然し、師匠と対峙していた間者供は、目の前に賞金首があると思うと「我こそは、我こそは」と色めき立っていた。

 師匠と云えば鳥目で益々暗くなり前が見えなくなっており、腰が引けて前屈みになり相手構わず刀を振り回し、まるで子供の様な棒振り剣法になっているではないか。

「オイッ、国久はよう目が見えとらんぞ!ええかぁ、一斉に飛び掛かれ!」

 だが次の瞬間、声を掛けた奴が「ギャー」と大声を出してその場に倒れてしまった。そして又、その横にいた間者も「痛たぁ〜」とひっくり返りのたうち回っている。

「鉄!」「鉄!」

 と叫けんだ。

 これには師匠も勇気百倍、二人をなぎ倒してしまった。もう一人はその場から逃げ去ってしまった。

 暗い夜陰に紛れて、真っ黒い狼犬が何処からともなく現れ、目にも留まらぬ速さで襲って来る。

 仲間が噛まれるのを見た間者供は、鉄を大刀を振り回しながら追っかけた。

 国久公を倒すどころではない。 何時、何処から襲われる分からないのだ。

 他の奴等はなんとか鉄を斬り倒そうと追っかけ回した。

 其れこそ鉄の思う壺だ。

 切られそうな距離迄に近寄り追っかけさせる。そして此処までおいてと誘導するのだ。前もよく見えない炭焼き小屋の周りのデコボコの広場で四、五間走った途端に一人の姿が一瞬の間に見えなくなったではないか。

 次の野郎も、深い炭焼き窯の穴に誘導され、盛り土の上に蹴つまずいて頭から突っ込んだ。

 勝手知ったる我が家の庭だ。此処は昔、父親があっちこっちに炭焼き用に掘ったもので、鉄は其れを簡単に飛び越えて行く。此れに間者二人が落とし穴に嵌められたのだ。

 与作は与作で前後を取り囲こまれて対峙していた。

「このど百姓野郎め!ワレを叩っ斬ったる!」

 然し、先程の居合斬りの手口を見せ付けられており、中々切り込んで来れず間合いを計っていた。この時も与作は小刀を握りしめている。

 だが次の瞬間だ!背後の間者が異様な声を発した。

「ギャー、目が!目が、見えん!」

 なんと暗闇の中から飛び出した玉が跳躍して相手の顔に飛び付き両目を鋭い爪で引っ掻いたのだ。

 其れに怯んだ前面の間者も、与作の居合いの一手に難なく倒されてしまった。

 敵のなかにはこの戦況を見ていて逃げ出すものもいた。余程の犬嫌いなのであろう。

 狼犬の鉄は、図体が大きく牙を剥いて向かって来るのだ。恐ろしくないわけがない。一人、二人と駆け出したが簡単に追い付かれ両足を噛まれ、抵抗してくる奴には凄い速さで飛びつかれ喉元を攻撃されている。

 最後に残った、大物をたれた総大将らしき奴が師匠と対峙しだすと

「イヤァ〜、我こそは!」

 相手が叫んだ時、師匠は

「じゃかましい!いらんことを抜かすな!ワレと勝負じゃ」

 丁度その時、与作は少し離れた場所でもう一人と対峙しており

「まずい!」と横目で見て判断したが如何ともしがたい。

「奴は強そうだ!」

 師匠も大きいが、相手は更にでかく六尺以上は優にある。

 大刀を振りかざし、互いの刃から火花が散った。

 そのまま鍔ぜりあいが続き間近で睨み合っていた。その時には師匠は今日の疲れと暗さで殆ど目が見えなかったのだ。

 だが、運が天を味方にしてくれた。

 暗闇を一気に満月が照らし出したのだ。

 これで奴の顔もはっきり見える。ところが安心した瞬間、いきなり外掛けの足払いを喰らい、刃を重ねたまま後ろにひっくり返されてしまった。

「国久!此の素っ首もらった!」

 然し、然しだ!!

 玉がまたもや飛び出して来た。

「我が子がやられてなるものか!」

 玉も必死だ。

 敵の後頭部に飛び付き目隠しをする様に爪を両目に被せたのである。

「ギャー!」

 次の瞬間、相手は首筋を掻っ切られていた。

 寝転がった師匠の上で絶命したままの状態であった。  

 暫くそのまま放心状態であったところに鉄と玉が寄り添って来た。

 与作は戦い終えた事を確認すると、師匠の上に覆いかぶさった敵の間者を横に下ろすと師匠の側に座った。

「大っ、大将!」

 後は全く言葉にならない。涙をぼろぼろこぼしながら与作の手を両手で握りしめ長い間そのままであった。

 そして、ようやく我に返った途端に目の前にいる鉄と玉に気が付くなり

「鉄ちゃん!、玉ちゃん!」

 大声で叫ぶと抱き寄せた。後は

「ワンワン」「ニャー、ニャー」「テツゥ〜!」「タマァ〜!」と大合唱が始まった。

「有難うな。鉄ちゃん!有難うな、玉ちゃん!いや、玉母さん!」

「それにしても鉄ちゃんは忍者犬じゃな。ほんま凄いよ。其れに玉母さん、凄い!凄い!ワシはすんでの所で首をチョン斬られるとこじゃたよ」

 師匠さんから軽い冗談口が飛び出して来だした。戦い終えて殺気も消え失せると

「お師匠さん、泊まっていかれますか」

「大将、そういう訳にはいかんのじゃ。急な用事があってのう、ワシのわがままで夜中に一人で来てしもうてこういう事になったんじゃ」

「分かりました。皆んなで送って行きましょう」

 行くと言う言葉を聞いて鉄も玉も大喜びをしだした。

「ワシャ、ほんまは行きとうないよ。小屋で皆んなと一緒に寝たいんじゃ」

 此処から城まてはまだ一里ほどはあり夜道は長い。

「お師匠さん、歩けますか」

「うん、疲れとるが何とかなるよ。ただな、此の暗さで目がよう見えんのじゃ。鳥目がひどうなっとるんかのう」

「分かりました。鉄ちゃん、お師匠さんを頼むで」

 そう言うと与作は、小屋から縄を持ちだし鉄の首に巻き付け短くしてお師匠さんの右手に握らせた。そして身体にぴったり寄り添って山道を下りて行った。でこぼこ道やぬかるみを避ける様に上手に案内して行く。まるで介護気取りだ。

「鉄ちゃん、有難うさん。お前は本当に優しいな」

 玉といえば与作の懐の中から顔を覗かせ幸せそのものであった。

「大将よ、又、助けて貰うたな、有難うよ」

「ワシも小屋に辿り着く迄に攻撃されとったら、今はこの世におらんかった処じゃよ」

「とんでもない、当然の事をした迄ですよ。礼など辞めて下さいよ」

「分かった、分かった」

「ときにお師匠さん、鳥目に良く効く薬が有りますが明日にもお持ちしましょうか」

「何じゃそりゃ、そんなええもんが有るんか。ワシの奥出雲の方じゃ聞いた事がないぞ。ろくにええ医者もおらんし薬屋も在りゃせん、是非そうしてくれるか。頼むよ」

「さっきはな、暗うてさっぱり前が見えなんでからに、ただ刀を振り回しょったばかりなんじゃ」

「皆んながワシの目の代わりをしてくれたよ」

「状態はどうですか。いつ頃から酷くなりましたか」

「そうよな、昔からじゃないで。ここ一年くらい前からかのう。ワシも分かっとるんじゃが偏食がひどうてな。城の賄い方も栄養管理をようせんのじやろうて。

「然し、大将には何時も何時も迷惑をかけるな」

「お師匠さんの鳥目が進んどるのは多分偏食が一番の原因かと思われます」

「そうよ、ワシがマムシに噛まれて一緒に居った時は体調が良かったからのう。

「其れにあの頃は目もよう見えとったで」

「帰ってから暫くして段々と悪いほうへ戻ってしもうたのよ」

「薬袋に色々効能書きが記して有りますからその通りにして下さい。其れに主人に頼んで目にいい滋養が

 有る食べ物を列記させておきます。城の賄い方に多く摂る様に言い付けられては如何でしょうか」

「お師匠さんの住まわれている処は山の幸、海の幸に恵まれているではないですか。魚介類や海藻がふんだんにあり一番長生きの出来る土地柄ですよ」

「そうじゃたよ。ワシ等は恵まれ過ぎとってかえって気がつかんじゃったよ」

「言われてみりゃ大将が住んどるここら辺じゃ海のものといえば塩物、干物 じゃもんな」

「そうてすよ」

「だからお師匠さんの症状からして急性的なもので慢性化したものでないようです。今からまんべんなく体にいいものを摂り養生すれば直に元通りに回復しますよ」

「そうかそうか、ワシは今日から先生に言われた通りにやるから」

「先生では有りません。冗談ばっかし言われてからに、ただの丁稚です」

「うんにゃ、先生じゃ」

「然し、何から何まですまんのう」

「そりゃええが大将、明日持って来る言うたが無理をするなよ。とてもじゃないが無理で、何時でもええよ」

「大丈夫ですよ。お師匠さんは朝のうちは二階におられますね」

「うん、おる、おる」

「それでしたら呼んだら顔を出して下さい」

 お師匠さんは何の事やらさっぱり分からず不思議な事を言う奴じゃなぁと思ったが

「宜しく頼むよ」と返事を返した。

 やがて色々話しながら歩いて来ると小さな城門が見えだした。

「お師匠さん、私は此処でお別れで御座います」

「いやぁ、大将、今夜は迷惑をかけてしもうたな。ほんま有難うよ。お陰で生命を助けて貰うたよ。鉄ちゃん、玉ちゃんも有難うよ。ほんまにお前達がおらんかったら今頃はよう生きとらんでぇ」

 頭を撫でられた鉄と玉は大喜びをしてお師匠さんを舐めまくっている。

「一寸、待っとれよ。今、お土産を持って来るからな」

「おっと、今日はラーちゃんの姿が見えんかったな」

「そうですよ、今夜は松の木の上から見ておりました」

「ああそうか。ラーちゃんはワシと一緒で鳥目じゃったのう」

 と笑いながら城門の中に入って行った。

 与作は、城の中に入って行く後ろ姿を見つめながら、つくづく武家社会の厳しい現実を思い知らされたような感慨に浸っていた。特にお師匠さんは、上の更に上の方であり世の中の為に、万民の治安を守らねばならない責任をお持ちの御方である。其れ故に敵も多く、今夜みたいにつけ狙われることになる。

 今日来た志和地八幡山城にしても直ぐ下の川一つを隔てると敵の陣地なのだ。

 然し、先祖代々その場所に住んでいる住民にしてみれば何の関係がない事なのである。

 尼子国久大殿様はこの地を二分する国人領主の尼子晴久公の叔父にあたり総大将としてこの地の統括者である。その為、敵も多く何時寝首をかかれるか知れたものではなかった。

 戦国の乱世と云われる世の中を恨まざるを得なかった。

 暫く経ってから、お師匠さんは風呂敷包を持って出て来ると鉄が駆けて行き口に咥えて持って来た。

「有難う御座います」

「今日は遅うまで迷惑をかけたのう。明日、仕事が早いのに本当にすまん事よ」

「いえいえ、結構で御座います。でも私にはまだ此れからやる事が残っております」

「そりゃ何用じゃ」

「はい、今から帰って亡くなった方々の亡き骸を懇ろに葬って差し上げます。そしてその後に供養を致します」

「何、此れからか」

「左様で御座います」

「其れを全部一人でやるというのか」

「其れからお坊さんでも呼んでやるんか」

「いえ、私は丁稚に上がる迄はお寺さんで御住職の伴僧を務めておりましたから一通りの知識が御座います。辞める時に衣装に袈裟懸けを一式頂戴しております」

 いくら戦国時代の世の習いと言えども人を殺してよかろう筈もない。

「 何と言う事か!」

「ワシはな明日にも城から後の始末を頼もうと思うとったんじゃ」

 若いのに写経をする程の心優しさ、与作の大きな人間性を知りお師匠さんは心から感動したのである。

 そして臆面もなく

「だんだん!有難う!」

 を繰り返し男泣きしたのである。

 其れを見ていた鉄、玉とも「ウォーン、ウォ〜ン」「ニャーン、ニャ〜ン」と泣くではないか。おもわず与作も貰い泣きしてしまった。

「宜しくお願い致します」

 天下の大殿様が、町人で丁稚奉公という一番身分の低い男に、丁寧言葉をかけ深々とお辞儀をしたのであった。

 それ以来、総大将が炭焼き小屋の側を通る時は必ず立ち寄り、皆んなで供養をしてくれている十人の間者の墓に参り線香と花を手向けのである。

 そして鉄、玉、ラー助の為に小屋に立ち寄りお土産を置いて行ってくれた。

 城からの帰り道、鉄は大きな風呂敷包を口に咥え、玉は与作の懐の中、やはりなんと言ってもご主人様が一番なのだ。

「鉄ちゃん、玉ちゃん、今日はよく頑張ってお師匠さんを助けてくれたな。ほんま有難うよ」

「さあ、ラーちゃんが待っとるから早う帰ろうな」

 ようやく小屋の近くに戻って来ると足音と声が聞こえたのか

「カア、カアー」と鳴きだした。

「オウ、ラーちゃんが起きとるで」

 すると

「テツチャン、タマチャン、ツイデ二ヨサク」

 此れには与作もたまげるやら呆れるやら

「コラッ、ついでとはなんじゃ。どこで覚えたんじゃ」

 松の木の下迄帰って来ると、ラー助は与作の肩の上に下りて来て鉄も玉も一緒になって大喜びをしている。

「ラーちゃんおいてって悪かったな」

「ナンノナンノ」

「オイッ、今から真面目に亡くなったお侍様達を埋葬をして供養してあげるんじゃ。お前たちは寝てもええからな」

 と言うと与作は十人の亡き骸を葬る作業に取り掛かった。

 土葬をする為にはあまりにも多過ぎる。とても朝迄一つ一つ墓穴を掘る訳にはいかない。だが幸いな事に周りには数個の炭焼き窯が有る。昔、父親が掘った物で今は全く使っていない。此れが結構大きく少し拡張すれば全員収容が出来そうなのだ。

「こうすれば皆さん寂しくないな」

 其れから夫々のお名前が分からない為に無縁仏として幾つもの石碑を建てた。

 埋葬を終えると、今度は下着だけを残し着けていた物は全部脱がせ遺品として大切に保管する様にし、何れ、ほとぼりが冷めると遺族の方々に返還する気持ちでいた。

 一通り整理が終わると供養をしてあげなければならない。

 与作は身を清める為に沢に下りて行った。この寒空の下、身を切る程冷たい川の中に入って一心不乱にお経を唱えていた。

 其れを終えると供養の為の衣装と袈裟懸けをし読経を始めだした。

 この時、鉄も玉もラー助も与作がしている事が分かるのであろう。寝ずに起きており愁傷にも与作の後ろに並んでいる。

 読経の声が山に響き渡る中、ラー助が時たま「ナマンダブ、ナマンダブ」と茶々を入れてくる。

 でも与作は何事も無い様に、皆さんに仏様になって頂く様に忍者一家で一緒にお祈りしていたのである。

 供養が終わる頃には東の空が白々と明るくなりだした。

「もう夜が明けたか。ぼちぼち店へ出発時間じゃな。とうとう寝る間が無かったがまぁこれくらいの事なら死ぬるほどの事はありゃせんじゃろう」

「へへへ、今日は朝から晩迄浅田屋でドジの踏み通しで怒られん様せにゃいけんのう」

 与作は誰に言うとも無く独り言を呟いていた。

「みんなよ、今日は一日こっちで休んどってもええで。疲れとるじゃろうからな」

 朝飯は幸いな事にお師匠さんから貰った物が残っており朝飯を炊くわけではなく簡単に済ませた。

「ワシは行ってくるからな」

 と草鞋を履いて外に出てみると鉄、玉、ラー助が一列に並んでいるではないか。

「おいおい、皆んな行くつもりかい」

「しゃあない奴等じゃな。別荘迄行くか」

 早速、玉はちゃっかり鉄の背中の上に乗り長い毛をつかんでいる。

 ラー助といえば、毎度の如く上空を旋回しながら一寸行っては引き返しを繰り返し常に見張りを続けてくれている。

 道中、鉄も玉も嬉しくて仕方ない。前になったり後ろになったり、特に玉は歩いたり与作の懐に飛び込んだりと全く自由気ままであった。

 与作と忍者一家がまもなくで別荘に到着する所迄やって来た。

「鉄ちゃん、玉ちゃんよ、後は宜しくな」

「ラーちゃんはワシと一緒に浅田屋迄来てくれんか。お師匠さんに渡す薬を運んでくれるか」

「ワシニマカセトケ」

 分かったのかどうか相変わらず返事は良い。だがこれを言って今迄に一度も迷った事が無かったのだ。

 早朝に店に到着すると今朝は珍しく主人が与作よりも先に店先に出てウロウロしていた。

 ろくに返答もしない主人に朝の挨拶を済ますといきなり頼み事をした。

「どしたんじゃ、朝早ようから何の薬の調合じゃ」

「鳥目に良く効く漢方薬が欲しいのです。今日の午前中にお届けすると話したもんですから」

 主人にはすぐにピンときた。此れは間違いなく与作が関わっている大殿様が欲しいと言われているのではと。

「分かった、今、すぐにつくる。してその御方の症状は如何程のものかのう」

「私でしたら昨夜の満月でしたらハッキリ見通せるのですが、その方は一寸雲がかかっただけでそろそろ歩きの手探り状態でした。以前より症状が進行している様です。後から聞いてみるとかなりの偏食の様です」

「ほいじゃが与作が今から行っても間に合わんじゃろうが」

「私は今日お店を離れません」

「其れじゃ誰が届けるんじゃ。間に合う訳きゃなかろうが、空でも飛んで行かん限りは絶対に無理で」

「へへへ、大丈夫です」

「其れとすみませんが、食事療法で治すええ食べ物を書いて貰えませんでしょうか。

 其れを賄い方に提供されると言われてましたから」

「分かった。薬と一緒に同封しとくよ」

「有難う御座います。此の代金は私の今度の給金から差っ引いとって下さい」

「何を言うとる。そんな事は一切気にすな」

「重ね重ねすみません」

 主人は何時もの様に玄関戸を開けると即ぐに店の中に入って行った。早速薬の調合にかかった。

「然し、与作も不思議な事を言う奴じゃのう。此処からどうして朝早ように志和地迄届けるんじゃ」

「其れよりほんまどうするつもりかのう」

 とんでもない事を簡単に口にする与作の事が主人にはますます理解出来なくなっていた。

 翌朝、お師匠さんは昨夜の襲撃事件の疲れがどっと出て朝遅くまでぐっすり寝ていた。東の空から朝日が差し込み陽射しが顔に当たりだした。

 眩しくなったのでボチボチ起きるかと欠伸をしながら眠気まなこを擦っている時だ。

 窓枠の辺りから何やら声が聞こえるではないか。

 其れにガタガタ音がする。

「誰が今時こんな処へ登って来やがった!許さん!」

 と立ち上がった。すると又

「オシシヨ、ヨウサンクスリ、オシヨサンクリ?」

 舌足らずな変てこりんな声がする。

 お師匠さんが やおら窓枠に近付いて覗いて見た。

「オハヨ、オハヨ、オシシヨサン」

 可愛い目をしてこっちを見ているではないか。つられて「おはよう」、

 此れには一遍に目が覚めた。

「何じゃこりゃ此れは!ラーちゃんはワシの物真似までしとる。如何して此処が分かったんじゃ」

 朝早くにラー助は与作と一緒に浅田屋に行き、用意してくれた薬の袋を首にかけて貰い一気に飛び立ち持って来てくれたのだ。

「ラーちゃん、有難うな、頭ええなぁ」

「ナンノ、ナンノ」

 首から外して頭を撫でてやると目を細めて嬉しそうな顔をして

「オモイ、オモイ」

「ハハハッ、こりゃ面白い。其れにしても凄いな」

「ラーちゃん、此れからも仲ようしような」

「ワシ二マカセトケ」

「そうじゃった。ラーちゃん今すぐお土産をやるからな」

 と言いながら用意してあった朝飯の中から猪の肉を一つやると「パクリ」と一飲みし目をパチパチしている。

「そうか、そうかラーちゃんはよう食べるからな。包んじやるから皆持ってけ」

「アリガトザーマス」

 嬉しそうに飛び立って行った。

「なんて事だ。大将のとこの鉄や玉やラー助にしても到底考えられん能力を発揮しおる。ほんま与作殿は生きとる物の怪じゃのう」

 兎にも角にも、お師匠さんはたまげまくって一気に目が覚め興奮しまくったのである。

 帰巣本能を利用した伝書鳩の例を、他国でやっていると人伝てに聞いた事が有る。だが現実にラー助がやってくれるとは。

 其れも人間の言葉を喋り、荷物まで運び、幼児並みだが会話までする。其れにしても大将はなんちゅう人間なんじゃろうかつくづく感じ入っていた

 それ以降、お師匠さんはラー助と大の仲良しとなり、道中カラス笛を吹くと、何処からともなく飛んで来て上空より敵からの見張り役をこなしてくれていた。

 与作とお師匠さんの連絡以外、比叡尾山城と志和地八幡山城を超高速で書簡の伝達をしてくれていた。

 用事がある時、緊急時には書簡のやり取りを何の苦もなく確実にラー助は喜んやってくれた。

 報酬も何も要らない。ただ、美味しいご馳走を置いておくだけでいいのだ。

 飛んで行かせたい場所に違った食べ物、肉や魚を置ておくとちゃんと覚えていて確実に目的地に届けてくれる。実に頭がいいのだ。

 又、ラー助が持って飛べない重い荷物は鉄がこなしてくれ、早馬よりも早く、人間の三倍以上も速かった。

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