ロリケモノ妖怪三人娘に取り憑かれたオカ研部部長とアザカワJKの怪奇事件偽装解決レポート

藤屋順一

ひとりこっくりさん

夏休みも半ばに入った暑い日、オカルト研究部の部長である俺は学祭の研究発表のため一人でこっくりさんをすることにした。なぜ一人かというと、部員が俺一人しかいないからだ。


学校の敷地の隅、校舎の裏側にある使わなくなったけれど捨てられない備品を意味もなく収めている物置というか倉庫というか、プレハブ造の建屋の中を片づけた十畳ほどのスペースが我がオカ研の部室である。


夏は死ぬほど熱く冬は死ぬほど寒い地獄のようなこの部室を、どっちがマシかと天秤にかければ若干部室の方に傾く地獄のようなスクールライフから逃避するための秘密基地として先代の部長のくせに幽霊部員だった(オカ研だけにな!)先輩から引き継いだのが俺というわけだ。


もともとオカルトに興味があるわけではないのだが、部室に申し訳程度においてある本棚に並べてあるオカルト雑誌『アトランティス』の既刊やら妖怪図鑑やらUFO関連の書籍やらSF小説やらを暇つぶしに読み漁っているおかげで人よりはその手の話題に詳しく造詣も深いとは自負している。


存在そのものが幽霊みたいなこの部ではあるが、文科系部の年一度の発表の場である学祭にすら出し物をしないとなると、いよいよ除霊っていうか廃部にされてしまうかもしれない。こんな俺でも一応部長だし、この部にそれなりの愛着はある。だから渋々にでも研究発表をしなければならないのだ。


陽炎の登る路面に長い影が伸びる黄昏時、南京錠を開けて部室に侵入し、窓を開け放って室内に籠った熱気を籠っていない熱気に入れ替える。

どちらにしろ地獄だ。吹き出す汗が止まらず、校庭から聞こえる運動部の暑苦しい掛け声とじっとりと肌に張り付くシャツが不快感を煽る。


窓際に置いた扇風機を回し、椅子の背もたれに体を預けてぐったりしているうちに窓から入る熱風は温風に変わり、風と一緒に流れ込む運動部の掛け声もほとんど聞こえない。

陽は既に落ち、夕空のグラデーションはオレンジから紫に移り変わっていた。


さて、そろそろ準備を始めようか。


こっくりさんと言って最初に思い浮かべるのは、鳥居の両脇に『はい』『いいえ』その下に零から九までの数字と五十音表が書かれた例の紙だろう。

そもそも今回の研究発表でこっくりさんをやろうと思ったきっかけは、ネタ探しのために過去の部活動の資料を漁っていた時にこの紙が出てきたというのが大きな理由だ。


余談になるがこの部も過去には活発に活動していた時期があったらしい。

古びた画用紙に、おそらく女子部員のものであろう整った文字が整然と並ぶ例の紙は、実物を見ると妙な非現実感とおどろおどろしさを感じる。

倉庫としての役割を果たすだけの蛍光灯の明かりしかない薄暗い部室の中ではなおさらだ。

教室机の上に広げて改めてじっくりと見てみると、背筋にうすら寒いものがこみ上げてくる。


一緒に発掘した資料の手順に従い、燭台に立てたロウソクに火を灯して例の紙の脇に置き、懐中電灯のスイッチを入れて深呼吸し、蛍光灯の明かりを消す。


すると、部室のど真ん中に設置した教室机を中心に、暗闇に頼りなく揺れるロウソクの明かりが広がる。闇の中、幽かな光が産み出す見慣れぬ空間に、日常で使う見慣れた教室机だけが浮かび上がるその光景は、一言で表すならば異様だ。思わず生唾を飲み込み、なんの意味があるのか「よし」と呟く。そして火の光に吸い寄せられる夏の虫のように、その儀式の席に着いた。


「こっくりさんこっくりさん、どうぞおいで下さい。もしおいでになられましたら『はい』とお答えください」


びっしり整然と黒い墨で書かれた文字を統べる朱の鳥居の柱の間に十円玉を置き、少し震える指を添えて深呼吸し、手順に従ってこっくりさんを呼び出すお決まりの文句を唱える。

息が詰まるような緊張感。震えながら掠れ、消え入りそうな声が、ロウソクの炎の光だけが空間を満たす狭い部室に溶け、別の誰かが反芻するように妙に大きく響いた。

何分待っただろうか、あるいは数十秒しか経っていないのかもしれない。額から冷たい汗が頬に伝う。


十円玉は…… 動かない。


当然のことだ。一説にこっくりさんは「そうあって欲しい」と願いながら儀式を行う集団のうちの誰かの未必の故意が十円玉を動かしているのだという。だけど、今は違う。十円玉には俺の人差し指だけが乗っていて、少なくとも動かそうとはしていないという自覚がある。


「こっくりさんこっくりさん、どうぞおいで下さい。もしおいでになられましたら『はい』とお答えください」


もう一度、幽世に通じるという朱の鳥居に、はっきりと自分のものだとわかる声で問いかける。人差し指を乗せた十円玉に意識を集中すると、早鐘を打つ心臓が胸を締め付け、鼓膜を低く振動させ、指先の脈動となって返ってくる。

時間を待つ間、そのリズムに合わせて半ば無意識のうちに数をかぞえていた。きっと一分間のうちに百回よりは多いだろう。


二十、二十一、二十二…… 十円玉は動かない。

六十四、六十五、六十六…… まだ動かない。


十円玉はピタリと鳥居の柱の間に収まったまま数が百に近づき、次第に脈動が穏やかにゆっくりになっていくのがわかる。


九十八、九十九、百。


区切りの良い数字に達すると、緊張の糸が切れたのか、自然と安堵のため息が漏れた。

いつの間にか動くつもりになっていたが、そもそも動くはずなどないのだ。

何もなかった報告をレポートに纏めるのは逆につらいものがあるが、次で終わりにしよう。


「こっ……」


これで最後と心に決めて口を開いた時、吹くはずのない生ぬるい風にふっと炎が揺れ、教室机の残りの三辺に三つの影が一瞬浮かび上がる。


何かがいる。


はっと十円玉に集中していた視線を上げて机の周りを見回しても、そこには何もない。

嫌な汗が体中から吹き出し、再び心臓が早鐘を打つ。喉はカラカラに渇き、長い時間十円玉を指し続けた指先はしびれて感覚を失っている。


これ以上続けてはいけない。


本能的にそう思い、儀式をやめようと十円玉に視線を戻すと、ロウソクの光の加減だろうか、朱の鳥居の柱の間、ちょうど十円玉を置いた部分を中心に墨が滲むように影が揺らめいている。


「こっくりさんこっくりさん、どうぞおいで下さい。もしおいでになられましたら『はい』とお答えください」


その時、自分の声ではない自分の声が部室に響いた。そして、


ずずず…… 十円玉が動き出す。


十円玉は反射的に抵抗する俺の人差し指を乗せたまま『はい』の方へ滑っていき、その上でぴたりと止まった。


心臓が鷲掴みにされ、背筋が凍り付く。金縛りにあったように身体が動かない。

十円玉に釘付けにされた視線をやっとのことで動かして周囲を見渡すと、教室机を囲むように闇が広がり、あるはずのない三つの気配がはっきりと感じられた。

そうして俺がそこにいる存在を認識すると、ずずず…… と、また十円玉は鳥居の柱の間に戻っていく。


これは、自分の意志で動かしているのだろうか?

それとも、ここにいるらしい超常の存在が動かしているのだろうか?


「あ…… あなたは、こっくりさん、ですか……?」


ふと思い浮かんだ疑問が口を衝き、渇いた喉から絞り出すようにその存在に問いかけた。

その声は部室の闇に溶け、しばしの静寂が訪れる。


ずずず……


そして、また十円玉が動き出す。今度はその動きに抗おうとはせず、その動きに指を任せて行く先を注視する。てっきり「はい」もしくは「いいえ」に向かうものだと思っていたそれは、鳥居を下に抜けて五十音表の方へとまっすぐ向かっていく。


「さ」


迷うことなく「さ」の文字にピタリと止まった十円玉の周囲には、いつの間にか自分の指の影の他に三方から伸びる三つの小さな指の影が落ちていた。


「ん」


再び動き出した十円玉は軌道を変えてするすると滑らかに動いて、次は「ん」に止まる。

子どもが隠れていたずらを企むような、くすくすという笑い声が耳鳴りのように幽かに聴こえてくる。紙に顔を伏せたまま視線を上げると、机を囲む闇の中にぼうっと子どものような小さな影が三つ浮かび上がり、その存在感を増していく。


間違いない。俺は今ここにいる三人の気配とこっくりさんをしているのだ。

それを察知したように、十円玉が走る。


「いいえ」


「さ」「ん」「いいえ」どういう意味だろうか?

まず思い付くのは数字の三。ここにいる気配の数だ。だけどこの紙には数字そのものが書いてあるし、「いいえ」と否定している。

となると「こっくりさん」の「さん」か……?

三人の子供の笑い声はますます大きくなり、それにつれて机を取り囲む影は実体を持つほどまでに色濃くなっていた。よく見てみると文字通り三者三様にケモノの耳と尻尾がついているように見える。

こっくりさんを霊現象とする説では動物霊とかの低級霊を呼び出す降霊術なのだというが……


そう思っている間にも十円玉は饒舌にお喋りするかのように軌道を変えながら一直線に走り、次々と文字を指していく。


「ち」

「や」

「ん」

「はい」


なるほど、「さん」ではなく「ちゃん」か。

随分とファンシーな幽霊も居たもんだ。

……ってどういうことだよ!?


心の中でツッコミをいれながら鳥居に戻っていく十円玉を見守っているうちに不思議と恐怖心は薄れていた。それよりも、なんというか、ここにいる三人のいたずらっ子のおふざけに付き合っている気分だ。


「こっくりさん、こっくりさん」


と試しに問いかけてみると、


「いいえ」


と、笑い声とともに返事がすぐさま返ってくる。


「それじゃあ、こっくりちゃん……?」


そう聞いたとたんに、三つの影からきゃっきゃと嬉しそうな笑い声が上がり、十円玉が「はい」の周りをぐるぐると回る。


子どもがはしゃぎ回るようなその様子に、緊張が解け、全身から力が抜けていく。金縛りからもいつの間にか解放されていたらしい。

幽霊を信じていたわけではないが、実際に体験しているのだから仕方がない。ここにいるのは恐らく動物の妖怪だか幽霊だかが人間の子どもに化けたものだろう。

悪意や害意などは感じられず、退屈しのぎに俺をからかいにでも来た感じか。


そして十円玉が再び鳥居に戻った時、ふっ、とロウソクの火が消え、さっきまで聴こえていた騒がしいほどの笑い声も止み、ただただ目の前には暗闇の世界が広がった。


とっさに顔を上げると、そこには闇に浮かぶ六つの瞳が、暗闇の中で獲物を待ち伏せる捕食動物のように爛々と輝いている。


「うわっ!?」


完全に油断していた。

こいつらはこの機会を伺っていたのだ。俺はまんまと罠に嵌り、驚いた拍子に十円玉から指を離していた。


決してこっくりさんの途中で十円玉から指を離してはならない。


資料の最後の方に赤い文字で書かれたいくつかの禁止事項のうちの一つだ。

真っ暗闇の中、とっさに十円玉のあったはずの場所に人差し指を戻すが、そこに十円玉はなく、ただ紙の感触だけが指に伝わった。


きゃはははは……!


暗闇にひときわ高い笑い声が響く。

俺を取り囲む三つの影の持つ六つの瞳は怪しげな輝きを放ち、青白い炎が周囲に浮かんで部室をほの暗く照らした。


「あーっ! お兄ちゃん、指を離しちゃったの!」

「ああ、やってしまいおったのう。おほほ、お主、今更取り繕おうとしてももう遅いぞ」

「取り憑いてやるにゃー!」


喧しく囃し立てる声とともに鬼火がロウソクに火を灯すと、揺れる炎の光が周囲に広がり、三人の影がその姿を表す。


左手側には長い銀髪から黄金色のとんがり耳が生え、背後には先端が白いもふもふのしっぽが揺れる巫女服の幼女が深紅の瞳で勝ち気な笑みを浮かべている。

うん、狐だな。


右手側には栗色のおさげ髪から茶色の丸い耳が生え、同じく栗色の太いしっぽを背負った浴衣の幼女が金色の瞳で興味深そうに俺を見つめている。

うん、狸だな。


そして真ん中には……


「にゃ?」


黒髪のショートボブに真っ黒な三角耳、背後には黒く長いしっぽがにょろりと伸びる白いワンピースの幼女が翡翠色の瞳でじとっとこちらを睨んでいる。

うん、どう見ても猫だな!


「いや、お前らこっくりさんだろ! 狐に狗に狸と書いてこっくりさん! わかる? なんで狗じゃなくて猫なんだよ!?」


思わず出てしまったツッコミに三人の幼女は黙ったまま「何言ってんのコイツ?」みたいな顔を向けてくる。


そして巫女服の狐幼女が面倒くさそうに机の上に目を遣る。こっくりさんに聞けというつもりなのだろうか?

促されるまま視線を下に落とすと、俺の人差し指は鳥居の柱の間をぴったり指していて、三人の小さな指が添えられた十円玉は鳥居の上の何もないところにあった。


こいつら……


十円玉に指を置いて力を込めて鳥居まで滑らせ、無理やりこっくりさんを再開する。


「こっくりさん、こっくりさん、なんでこっくりさんなのに真ん中が猫なんですか?」


そう聞くと、三人は楽しそうに顔を見合わせて、十円玉が動き出す。


「さ」

「ん」

「いいえ」


……なんだろうこの不毛な感じ。

十円玉が鳥居に戻るのを待って、気をとり直して再び聞いてみる。


「こっくりちゃん、こっくりちゃん、なんでこっくりさんなのに真ん中が猫なんですか?」


今度は少し悩むようなそぶりを見せてゆっくりと十円玉が動き出す。


「く」

「ろ」

「ね」

「こ」


「くろねこ。ああ、なるほどー! 狐、黒猫、狸でこっくりさんね…… ってやかましいわ!」


聞いた俺がバカだった。

楽しそうに十円玉を動かす三人にツッコミを入れても「ちょっと何言ってるかわかんない」みたいな顔をしてくる。

これ以上こいつらの遊びに付き合っても腹が立つだけだな。


「こっくりちゃん、こっくりちゃん、お帰りください」

「いいえ」


「こっくりちゃん、こっくりちゃん、お帰りください」

「いいえ」


「こっくりちゃん、こっくりちゃん、お帰りください」

「やだ」


「ほら、もう終わるぞ」


いつまで経っても終わらせようとしないのに我慢の限界が来て、さっき再開したときと同じように三人の指を引きずりながら無理やり十円玉を「はい」の方へ滑らせて鳥居に戻す。


「こっくりちゃん、こっくりちゃん、ありがとうございました!」


手順を終えてから十円玉から指を離して顔を上げると、狐と黒猫と狸の幼女がいくつかの鬼火を周囲に飛ばして恨めしそうにこちらを睨んでいる。


「おい、お主。我らはまだ帰らんと言っておるであろう?」

「ちゃんとやり方は守らないとダメなの!」

「にゃーん!」


三人揃って無茶苦茶な言い様である。


「お前らだってどう見ても暇潰しの遊び半分じゃねーか!」

「断じて暇などではありはせぬ。お主が呼ぶからわざわざ来てやったのじゃ」

「だったら一人で良いだろ?」

「久しぶりのお客さんだから出血大サービスなの」

「いらん! 俺はもう帰るから、ほら、お前らも早く帰れ」

「もう取り憑いちゃったから帰らないにゃん」


そういえば、十円玉から指を離す前は朧気にしか見えなかったこいつらが今ははっきりと見えて直接会話までしている。

もしかして俺、一生このロリケモノ妖怪三人組の遊び相手しなきゃなんないの?


「なんてこった……」

「おほほ、お主が禁忌を犯したのがいけないのじゃ。妾は狐毬コマリと申す。以後よろしゅうに」

狸々リリなの! よろしくね。お兄ちゃん!」

「くろにゃー」


地獄かな?


そして、俺に取り憑いたロリケモノ妖怪三人組を落とすための壮絶なオカルト研究部活動がここから始まるのであった。

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