8.噂(1)
ひそひそとささやく声がミモザの耳に届いていた。残念ながらドラゴンは、魔獣族並みに五感がすぐれているのでよっぽどうまく内緒話をしてくれないとばっちり聞こえてしまうのだ。
ミモザは眉をひそめてここ数日――厳密にいえばあの夕食会の二日後から聞こえるようになった噂話について考えていた。その噂は端的に言えばミモザが泥棒だというものだった。もう少し詳しく言うと、ミモザは貧しい孤児で盗みなどの犯罪で今まで暮らしてきた、というものだ。
人間の国に比べて生まれや育ちなどは気にしないところがあるザルガンドだが、犯罪についてはそうはいかない。噂が流れているのは主に使用人の間で、それを耳にした使用人たちから冷たい視線を向けられていた。聞こえてしまう声も含めてわずらわしさを感じずにはいられない。
ミモザが孤児なのは間違いないが、噂と違って盗みなどはしたことがない。ミモザにしては不機嫌そうな顔のまま調理場の隅でじゃがいもをつぶしていると、調理場の無愛想なベテラン使用人が元気づけるように試作品のお菓子をわけてくれた。
大方、噂の出所はあの侍女だろうとミモザは考えていた。他に心当たりがない。ティンクを含めた同期の新入りたちはミモザはそんな子じゃないと怒ってくれたのでまだマシだったが、正直なところこの状態がつづくのは精神的によろしくなかった。
目的は髪飾りだろうか……?
しかし今更髪飾りをミモザから奪って何になるだろう? アルディモアでは聖女アルティナの遺品は彼女の嫁ぎ先でもある辺境伯家や王家で大切に保管されているらしいので、アルディモアに持って行って恩を売るのかもしれない。もしくは、単純にミモザが持っているという事実を許せないだけかも……。
アルティナの元で働いていた幾人かは、あの侍女を含めてミモザのことを目の敵にしていた。アルティナがミモザに髪飾りをたくしたのも気に入らないようだったし、アルティナが亡くなった直後、ミモザがそれを盗んだとありもしない罪をでっちあげて糾弾したのだ。おかげでミモザは逃げるように身一つでアルディモアを立たねばならなくなったのだが……。
折角こうして王宮で働きはじめたのに、アルティナの願いを叶えることができない事態は避けたい。ミモザはたしかにこの国の国王とはできれば顔を合わせたくないと思っていたが、アルティナの願いはきちんと叶えてあげたかった。
それから更に三日ほどたつと、使用人寮の無くし物はほとんどミモザが盗んだことにされた。さすがに使用人頭のパランティアに呼び出され、ミモザは若干ふてくされながらその呼び出しに応じた。
「何も盗んでいません」
パランティアの問いかけにミモザはきっぱりと言った。「知っていますよ」とパランティアは何でもないように言う。千里眼があるのだから無実なのはちゃんと見ていたのだろう。拍子抜けしてしまって、ミモザは眉間に入っていた力を抜いた。
「噂の出所に心当たりは?」
「ありますけど……言うと大事になると思います」
三つの目がミモザを見つめた。
「ではとりあえず、ここだけの話にしておきましょう」
「……おそらくですが、妃候補の侍女の方だと思います。この間の夕食会の時に席順について言いに来た……たしか、リリアナ王女という方の」
「ああ……ですが、どうして彼女が?」
ミモザは少し迷ったが、パランティアには話すことにした。
「実は、アルディモアの聖女アルティナさまが亡くなるまで、五年ほどお仕えしていたんです。彼女もアルティナさまに仕えていました。それで、わたしのことを嫌っていたというか……」
パランティアは少し何か言いたそうな顔をしたが、代わりにため息を吐いて「なるほど」と言った。
「なぜ嫌われていたのです?」
「たぶん、わたしのほうがアルティナさまに重用されていたからだと思います」
「それはそうでしょうね」
ミモザはぴくりと眉を上げた。
「あなたの言うとおり、大事になると厄介です。私の方でも噂を消せないか努力しましょう。あなたも気をつけてください」
「気をつける、ですか?」
「こんなあからさまな噂を流しておいてそれで終わり、ということはないでしょう。警戒しておくに越したことはありません。あなたに物を盗まれたと思っている者たちには私の方から注意しておきます。それが一番効果的でしょうから」
「それはそうでしょうね」
向けられた視線に、ミモザはちょっと肩をすくめた。
「大丈夫だった!?」
王宮内にあるパランティアの事務室から出てくると、ティンクたちが待ち構えていた。ミモザは純粋にうれしくて笑みをこぼした。「うん」とうなずくと、ティンクたちもほっとした笑顔を浮かべる。
「パランティアさんが信じなかったら文句を言いに行こうと思ってたの」
「ありがとう、ティンク――みんなも。でもパランティアさんは全部お見通しだと思うからその辺は平気だよ」
「それにしてもなんでミモザがこんな風に噂されないといけないのかしら」
おっとりとした気質のアリーサも怒っていた。しかしそれについてはさすがに彼女たちには言えない。あの侍女に殴り込みに行きそうだ。
しかし本当にどうしてこんな噂を流すのだろう? それに、その後はどうするつもりなのだろう? ミモザはポケットに触れた。今日もそこに髪飾りが入っている。
***
イシルマリから妃候補としてやってきたかの国の王女であるリリアナは、冷めた視線を自身の教育係兼侍女であるヴァルヴァラに向けていた。もう十年近く仕えてくれている彼女は、かつてアルディモアで聖女の元で働いていたらしく、その経歴を買った父王が採用したの者だ。
この国の王と親睦を深めるためのお茶会に、今日も王は姿を現さない。美しい庭園の風景を見つめながらリリアナは香りのいいお茶を飲んでいた。母国では味わえない味だ。ザルガンド特有の茶葉なのだろうか?
お茶会の話題の一つは、妙に広まるのが早かったとある使用人の噂だった。リリアナはそこまで詳しくは知らなかったが、ここ数日で妃候補の周辺に出回りはじめた噂だ。使用人といえど泥棒を働かせるなんてと同じ妃候補であるベライドの王女ローズが嫌悪をにじませた声で言っている。が、リリアナには正直なところあまり興味のない話題だった。
このザルガンドという国は変わっている。実力さえ認められれば生まれや育ちに関係なく実力に見合った仕事を望めるようだ。現に王宮も様々な魔族が働いていた。縁故採用が一切ない――というわけでもないが、実力がなければ出世は間違いなく望めない。
噂について振られたので適当に相槌を打ちながら、傍に控えているザルガンドの使用人や護衛を観察していた。イシルマリはそれでも近隣国の中では平民の登用を行っている方だが、ザルガンドの柔軟な考え方をもう少し取り入れてみたい。
「――実はわたくしは噂の者を知っているのですが、王女殿下に近づかないか心配で心配で」
リリアナは不意に傍で聞こえた声にハッと我に返った。いつの間にか自分のすぐ後ろに控えていたヴァルヴァラが話に入って来ていた。我慢できなくてつい……という風を装っていたが許可も無く口を開くなんて……咎める視線を送ったが、ヴァルヴァラは気にも留めない。
「……知っているとは?」
仕方なくリリアナはつづきを促すように問いかけた。どうも何か話したいようだ。
「わたくしがアルディモアの聖女様にお仕えしていた頃、噂の者も聖女様のお傍に仕えていたのです。その頃から手癖がよくなく――」
「まあ、何か盗まれたの?」
ベライドのローズが食いついてきた。
「ええ、それが……聖女様が生前大切になさっていた髪飾りが一つ無くなっていたのです。気づいた時にはもう噂の者は姿を消しておりました」
「聖女様の遺品はアルディモアが大切に保管なさっていると聞きますが……」
「アルディモア王家の方々も随分と探したようですが、そのまま見つからず――ですが彼女がこのザルガンドにいたとなるともしかして……」
「まさか」とローズが扇子で口元を隠した。リリアナは内心ため息をついていた。想像の話だ。確証がないのにそんなことを言うなんて。
「その辺にしておきなさい。証拠もないのに勝手なことを言ってはなりません」
「……申し訳ございません、殿下」
ヴァルヴァラの視線が一瞬ザルガンドの使用人や護衛たちを見渡したのをリリアナは見逃さなかった。そしていつも不安そうな顔でお茶会に参加している候補者の一人、アンナベルがいつも以上に顔色を悪くしてうつむいていることも。
***
「アンナベル? どうしたんですか?」
一日の仕事を終え、夕食も食べ、ティンクたちとくつろいでいたミモザは突然の来客に寮の玄関までやって来た。訪ねて来たのはアンナベルだった。いつもの似合わないドレスではなく、彼女によく似合っているシンプルなドレスを着ている。きっと普段着なのだろう。
「ミモザ、ちょっと話があるんです」
玄関の灯りの下でアンナベルの顔ははっきりと青ざめて見えた。
「中に入りましょう。すぐそこに応接室があるんです」
そっとうながして応接室へと彼女を招く。本当は予約しなければ使えないのだが、もう今日は使う予定もないだろうし大目に見てもらおう。相手は妃候補の一人だしパランティアなら許してくれるはずだ。
「それで、どうしたんですか?」
応接室のソファに隣りあって座り、安心させるようにアンナベルの肩に手を置いてミモザはたずねた。
「実は……今日、お茶会の日だったんです。そこであなたについての噂が話題になって――」
「えっ」
まさか妃候補たちの耳にも入っているとは。ミモザは苦い顔をした。
「わたしはもちろん信じていません! でも、イシルマリのリリアナ王女の侍女の方が……あなたのことを知っていると言っていて、アルディモアの聖女さまのところにいたと……それで、あなたが聖女さまのところからいなくなった後、聖女さまの髪飾りがなくなったと……リリアナ王女がたしなめていましたが、他の方は――わたし、不安になって、それで――」
アンナベルのきれいな手がミモザの手をぎゅっと握りしめた。その瞳には心からミモザを心配する色が映っている。ミモザはその手を握り返した。
「ミモザ、聖女さまの髪飾りについて何か知っていますか……?」
「知っています」
アンナベルはきっとミモザが無実の罪で訴えられることを恐れているのだろう。おそらく侍女はわざとお茶会で髪飾りの話をしたのだ。しかもアンナベルの話から察するに嘘を告げた――お茶会にはザルガンドの者たちもいただろうから、確実に大事になる。
亡くなった聖女アルティナはアルディモアにとっては聖女だが、この国にとっては唯一の王女だ。国王が十年も喪に服すほどの愛すべき存在。その大切な持ち物の一つが盗まれたとなれば、黙っていられないはずだ。
アルディモアが聖女アルティナの存在を大切にし、亡くなった後もそれをつづけているのは彼女の父であるこの国の王の存在が大きい。もし何かほんの少しでも雑な対応をすれば彼の逆鱗に触れるだろうと考えているからだ。
ミモザはかつて自分が聖女だった頃……ひとつ前の前世を思い出した――彼の妻となった後、子どもを授かったと知った時の彼はこれ以上にないくらい幸福に包まれて見えた。今だからわかるが、彼が子どもを授かったのはそれがはじめてだったのだ。ミモザは今までずっと人間にしか生まれ変わらなかったが、人間と魔族では魔力に差があるからか子どもを授かり難かった。
聖女として生まれて人間としてはかなり強い魔力を得たためやっとその幸福に出会えた――しかし結局、その幸福は少しの間だけで、聖女であった前世でも体は耐えきれず体調を崩し、出産にも耐えられず、娘の成長を見られないまま終わったのだが……。
ミモザとして出会った前世の娘から、彼女が父に溺愛されて育ったことを聞いた。アルティナがアルディモアの聖女になることになったのは、やはり彼女が半分は人間だったことが大きい――寿命の差だ。それでも彼は娘を手元に置きたがり、アルティナや周囲の説得と、アルディモアとザルガンドの国境に娘を住まわせることなどを条件に折れたという。
ミモザはそんな大切にされたアルティナ本人から髪飾りをたくされたのだ。嘘偽りに屈するわけにはいかない。あの侍女はアルティナにきちんと仕えていたと思うが、アルティナを大切にしていない。
「髪飾りはわたしが持っています」
ミモザははっきりと告げた。アンナベルの薄茶色の瞳が丸くなる。
「そ、それは――」
「聖女さまに頼まれたんです。わたしがアンナベルに頼みたかったことも――」
しかしミモザの言葉は応接室の扉を開く大きな音に遮られた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。